爆豪は苛立っていた。いつものことじゃないか、と言われたらあまり言い返せないが仕方がないことだと少なくとも爆豪本人は思っている。あぁ、そうだ仕方がないことだ。よく分からん連中に、よく分からん理由で、よく分からないまま仲間に誘われ、そのまま監禁生活を送っているのだ。これで苛立つなと言うほうが無理な話で、暇あれば爆豪は苛立っていた。なんせ、今の爆豪にはいくらでも暇がある。

 爆豪の押し込まれた部屋は広さこそは申し分ないが、置かれているものはベッドにテーブル、勝手に用意された衣服が入っているクローゼットに小さな簡易冷蔵庫ぐらいだ。エアコンも完備されているしシャワーとトイレも備え付けられているがテレビだったりパソコンだったり、本やゲームといった娯楽の類は一切用意されはいなかった。
 こんな部屋で、一日中なにしてろというのか。できることといったら、せいぜい身体が鈍ってしまわないように筋トレに励むことくらい。だが、それも一日中していられるものではなく、爆豪は大半の時間を暇で持て余していた。
「くそが……」
 いつもの悪態を吐き捨てて、爆豪はぐぅっと眉間にしわを寄せる。なっていない。敵連合のやつらはまったくもってなっていない。仲間にしたいと言うのならもっと優遇しろ。接待しろ。仲間になってやってもいいと思えるよう工夫を凝らせ。
(まぁ、それでも絶対に仲間になんかなんねぇけどなっ!)
 けっ、とさらに吐き捨てる。そして、少し悩んでからけっきょく爆豪はバーのほうへと移動することに決めた。バーには必ず誰かしらの姿があるためあまり行きたくないのが本音だが、あそこにはテレビがある。爆豪がこの建物内で行動を許されている範囲で唯一存在する娯楽。できる限り敵連合のやつらと顔などあわせたくないが、ある意味いまの爆豪にとって最大の敵とは敵連合の連中ではなく無為に続く“暇”であった。


「あぁ、爆豪くん。いいところに来たね……ちょうど君の話題に入ったところだ」
 バーにつけばさっそく死柄木の姿がそこにはあった。あとはオカマとトカゲ男の二人。二人の姿を見て爆豪は、あぁ今日は比較的マシな奴らだった、とこっそり思う。敵連合に所属している時点でまともではないが、あの二人は無駄にちょっかいをかけてきたりだとか、突拍子もないことをしでかしたりしない分、まだマシ枠として爆豪に認識されていた。
 ちなみに外れ枠は目つきの怪しいイカレ女とテンションのおかしいタイツ男と背の高い継ぎ接ぎ男だ。そして最大の外れが死柄木弔であるのだが、こいつに関してはもうほとんど諦めている。どういうわけか爆豪がバーに顔を出すと、はじめはその場にいなくとも遅れて姿を現すことが多い。誰かがいちいち連絡しているのか、それとも気がつかないだけでどこかに監視カメラでも仕掛けられているのか。なんにしても、勘弁してほしい。
「俺の話題って、なんだよ……」
「ワイドショーよワイドショー。今日もあなたの話題で持ちきりよぉ」
「あぁ、そうかよ。くっそどうでもいい」
「もう、相変わらず生意気な口の聞きようね!」
 お前の口調のほうが鬱陶しいわ。
 内心で突っ込みながら爆豪は、カウンター席に座る死柄木から三席分離れた位置に腰を下ろした。死柄木に関してほとんど諦めているとはいえ、仲良くする気もなければ、隣の席に自分から進んで座る気もない。

『雄英高校の生徒、爆豪勝己くんが敵に攫われてから今日で十日経ちました。警察、そしてヒーローは以前として攫われた勝己君の居場所は突き止められないまま、必死の捜索活動で続いています』
『また勝己くんを攫った敵から雄英に対して交渉や要求の連絡が届くこともなく、やはり敵の狙いは勝己くん本人である説が濃厚となっております』

