「おい、届けもんだぜ」 声とともに部屋の扉が開いたのは、ちょうどシャワーから上がったときのことだった。ノックもないいきなりの開扉に、爆豪は濡れた髪を乱暴に拭いながら入り口に立つ男をにらんだ。 「勝手に開けてんじゃねェ」 さっそく文句を飛ばせば、全身継ぎ接ぎだらけのその男は呆れた表情で肩をすくめる。 「勝手に開けなきゃ返事もしねぇ奴が言ってんじゃねぇよ」 「ふざけんな。てめぇらしかノックしてこねぇ状況ではいなんですかーなんて返事、誰がするかよ」 「だから返事なんざしなくてもいいように勝手に開けてやってんだろうが」 手間を省いてやってんだから感謝しろよな、と言いながら継ぎ接ぎ男こと荼毘はそのまま部屋の中へと足を踏み入れてきた。だからなに勝手に入ってきてんだよ。爆豪はさらに鋭くにらみつけるが、荼毘は気にした様子もなくベッドに腰掛けていた爆豪に向かって手にしていたものを放り投げた。四角い形をした大きな紙袋。反射的に手を伸ばして受け取るが、軽く放り投げた荼毘の仕草に反して予想以上の重量に危うく床に落としかける。 「っんだよ、これ」 「てめぇがこのあいだ黒霧に買ってこいって言ってた本だよ」 「……あぁ、あれか」 両手で紙袋を抱え直し、ごそごそとさっそく中を確認してみればその中には荼毘の言う通り何冊かの本が詰まっていた。漢字の多い小難しいタイトルの本、ミステリー物らしき本、見覚えのある作家の本に複数作家の短編集。そしていくつかの長編シリーズ。ばらけたジャンルに、まぁ悪くないかと黒霧の選出にとりあえずの可を出して、爆豪はぱらぱらと本をめくった。 「おいおい、お礼の言葉も無しか」 「……はぁ?」 「わざわざ持ってきてやっただろうが」 「そもそもの原因を考えりゃ言う必要がねぇのは当然だと思うが」 誰のせいで本の一冊も買いに行けない生活を送らされていると思っているのか。ふんっ、と爆豪は顔を背けた。そのまま、用が済んだならさっさと出てけよ、と吐き捨てる。すると荼毘は、はぁ、とわざとらしくため息をついてみせた。 「まったく、相変わらず気の強いお姫さまだ」 いびつな口から吐かれた言葉に爆豪は、びき、と目元を引くつかせた。 「……てめぇ、その呼び方やめろって言ってんだろうがァよぉ!」 獣が威嚇するかのように声低く吐き捨てる。この台詞をもう何度言ったことだろうか。覚えてはいないが、少なくとも一回や二回じゃないことは確かだ。 お姫さま。本来ならばまるで馴染みなどないはずなのに、嫌というほど耳にさせられた呼び名。嫌がらせのつもりなのかなんなのか知らないが、この男は爆豪のことを「お姫さま」などととち狂ったとしか思えない響きで呼ぶことが多々あった。男が男に向かってお姫さまだなんて、聞くのも言うのもどちらも気色悪いことこの上ないというのに、荼毘はそんなこと気にも留めてない様子でお姫さまと呼ぶ。いくら爆豪がやめろと言っても聞きゃしない。 「仕方がない。攫われて捕らわれるのはお姫さまって相場が決まってんだ」 「っざけんな、てんで理由になっちゃいねぇんだよ」 「これ以上ないくらいぴったりだろ。あぁ、それとも籠の鳥のほうが好みか?」 だったら俺のために美しい声で歌ってみてくれよ赤い目の金糸雀さまよォ。 そう言うと荼毘は堪えきれない様子で、ふはっ、と笑った。高い位置から、にやにやと楽しそうに爆豪を見おろすその顔のなんと腹立たしいことか! だからこいつも外れ枠なのだ。 この男は、あの死柄木とはまた違った嫌悪感を抱かせる。たとえば、死柄木の悪意が子どものような無邪気さを伴ったナチュラルのものならば、荼毘の悪意は明確にこちらを不愉快にしてやろうという厭らしさが混じっていた。こちらが嫌がれば嫌がるほど相手の思うつぼで、かと言ってまるっきり無視してしまうには荼毘の言葉一つ一つが激しく業腹だ。 「あぁ、もうくそがッ!!」 「ダメだぜお姫さま。そんな汚い言葉じゃ、金糸雀にはなれねぇぞ」 「うっせぇッ気持ちわりぃんだよ!」 