癖も特徴もないその髪を、撫でる。一定のリズム、呼吸に乗ってゆっくりと優しく。無心に、けれど折原の思考が完全に止まることはない。
 彼の膝の上に抱えられ、その頭を抱き抱えてどれほどの時間が経ったのか、折原は正確に把握していない。取るに足らない時間。きっと短くもなく、長くもない。その時間の中でふとした瞬間、まるで犬猫をなでているような錯覚に陥るが、折原がそれを取り違えることはない。当たり前だ。どうすれば愛しい愛しい人間を、犬や猫なんかと間違えることができようか。
(あぁ、そうさ。できるはずがない)
 こんなにも狂おしい存在を。折原は小さく笑いながら、もう一度その髪をひと撫でした。途端に、己の肩を抱く手の平に力がこもる。じわじわと伝わるそれは何だっただろうか。とぼけてみせたが折原は知っていた。
「臨也さん……」
 触れられる喜び、拒絶される怯え、どうしようもない哀しみ、そして僅かな劣情。様々な感情が織り交ざった声が折原の名を呼ぶ。その声から、折原はすべてを正確に感じ取る。彼が何を思い、何を渇望するのか。脳裏にその答えは当に出ていたが、折原はそっと目を伏せ、ただ黙って彼の声に耳を傾けた。ちらりと視線を窓に向ければ、夜空に浮かぶ月が青く丸かった。
「臨也さん、臨也さん、臨也さん……臨也さん」
 紡ぐたびに上書きされるそれは、不満、懸念、焦慮、不安。隠しているつもりだろうけど、無駄だ。折原にはやはりそれらすべてを正確に感じ取ることができた。例えばそれを本人にこぼすと、決まって彼らはなぜわかったのかと驚き、眼を丸めるが、折原にしてみればそちらの方が不思議だ。こんなにも彼らの声は、表情は、動作は、気付いてほしいと言わんばかりに主張しているのに。
(皆、愛が足りないんだよ…人間への愛が…)

「臨也さん」
「臨也さん、臨也さん、臨也さん――――」
「臨也さん……」
「なぁに……?」
 幾度名前を呼ばれただろうか。初めて折原が言葉を返すと、肩を抱く腕からわずかに力が抜ける。痛いほどに抱かれていたのだろう。じんわりとした痛みが、纏わりつくように肩を覆う。
「臨也さん」
 返る声に安堵が混じる。分かりやす過ぎる声の変化に折原は声をあげて笑いだしたくなる。己の返事たった一つにやきもきと不安になってみせたり、ほっと安心してみせたり。ただそれだけなのに、本当になんて面白い存在なんだろうか。人間とは。
 折原は胸に抱いた彼の頭に頬を寄せ、強く強く抱きしめた。強張る身体など気にせず、猫のように背を丸くしながら抱きしめた頭をまた撫でる。一つ息を吐いて、ゆっくりとその髪の感触を味わう。そうして胸の奥深くを満たす愛しさに折原はただただ酔いしれた。
だから愛せずにはいられない