 カウンターに頬杖をつき、テレビに耳を傾ければ見覚えがあるような無いような女性タレントと男性タレントが交互に堅苦しく文章を読みあげていた。
「ははっ、まだ居場所もわからないってさぁ。警察もヒーローも無能揃いだなぁ」
「…………」
「なぁ、爆豪くん」
「俺に話振んなや。黙って見てろよ」
 素っ気なくあしらえば、やれやれと言わんばかりに死柄木は肩をすくめた。むかつく仕草だ。だが、無駄に反応したら負けだと爆豪は無視を決め込む。

『今日でもう十日ですか……、勝己くんの安否が心配ですね』
 喋りを少しラフに変えた女が男に話を振れば、男は訳知り顔で頷く。
『安否が心配なのはもちろんことですが、もう一つ、彼がこのまま敵側へと鞍替えしてしまうのではないかという懸念もありますからねぇ』
『そうですねぇ。今回攫われた生徒の言動があまりよろしくないのでは、というのは事件直後からたびたび話題になってはいます』
『体育祭および授賞式での姿はとてもインパクトがありましたからね。あの雄英の体育祭で1位になるほどの実力を持っているだけに、敵になってしまったらと考えるととても恐ろしい話です』
『会見をした彼の担当教師はそのことについては否定的でしたが、どうでしょう』
『担当していた教師ではやはり身内意識がぬぐえないでしょうから、信じる決め手には欠けるでしょうね』

 誰が敵になんかなるかばぁか、と爆豪はテレビに向かって届かぬ罵倒をこっそり返す。だがそこに、大きな怒りはない。あることないこと好き勝手に言われることに苛立ちを覚えないわけではないが、所詮相手はどこの誰とも知らない端役どもだ。そんな奴らの言葉などどうでもいいし、誘拐されるなどという失態を犯してしまったのはほかでもない自分自身だ。多少の屈辱は我慢してやろう。そう爆豪は思った。

『この勝己くんは、1年ほど前にも敵に捕らわれてしまったことがあるんでしたよね』
『あの事件も結構有名ですね』
『はい、人質に取られながらも最後まで抵抗の意を示したタフネスボーイとして、当時彼は絶賛されてました』

 しかし、女と男が去年のあの事件に触れたことで爆豪は瞬く間に顔を青くした。いままでの余裕があっという間に飛散して、ぐぅ、と喉の奥が絞まって息苦しくなる。忌々しい感覚だ。爆豪は意識して深く呼吸を繰り返した。落ち着けと強く自分に言い聞かせる。

『思えばこのころから目をつけられていたのかもしれません』
『確かに、ありえない話ではないですね』
『では、少しその事件を振り返ってみましょう』
『はい。当時の映像がこちらになります』

 でも、だめだった。女の言葉で画面が切り替わり、忌まわしいあの事件の映像が流れはじめて、強制的に当時の記憶が蘇る。最悪だ最悪だ最悪だ。冗談じゃないッ。とうとう堪えきれずに爆豪は声を荒げた。
「おいッ、いますぐチャンネルを替えろ……ッ」
「えぇ、なんでよぉ」
「いいから替えろッ!」
「ちょっとちょっと、急にどうしたの」
「……爆豪くんが言うなら替えてやれ」
「んもぅ、わかったわよ」
 替えればいいんでしょ替えれば。死柄木に言われてマグネはチャンネルを手にし、ようやくテレビ画面がワイドショーから飲料水のCMへと切り替わる。途切れたあの事件の音声に爆豪はいつの間にか詰めていた息を、はっ、と短く吐いた。
 ただの端役になんと言われようと気にならない。これは間違いなく爆豪の本音である。だが、あれだけはだめだ。あの事件だけはだめなのだ。それがたとえ同情の言葉でも、賛美の言葉でも、何人たりとてあの事件に軽々しく触れるのは許さない。それだけは、どうしたって許せるわけがなかった。
「くそッ」
「あらー、どうしたの急に不機嫌になっちゃって」
「うるせぇ、話しかけんなっ」
「そんな邪見にしないで、ジュースでも飲む?」
「馬鹿にしてんのか」
 機嫌を取りたいというのならジュースなんて入れてないで敵らしく、いますぐにでもあのテレビ局ぶっ潰してこい。語気強くさらに言い返そうとして、だが、爆豪はぐっと口を噤んだ。
 潰してこい、なんてのは当然ただの八つ当たりじみた戯言だ。冗談だ。本気じゃない。けれど、それで万が一にでも本気に取られて実際にテレビ局をぶっ潰されたらたまったものではない。だから、絶対に口にしない。敵連合が相手だろうと、場所が敵の拠点であろうと態度も言葉遣いも変えるつもりは毛頭ないが、これでも吐きだす言葉は慎重に選んでいる。
 だというのに、だ。