誰でもいいからあいつの口元をしっかり縫い直しておけよと思わずにはいられないほど、荼毘の言葉はことごとく爆豪の神経に触る。そんな苛立ち全開の爆豪に荼毘はにやにやと笑い、そのにやけ顔に苛立ちはさらに煽られる悪循環。なんでこんなやつに本を届けさせたのか。ここにはいない黒霧にまで苛立ちを抱く。 「せっかく暇つぶしの相手をしてやろうって言うのに、そう邪険にすんなよ」 「余計なお世話だ。てめぇと話すくらいなら天井の染みでも数えているほうがまだ有意義だっつーの」 「ひでぇな、お姫さま」 「だ、か、らッ、やめろ」 「無理だ。だって、お姫さまはお姫さまだろ」 「こ、の……ッ」 いますぐにでも爆破してしまいたい。爆豪はふるふると手を震わせた。けれど、実際に爆豪が荼毘に向かって個性を使うことはなかった。あの日、死柄木の顔面に一発喰らわせて以降、極力個性は使わないようにしている。無駄に個性を披露したりして、こいつらに少しでもこの爆破の個性に慣れさせたりしたくなかったからだ。使うならば、ここぞという時。そして今は、そのここぞという時では、ない。わかっている。 「もういいっ、これ以上てめぇの声は聞きたかねェ! さっさと失せろや!」 しかし、わかっているからと言って納得できるかといったらその通りではなく、流石に我慢の限界だった爆豪は爆破の代わりに手にしていた一冊の本を投げ付けた。当然のように荼毘は避ける。それがまた苛立ちを煽った。だが、どうやら苛立ちを煽られたのは爆豪だけではないらしい。 「……前々から、言いたかったがよォ」 どん、と壁にぶつかった本を目で追っていた荼毘がふたたび視線を爆豪に向けた時、その目には先ほどまではなかった色が浮かんでいた。いつもはやる気なく眠たげな眼が、ぐっと細まり、ちり、と空気が揺れる。 「いい加減、お転婆が過ぎるぜお姫さま」 言うや否や、黒い影が部屋を駆け抜ける。は、と身構えたときにはもう遅かった。 「……ぐッ」 喉元に鈍い衝撃が加わると同時に視界がぐらりと揺れる。かと思えば、すぐに背中に柔らかいマットレスの感触がぶつかり、ぎしりとスプリングが音を立てた。ベッドに押し倒されたと気がついたのは、焦点が戻った視界に毎朝見上げている天井と荼毘の顔が一緒に映ったからだった。 「多少のおイタには目をつぶってやってるが、限度ってもんがある」 「っ、く……ぅ」 「お姫さまだからと言って、大事に大事にされるだけじゃねぇってわかってんだろ?」 ぐぐ、と喉元を覆った手のひらが力を込めて圧迫してくる。反射的に手を伸ばすが、すぐにそれも片手で頭上に一まとめにして抑えられた。 「ここに捕らわれている限り、てめぇの命はてめぇのものじゃない」 「…………っ」 「調子に乗るなよ、くそガキ」 低い声が告げる。 「いつ殺されてもおかしくないと、肝に銘じておけ」 見おろしてくる瞳はどろりと暗い。その瞳に、あぁ、と爆豪は思う。抱いた焦りは一瞬だ。すぐに冷静を取り戻した爆豪は抵抗をやめると全身の力をだらりと抜いた。明らかに優位を取られたポジション。押さえつけられた手を個性を使って振りほどく仕草すら見せずに、無抵抗のまま静かに頭上の男を見る。その様子に荼毘は訝しげに眉を上げた。対して爆豪は口端をほんのりと吊り上げてやった。 「……そ、んなの、いまさら、だな」 絞められた喉に声を途切れさせながらも、強気に言い返す。 いつ殺されてもおかしくない? あほか。そんなことは初日から理解している。 「わかってんなら、それ相応の態度を取ったらどうだ」 「く、だらねぇ……」 「この状況でまだそんな口を利くか」 咎めるように喉仏を強く押し込まれ喉が詰まった。だが、爆豪の余裕は消えない。それどころか害をなす手のひらの下でくつくつと楽しげに喉を揺らす。 「はッ、……どぉせ、お前に俺は、殺せな、い」 「ずいぶんと根拠のない自信だなァおい」 「ただの、事実だろっ」 爆豪には確信があった。