ふぁあ、と眠たげに欠伸をする爆豪の姿を見たのは少し前のことだったと思う。たぶん、三十分も経っていない。だが、ふたたび爆豪を見てみるとその鋭い両目は綺麗に閉じられた状態だった。いつもはぎゅっと寄せられている眉間のしわもない。明らかに意識を遠くした状態でソファの肘掛けで頬杖をつき、ゆらゆらと絶妙なバランスで頭を揺らしてる。なんとも、見ていて危なっかしい。
「おぉい、爆豪。寝るなら部屋戻ったらー?」
「……んー、」
「完全に聞いてないよねこれ」
 談話室のソファで深い眠りにつこうとしている爆豪に上鳴は思わず声をかけたが、返ってくるのはやけに幼い返事とも言えないような返事。呼ばれた名前に反射的に声を返しているだけで、絶対に内容を聞いてないぞこいつ。同意を求めるように隣を見れば、瀬呂が眉を八の字にしながら笑っていた。
「まだ十時だっつーのに、眠くなるの早すぎだろこいつ」
「だなー。小学生でも最近はもうちょい起きてんだろうに」
 上鳴は瀬呂と一緒に笑った。しかし、その声は不思議と小さいものになっていた。ここで眠られたんじゃ困るから起こそうとしていたのに、起こさないようにと無意識に声をひそめている。
「どうする? このまま寝かしとく?」
「いやぁ、下手したら朝まで起きねぇんじゃねェの?」
「だよな〜、しゃーない。部屋まで運んでやるか?」
 上鳴と瀬呂はさらに目を合わせた。どっちが運ぶ? アイコンタクで交わす会話。
「それなら、俺が運ぼうか」
 そこにふと入りこんできた声があった。ふり返れば、障子が立っていた。どうやら二人の会話を聞いていたらしい。いいの? と尋ねれば、あぁ、とマスクに覆われた顔が頷く。
「ちょうど部屋に戻るところだ。同じ階だし、俺は構わない」
「そっか〜、そんじゃお願い!」
「さっすが、障子! 頼りになる!」
 思わぬ助っ人の登場に上鳴と瀬呂は喜々とした声を上げた。
 これでもヒーローを目指しているのだから、爆豪ひとりくらい運べないわけではないが、パワータイプとは言えない二人にとってやはりそれは重労働であった。しかし障子ならばその点なんの問題もないだろう。実際、お願いお願いと二人に促された障子はその巨躯に見合った膂力で、軽々と爆豪の身体を抱きあげてみせた。おぉ、と思わず感服の声を上げてしまいたくなるほどに、その動作には危うさは全くない。
「っんだよ……」
 しかしなんの衝撃もないまま抱き上げることは流石にいくら力があっても不可能だろう。抱きあげられた動作に大きく意識が浮上したらしい。ぐぅ、と眉間にしわを寄せながら爆豪が不機嫌な声を上げた。だが、それでもやはりだいぶ眠いのだろう。その目は閉じられたままであった。
「よかったなー、爆豪。障子が運んでくれるってよ」
「、ぁ…………?」
「お前、そんなんじゃ絶対に一人で部屋まで戻れんでしょ」
 ぎゅう、とさらに爆豪は眉をひそめた。そこでようやく自身が障子に抱き上げられているのを認識したのか、腕の中で身を起こすとそのまま障子の胸を片手でぐっと押した。
「お、ろせ……」
「おい、危ないぞ。大人しくしろ」
「うっせぇ……ひとり、で、もどれ、るわ…………くそがぁ……」
「いや、そんな目ぇしぱしぱさせといてなに言っちゃってんのこの人」
「大人しく運んでもらえよ爆豪、眠いんだろ?」
「……ね、むく………………ねぇよ」
「はいダウトー!」
 爆豪の反応は明らかに鈍い。どう見ても完全に覚醒しておらず、意識は眠気で朦朧としている。だが、どれだけ眠くともやはり爆豪は爆豪と言うべきか、そのまま大人しく障子に運んでもらえばいいものを、爆豪はいやいやをする赤ん坊か、はたまた抱きあげられたくない猫のように、ぎゅー、と障子の胸を押し返す。自力で立てないほど眠気に負けているくせに、とにかくおろしてほしくて仕方ないようだ。しばらくの間、障子はなんとか爆豪を抱えようと四苦八苦していたが、続く抵抗に障子は仕方なくソファの上へと爆豪を寝かした。爆豪はうぅ〜んと唸りながら丸くなる。
「どうする、これ?」
 上鳴たち三人は顔を見合わせた。