「ぶっ潰してきてあげようか?」

 まるで爆豪の心を見透かしたように死柄木がそんなことを言うものだから、心臓が嫌な感じに跳ね上がった。もちろん、そんな無様な姿はおくびにも出さなかったが、馬鹿言ってんじゃねぇよと一笑するほどの余裕までは持ち合わせてはおらず、爆豪はいささかかすれた声で、なに言ってんだ、と返した。
「だって、あいつらの言うことムカついただろう? 君のことなんにも知らないくせに、好きかって言っちゃってさぁ」
「…………」
「だからさ、テレビ局潰して、さっき喋ってた二人の首をお土産に持ってきてやるよ」
「……俺のこと知らねぇのも、好きかって言ってるのも、てめぇだって一緒のくせに」
「俺? 俺は違うさ。だってこうしてちゃんの君のこと傍において、君のことを知ろうとしている。あいつらとは全然違う」
「…………」
 どこがだ。むしろてめぇら以上に厄介でムカつく存在なんて早々ありゃしねぇぜ。
 そう言ってやりたかったが、どうせ無意味に笑われて流されることは目に見えていたから、やめておいた。あぁ、嫌な感じだ。嫌な空気だ。死柄木の機嫌は悪くない。むしろ、楽し気でもある。だが、厄介であることに変わりがなかった。機嫌が悪くても良くても面倒な男なのだ。この死柄木弔という男は。
「……テレビ局なんかぶっ潰したって、お前にはなんの得もねぇだろうが」
「そうだなぁ、確かに敵連合的にはたいして得はないなぁ」
 なんだそれは。憮然としていると、にっ、と口元に不気味な笑みを浮かべながら、死柄木は続ける。
「だけど、爆豪くん、君が望むなら壊してやるよ」
「お、れが……?」
「あぁ、そうさ。テレビ局だけじゃない。雄英も、ヒーローも、ぶっ壊してやるよ」
 君が望むならば。全部、全部全部!
 いっそ無邪気とすら取れる楽しそうな声。なにがそんなに楽しいのか。爆豪には理解できない。したくもない。なぜ、どうして。
「てめぇ、は……」
「ん……?」
「なんで、俺にそこまでする」
「……さぁ、なんでだろうなァ」
 死柄木は煙に巻いているのか、はたまた本当に自分でもわかっていないのか判別つかない様で、はははと笑う。かと思えば、すぐに浮かべていた笑みを引っ込めると、あれ、と腑抜けた声とともにふいに死柄木の手が爆豪の左手首を掴んできた。

「ッ……」
 急な固く乾いた感触に今度こそ思わず身体がはねた。反射的に振り払おうとして、しかし見た目のわりに強い力でもって掴まれた手首が自由になることはなかった。すす、とかさついた死柄木の親指の腹が衣服越しに脈の上を撫でて、ぞわりとした嫌な感覚が背筋に走る。離せよ。ちいさく抗議したが、死柄木は爆豪の言葉など聞いてもいない様子で、あぁ、と嘆息を漏らす。
「シャツのサイズ、あってないな」
 は、と聞き返そうとした声は掠れてうまく発せられなかった。
 爆豪がいま着ているYシャツは部屋にあったクローゼットに入っていたもので、確かにそれはいつも着ているサイズよりも一回りほど大きく、袖が手首を越して平の部分まで覆っていた。しかし、それがなんだというのか。いままでの話とどう関係があるというのか。
「離せよ」
 手を引き寄せる。だが、やはり無駄だった。がりがりの痩躯のどこからこんな力が出るのか、不思議なくらいだ。
「あの二人の首のついでに、ちゃんとサイズのあったものを調達しようか」
 お気に入りのおもちゃを手のひらで転がすように、何度も何度も脈に指を滑らせながら、なんでもないことのように死柄木は言う。首と服。そこになんの違いもありはしないのだと、確信して疑わない声色。物騒極まりない発言であるはずなのに、爆豪はそこにガキ臭さを感じ取った。善悪の価値が希薄なちいさな子どもの気配。