今この瞬間に、殺されることはないという確信。 だって、そうだろう。 「俺の、生殺与奪を握っているのは……、てめぇじゃ、ない」 仮にいつか用済みとなって処分されるとしても、それを判断するのはこの男ではない。ましてや、生意気だから、気に食わないから、そんな気まぐれな理由で突発的に爆豪を殺してしまえるだけの権限を荼毘は許されていない。許されているとしたら、それは唯一、あの子どものような男でしかない。 「……さぁ、それはどうだか」 「はっ、なら、やってみろよ」 誤魔化す荼毘に挑発を返す。途端に首にかかる重圧が増した。 「ぐッ、……ぁ」 「言ったよな? 調子に乗るなよって」 荼毘の声に隠しきれないほどの怒気がにじむ。手のひらがその怒りと共鳴するようにして、ぐぐっと強く首を絞めてくる。苦しい。足りない酸素に心臓はばくばくと跳ね、視界はちかちかと点滅する。 「命乞いしてみろよ。そうしたら今回は勘弁してやるぜ?」 絞め続ける強さはそのままに荼毘は言うが、爆豪は息苦しさにはくはくと口元を震わせながらも無言を貫いた。身動きすらせず、無抵抗のまま。 次第に息苦しさが消えて、かわりに意識が遠のいていく。視界の点滅が消え白くぼやける。もう、荼毘の顔もよく見えなかった。あぁ、落ちる。やけに冷静に思った。その瞬間。 「ちッ……」 舌打ちとともに首への圧迫がぱっと解かれた。 「かはッ! ぐ、げほッ……はぁッ、はッ、はッ」 洪水のように襲ってくる酸素に爆豪は大きく咳き込んだ。はっ、はっ、はっ、と荒く呼吸を繰り返す。そしてその荒い呼吸の合間爆豪は、ははッと笑ってやった。 「、ほらみろ……っ、やっぱり、てめぇに、は、殺せなかった……」 ざまぁみろ、ざまぁみろ、ざまぁみろ!! 口先だけの脅しにビビるガキだとでも思ったかくそ野郎が俺を誰だと思ってやがる舐めんじゃねぇ。今までさんざん馬鹿にされてきた鬱憤を晴らすように厭らしく笑い返す。酸素不足に頭がひどく痛かったが、成功した意趣返しに気分は悪くなかった。 「あーはいはい、俺の負けだくそガキが。そうだよ、俺にてめぇは殺せない」 今はまだな、と負け惜しみのように言いながらも荼毘は爆豪から両手を離した。だが、押し倒した体制はそのままに爆豪の目を覗き込むように見つめる。その目からは先ほどの怒気は消え、いつもの気だるげで無気力なものへと戻っていた。あぁつまらない。もう少し悔しそうな顔をしやがれ。 「大した意地と肝だよ、お姫さま」 「ちッ……ほんと気持ちわりぃ、本気でいい加減にしろや」 「お前こそ、いい加減諦めてさっさとこちらにきたらどうだ」 「言っただろ。寝言は寝て死ね」 「……まじで理解できねぇな。そこまで意地張って、気ぃ張って、抗って、なんの意味があるってんだ? 今のこの世界にそこまでの価値なんてねぇだろうによォ」 静かな声色で荼毘は問う。 「それともまさか、耐えていればいつの日か王子さまが助けにきてくれるとでも、本気で思ってんのか?」 なぁ、お姫さま。 首を絞めていた手のひらが今度は頬を撫でてきた。まるで正反対なやけに優しい手つき。爆豪は解放された手ですぐにそれを振り払った。ぱしり、と乾いた音が響き、荼毘は片目だけをわずかに細めたが、それ以上の反応はない。 「ふざけろ、誰が人の助けなんて待ち望むかよ」 「…………」 「俺の世界は俺のもんだ。てめぇが勝手にその価値を決めんじゃねぇ」 「……その気の強さ、いっそ感心するぜほんと」 「そりゃ、どうも。くそ野郎が」 「荼毘、だ」 「……あぁ?」 「俺の名前。覚えろよなお姫さま」 「はぁ?」 なに言ってんだこいつ。爆豪は盛大に顔をしかめた。覚えろというのならそう言うお前こそ人の名前を覚えろよと思ったが、名前で呼ばれたら呼ばれたで不愉快に違いなかったので言葉に詰まる。けっきょく、くそ野郎が、ともう一度繰り返すとなぜか荼毘は笑った。むかつく。 |
煩わしいことばかり増えていく |