太陽の日差しの下で、その金色はひどく輝いているように見えたが、それは自身の目に特殊なフィルターがかかっているからだと、リヴァイは理解していた。それがどういう意味を持つのかも、ずっと前から理解して受け入れてもいる。
 どうしようもないことだった。仕方のないことだった。しかし、教師である彼からしてみればそれだけでは済まないらしく、目が合ったとたんに困ったように、そのくせどこか罪悪の含んだ目でたしなめるようにこちらを見てくる。真面目に受けなさい、と音なく告げる口元に、リヴァイはふっと口角を笑うようにして歪ませた。
(自分だって同じくせ)
 そう思って、けれど決して口にはしない。彼とリヴァイとでは、位置する立場も背負っている責任も違うのだと、それすらもしっかりと理解していたから、リヴァイは聞き分けの良い子どもを演じて視線を逸らした。
 そのつもりで、ぐらり、と視界が揺れた。あれ、と声にしようとして上手くできずに、世界が揺らぎ、そうして、金色、が、揺らいだ。

 青空が見える。
(あいつの目の色だ)
 思ってすぐに、意識が、途切れる。



 深い海の底に横たわるようにして沈んでいた意識は、頭をなでる大きな手に平によって、ゆるりゆるりと掬われるようにして引き上げられた。遠慮がちに触れるそれは優しく穏やかで、それと同時に拭いきれない余所余所しさがある。
 本当に優しくしたいなら、その触れ方は間違っている。そう言ってしまいたくて、けれど、もしも意図してそうしているのだとしたらと思うと、喋りをあまり得意としない口元はさらに強固に閉ざさずにはいられない。

 目を開けると、青い空が真っ白な天井へとその姿をかえていた。
 視界がいささか不鮮明で、リヴァイは何度か瞬きを繰り返す。そうしている内に、霧がかった視界は本来あるべき色と鮮明を取り戻し、白い景色の中に存在する眩い金色をとらえた。
「気が付いたか…、」
「え…る、……び、ん?」
 名前を呼ぼうとして、声が掠れた。
 それでも声はちゃんと届いたらしく、頭をなでる感触が遠ざかったかと思うと、覗き込むようにしてエルヴィンの顔が近づいた。少し不機嫌そうに眉間にしわが寄っている。けれど、眉尻はわずかに下がっており、リヴァイを見下ろすその目に怒りの色は微塵も見られなかった。
 リヴァイはもう一度瞬きを繰り返す。鼻腔をくすぐる独特の消毒液のにおい。そのにおいに現在地を把握するが、それとエルヴィンが己を見下ろす現状が結びつかなくて、横になったまま首をかしげた。
「どう、して…」
 ここにいるんだ、と続くはずの言葉は、渇いた喉に絡め取られて音にならず、エルヴィンの耳には届かなかったようだった。
「貧血に軽い日射病だ」
 ゆえに、エルヴィンが返した答えはリヴァイが望むものではなかった。
 しかし、リヴァイはあえて問いの訂正はせずに、そうか、と頷くだけにとどめた。

 つばを飲み込んで、気休め程度に喉を潤す。肘をついて身を起こそうとするが、一度倒れた身体は思いのほか重く、ともすればベッドへと逆戻りしそうになる背中に、エルヴィンの手の平が触れた。
 ぐっ、と力強く、それでいて優しく背中を押し上げる力に身を任せて、ようやく上体を起こす。瞬間、じくじくと鼓動する頭痛に、反射的にリヴァイは眉間に皺をよせそうになって、下唇をこっそりと噛んで誤魔化した。
「痛いところはあるか?」
「…いや、平気だ。それより、なんか、喉が渇いた」
「そうか」
 言葉を返して、すぐにエルヴィンは席を立った。ちょっと待っていろ、と一言言い捨てて、ぐるりとベッド周辺を覆い隠すカーテンの向こうへと姿を消した。
 一人きりになった小さな空間。リヴァイはぼんやりと目の前の白を見つめる。どのくらい意識をなくしていたのだろうか。ぐっ、と腕を伸ばして身体をほぐすとじんわりとした疲労が芯の方からやってきて、リヴァイは小さく息を吐いた。
 エルヴィンは華奢なコップを片手にすぐに戻ってきた。零すなよ、とまるで幼い子供に言い聞かせるようにしてコップを差し出し、リヴァイの手に掴ませる。ひんやりとした感触に一瞬だけ肩を竦めてから、リヴァイは無愛想に礼を告げ、縁に口を寄せた。十分に注がれた水を一気に飲み干して、今度こそしっかりと喉を潤す。
「お前は、相変わらず日差しに弱いな」
「……うっせ」
 濡れた口元を拭いながら言い返す。
 空っぽになったコップは、すぐにエルヴィンに奪われてしまった。何となく目で追った先、エルヴィンの眉間の皺はいつの間にかなくなっていた。