 正直言って、爆豪にとっても世間一般の善悪の価値とは希薄なものだ。ただただすべては自分だけのもの。良いことだからする、悪いことだからしないのではない。必要だと思ったから、そうしたいと思ったからする。必要ないと思ったから、そうしたくないと思ったからしない。そこには善行も悪行も関係ない。
 だが、爆豪は知っている。なにもかも関係ないと、知らんふりして生きていけるほど世の中甘くはない。どれだけ傲慢に、どれだけ自分本位に振る舞って見せても、最後の一線というものがあることを理解している。はたから見たらどう映ってるかは知らないが、少なくともそのつもりだ。けれど、死柄木は、この男にはその一線などない。そんなことはじめからわかりきっていたことなのに、あらためて実感する。こちら側とあちら側の人間の違い。

 譲れないものと、どうでもいいもの。爆豪にはその二つの違いが明確に存在しており、多いのは断然後者のほうだ。それこそ見知らぬ人間のことなど、どうでもいいものでしかない。ましてやそれがついさっきまで自分のことを好き勝手言っていた人間ならば、なおさらどうでもいい。むしろ箪笥の角に足の小指でもぶつけて不幸になってしまえとすら思う。あの事件に触れた罪を考えれば、軽すぎる罰だ。だが、ここでどうでもいい、勝手にしろよ、と投げ出してしまってはいけない。こちら側の人間である爆豪はそれがわかっていたから、ため息を吐いたのちにそっと死柄木に告げた。
「いらねぇよ。服も……首も」
 本当にうんざりする。なんで自分がこんなことをせねばならぬのか。他人のフォローなど勘弁してほしいのに、すべての元凶はなにがいけないのか理解できない顔で首をかしげていた。
「…………なんで? なんで、いらないだよ」
「……服なんざ、この程度のサイズ違いなら別に困らねぇし、……首、は、……べつに貰っても邪魔なだけだ。きたねェだろうし……だから、いらねぇ」
「ふぅん、……貰っても、嬉しくない?」
「……あぁ、そうだな。嬉しくねぇ。だから、いらねぇよ」
 念押しするように重ねて言えば、ふぅん、と死柄木はわかってるんだかわかってないんだか曖昧な反応を見せた。得体のしれない手の隙間から覗く目が瞬きを繰り返す。爆豪はその目をじっと見返した。
「そうか……爆豪くんが嬉しくないなら、やめておくか」
 ようやく且つ唐突にぱっ、と手首が解放される。そして、そのまま死柄木はまるで一切の興味を失ったように、喉乾いたな、などとこちらの気も知らずにのんきな声色でのたまう。まじで、心底、本当に、くっっっそふざけんじゃねぇぞ。青白いその横顔を渾身の力でもってはっ倒したくて仕方がなかった。叶わぬ願望だ。それすらもわかっている爆豪は黙ったまま死柄木の指の感触を消すように何度か手首をこすった。ふぅ、と大きく息をつく。ただテレビを見に来ただけのはずなのに、ひどく疲れた。

「……お前も大変だな」
 隅のほうで二人のやり取りを黙って見ていたらしいトカゲ男が小さな声で言う。うるさいこいつと同じあちら側のやつが言うなと言い返す気力は、今の爆豪にはもう残されていなかった。
大人のいない城