綺麗に整った指に、端から一本ずつ触れる。はじまりは根元から。そのまま基節から第二関節へと続き、さらに中節、第一関節、そして最後に滑らかな爪を撫でる。染まらぬ色をした指先は、花車な手の平と一緒にいつもひやりとして冷たい。夏はとても心地よくて、冬は少し寂しくなるような温度だ。それでも季節関係なく触れてしまいたくなるのは、つまりはそういうことなのだと津軽は、思う。

「あ……、」
 いつものように自身よりも細い身体を抱え、一回りほど小さな手の平を撫でていた。されるがままに投げ出されたそれは相も変わらずに冷たく、そして心地がいい。そんな心地のいい感触の中に、一つだけざらりとした歪な感触があった。
「なぁに……、」
 どこか曖昧とした声は、きっと眠いのだろう。見上げてくるその目は瞼こそは開かれているが、赤い色彩の向こう側でぼんやりとした色が揺れていた。無防備であどけない、まるで小さな子供のような表情。思わず目尻が緩んだ。普段はその秀麗な顔立ちに見合った大人びた横顔ばかりしているから、ふとした瞬間に垣間見せるその表情は津軽の胸の一等深いところに不思議な律動を与える。それはいうなれば父母が子を、兄姉が弟妹を想うものに似ていてた。けれど、それと同時に何よりも明確に違うものでもある。
 無意識に目を閉じて胸の律動に意識を傾けていると、袖を緩く引っ張られはっとした。つがる?と名前を呼ばれて、あわてて視線を向け直す。どうかしたの、とでも言うように首を傾げられ、またしてもあどけない子供のようなその仕草に目を細めながら彼の手を握った。ごめん、と一言告げて、無視したつもりはなかったんだと爪を撫でる。
「爪、」
「つめ……?」
 そう、爪、と頷き返して、赤い瞳から爪へと視線を移し、すぐに視線を戻した。そうして更にもう一度爪へと視線を移して見せると、釣られるようにして小さな頭がことりと動く。自身の指先をじっ、と見つめ、少しの沈黙を挟んで折原は、あ、と先の津軽と同じようにして声を漏らした。
 どうやら、今の今まで気が付いていなかったらしい。綺麗な綺麗な手の平の真ん中から伸びる一本の指の爪。その爪の先だけが無造作に引きちぎられたかのように不自然でぎざぎざとした歪な形をしていた。
「爪切り、取ってこようか」
 問いかけに折原は首をかしげて黒髪を揺らす。癖のない真っ直ぐなその髪に首筋を撫でられ、少しくすぐったかった。
「いいよ、めんどくさいし、」
 放っておいて、と折原は言って、瞼をおろした。ひっそりと静かに息を吐いて、そのまま本格的な眠りの中へ意識をゆだねようとする。指先から力が抜けていくのを感じた。手を離せば、その指先は重力に従い力なく垂れ下がるだけになるだろう。津軽はつい眉を八の字にした。
 歪な爪先は放置しておいても確かに大した問題などないだろう。けれど、ふとした拍子にその鋭利に尖った断面が折原の肌を傷つけないとは限らない。それは津軽にとっては避けるべき事態であった。できることなら、彼の肌に滲む血の色など目にしたくない。
「臨也」
 しかし名前を呼んでも返ってくるのは、うん、となんの返事にもなっていない小さな声だけだ。顔を覗き込むと、そこには警戒も危惧も何もない穏やか寝顔があって、風に吹かれた青草がそうするようにして、津軽の心はどうしようもなくそよいだ。安穏と狼狽。二つの感情が緩急をつけてゆらゆらと、そしてけたたましく律動を繰り返す。
 こんな風に無防備に身体を預けてくれるようになったのは、一体いつの頃だろうか。指先に触れても戸惑うように引かれなくなったのは、近くに寄っただけで目を覚まさなくなったのは。少なくともこうして触れ合うようになって、もうそれなりの時が経っているはずだった。だと言うのに、折原に触れるその一瞬、津軽の心臓は一際大きな音を一つ鳴らす。思春期の男子中学生でもないというのに情けない。そう思わないでもない。でも、仕方がない。

「……仕方ない、よな」
 言葉だけは不本意に、しかし表情は緩やかに津軽は折原の身体をそっと抱え直した。彼が起きたら、一番に爪を整えてあげよう。ひっそりと胸の内で決意して、指先を包み込む。こうしていれば、歪な爪はどこも傷つけることなくいられるだろう。
「おやすみなさい」
 遂に返ってくる返事はない。代わりに深く小さな寝息が聞こえて、また一つ心臓が大きな音を立てる。少し痛くて、ちょっと苦しくて、けれどとても暖かい不思議な律動。なんとも狂おしく、ひたすらに愛おしい。つまりはそういうことなのだ。だから仕方ない。津軽は、そう思う。
簡単な答え
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(津軽臨)