「授業は、どうした」
「とっくに終わったよ」
 ふぅん、と軽く頷いてリヴァイが口を閉ざすと、会話は容易に途切れた。手持ち無沙汰に、意味もなくシーツの表面を撫でる。するり、とした薄い感触。
 エルヴィンは何も言わない。この場を後にするわけでもなく、ただ、そこにいる。
「なぁ、エルヴィン」
「…なんだ?」
 わずかに空いたカーテンの隙間から、日が差し込んでエルヴィンの金色がほのかに煌めいた。それが眩しくて、リヴァイは意識して目を細め、笑みの表情を浮かべてみた。上手に笑えたかどうか、あまり自信は、ない。
 時折、そういったことがあった。エルヴィンを前に、リヴァイは上手に笑うことができなくなる。笑えないわけではない。むしろ、他の誰といるときよりも、浮かべる笑顔の数はきっと多いはずだ。ただ、意図した笑みがいつものように浮かべられなくなる。ただでさえあまり得意でない笑顔が、さらに苦手になる。
 そんな自分をリヴァイは、らしくないな、と思う。そうして、情けない、とも思う。
「お前…、心配、した…か?」
 狼狽えるだろうか、誤魔化すだろうか、無難に流すだろうか。リヴァイの頭は予測する。一番目立ったらまずまずで、二番目だったら少し悲しくて、三番目だったら少し寂しい。エルヴィンのことだから、最後が一番可能性が高いだろうか。声に出さずに呟いて、目元に意味もなく力を入れる。どんな反応が返ってきても、冗談だ、と笑って誤魔化す準備はできていた。
 それなのに、だ。
「当たり前だろう」
 ほんの少しの迷いもなしに、揺るがない声で告げるその言葉に、やはりリヴァイは上手に笑えないでいた。用意したはずの言葉が行き場をなくして飛散する。鏡など見なくとも、自身の顔が歪な様をしているであろうことが容易に想像できて、そんな顔を見られたくなくて、リヴァイは思わず俯いた。
 俯いた先、シーツをぎゅっと握りこんだ自身の手の平が目に映る。エルヴィンの大きな手の平とは比較にならない、薄く、華奢な子どもの手の平。途端に、ただ息をするだけでも苦しくなる。エルヴィンの言葉は素直にうれしいものであるはずなのに、どうしても、素直に喜ぶことができなかった。

(心配、した、のは…俺が生徒で、お前が教師、だから?それとも…)
 どんな答えが返ってくれば満足なのか、リヴァイはわからない。


 やけに遠くの方で、チャイムが鳴った音が聞こえた。それが授業の始まるを告げるものなのか、それとも終わりを告げるものなのか、リヴァイには判断がつかない。どちらにしても、リヴァイにしてみればどうでもいいことに違いなかった。授業の一つや二つサボったところで、リヴァイにとっては何が変わることもない。けれど、教師であるエルヴィンからしてみれば、そういうわけもいかないだろう。
 リヴァイはいつものように良い生徒を演じようと顔を上げる。不慮の出来事のせいか、今日はいつもは言わないようなことを言ってしまった気がしてならない。
「俺…そろそろ、戻る」
 もうどこも痛くねぇし、と半身にかかっていたシーツを退けようとして、しかしエルヴィンがそれをとどめた。優しく背中を起こしてくれたはずの手の平が、今度は肩を軽く押してくる。それだけで、リヴァイの身体は容易くベッドへと沈んだ。シーツが擦れて、きしり、とベッドが安っぽく音をたてる。
「エ、ルヴィン…?」
 どうかしたのかとエルヴィンに視線をやるが、それよりも早く手の平が目元を覆ってリヴァイの視界を奪った。目の前が真っ暗に染まるが、触れた個所からじんわり伝わる温度に恐怖を覚えるようなことはなかった。
「リヴァイ」
「な、んだ……」
「もう少し、寝てなさい」
 瞼を覆う手の平が、眉間、額、とのぼり、前髪をかき上げ、そのまま頭を撫でた。耳元に髪が落ちて、暖かいままの指先がそれを払う。耳度に触れたその指先がくすぐったくて、思わず身を竦めると、エルヴィンはもう一度、寝てなさい、と繰り返して、頭を撫でた。優しいのに、やっぱりどこか恐々とした余所余所しい、間違った触れ方。
 リヴァイは目を閉じたまま、何も言わないでいた。言葉を音にして、そのまま遠ざかってしまうことが怖い。けれど、それ以上に、たとえそれがどんな触れ方であっても、心寄せた者の手を拒めるはずがなかった。
正しく愛して