「……爆豪取り囲んでなにしてんだ?」
 そこへふと障子に続いて割りこんでくる声があった。今度は三人そろって振り返る。するとそこには切島が訝し気な表情をして立っていた。まぁ、確かにはたから見たらなんだこの状況ってなるよな。わかるわかる。
「いやねぇ、こいつが寝ちまったから障子に運んでもらおうと思ってよ」
「ふぅん」
「けどこいつ、すっげぇ抵抗してさー。どうすっかって悩んでたとこ」
 寝ててもプライド高いってなんなのこいつー。
 そう言いながら上鳴は爆豪の頬をつついた。うわ、なんか意外とぷにぷにしてる。え、ちょっと気持ちいいかも。意味もなく頬をつき続ける。うぅ、と爆豪は唸るが、目は閉じられたままだ。ちょっと面白い。なんて思って遊んでいると視界の隅にすっと近づいてくるものがあって、上鳴は顔を上げた。いつのまにか切島がすぐ傍に立っていた。その視線はじっと爆豪を見ている。どうした? 尋ねると切島は答えた。
「俺が運ぶわ」
「え、けどこいつめっちゃ抵抗するよ」
「うーん……、まぁ、大丈夫」
 答えになっていない答えを返しながら、切島はすぐに爆豪へと手を伸ばした。まず爆豪の腕を引っ張り無理やり上体を起こし、その頭を自身の首元によりかかせた。かと思えば、そのまま背中と膝裏に腕を回し、よっ、と短い掛け声とともに爆豪の身体を抱き上げた。流石に障子ほど、軽々と、とは言えないが、剛健ヒーローを目指すだけあって人ひとり抱えるその動作に不安定感はない。
「っ、んだよ……」
 ぐぅ、と爆豪がさっそく唸る。眠そうで不機嫌な声。ふらふらと宙をさまよった手のひらが切島の胸に当たると、障子の時と同じようにぎゅーと遠ざけるように抵抗を示す。
「爆豪」
 しかし、切島が一言声をかけるとその抵抗はやんだ。んん? 爆豪が首をかしげながら、相変わらず眠そうな声で尋ねる。
「……き、りしま?」
「おう、俺だぜ」
「んー……」
「眠いんだろ? そのまま寝てていいぜ。俺が部屋まで運んどいてやるからさ」
 切島は、よっ、とふたたび短い掛け声とともに爆豪の身体を抱え直した。爆豪は、んぐぅ、と唸った。また暴れるんじゃないか。上鳴たち三人は思った。しかし予想に反して、さっきまで切島に胸を押し返そうとしていた手のひらはぱたりと腹の上に力なく落ちた。そして、あ、と思った時には三人の耳に、すぅすぅとちいさな寝息が聞こえてくる。
「……寝た?」
「みたい、だな……?」
 えぇなんでぇ……、と上鳴と瀬呂は思った。だが、なにも言わなかった。余計な口出しはしないほうがいい。なんとなく、そう思ったのだ。
「そんじゃな」
 一言。切島はさっさと三人に背を向けると、爆豪を抱え歩いていった。なんだか、普段と比べて素っ気ない。
「……俺は、もしかして余計なことをしてしまったのだろうか」
「いや、障子はなにも悪くない!」
「そうだ! だから気にすんな!」
「……でも、こんどから爆豪が寝てたら最初から切島呼ばない?」
「……そうね、それがいいと思うわ」
「……うむ、よくわからんが俺も同意だ」


◇ ◇ ◇


 切島は真っ直ぐに部屋を目指す。だがそれは爆豪の部屋では、ない。爆豪の部屋を素通りして、切島は自身の部屋へと向かった。両手が塞がっているせいで扉を開けるのに少し苦労したが、なんとか部屋についた切島はベッドの上へとそっと爆豪をおろした。音も立てないほど慎重に。おろされた爆豪はしばらくもぞもぞと身じろぎをくり返していたが、やがて心地のいい場所を見つけたのだろう。猫のように丸くなるとそのまま動かなくなった。静かな寝息が聞こえてくる。
 切島はその音に耳を澄ませながら、じっと爆豪の寝顔を見つめた。眉間にしわのない穏やかな寝顔。それに対して、切島の表情はいささか険しかった。不機嫌だ。切島は自覚があった。いま、自分は不機嫌だ。なぜなのか。その理由もちゃんとわかっている。
「俺以外にそんな無防備な姿見せてんじゃねェっつーの」
 上鳴たちを前に、のんきな寝顔を晒していた爆豪を思いだして切島はむっと吐き捨てた。聞こえていないとわかっていても、言わずにはいられなかった。ちゃちな嫉妬。男らしくないないなぁ。自覚していても、妬いてしまうものは妬いてしまうのだから仕方がない。それなのに、当の本人は切島の気持ちも知らないで気持ちよさそうに眠っている。ひたすら、無防備に。
「……油断、するなよ」
 さらに吐き捨てながら切島は爆豪に手を伸ばした。そっ、と首に触れる。生き物の急所だ。けれど、爆豪は眠ったまま。切島の指先にとくり、とくり、と鼓動が伝わる。爆豪が生きている感触。温かい体温。あぁ、とても胸の奥がぎゅっとする温度だ。思わず指先に力が入った。白い首に、荒れた指先が食いこむ。ぎりぎりと強く、食いこむ。
「っん、ぅ……」
 小さなうめき声があがった。爆豪の声。切島ははっとした。なにをやっているのだろう。すぐに自覚する。それなのに、なぜか指先は白い首筋から離れなかった。指先は食いこんだまま、爆豪は息苦しそうに眉間にしわを寄せながら、ゆるりと瞼を持ちあげた。赤い瞳がのぞく。ゆらゆらと視線がさまよって、やがて、ぴたりと切島を捉えた。
「きりしま……」
 名を呼ばれる。いつもと比べて力のない、ゆるゆるとした声。
「ばく、ごう……」
 反射的に名前を呼び返した。すると指先を食いこませたままの手に、爆豪の手が触れてきた。切島は手を引き剥がされるのかとそう思った。なにしてんだクソ髪が。そんなふうに怒鳴ってくるかと思った。
 だがしかし、爆豪の手は添えるように触れてくるだけで、なにもしてこない。なにも言ってこない。切島の指先は爆豪の首に食いこんだまま、白い肌がいくらか赤みを帯びてきてしまっている。それなのに……。
 す、とまた赤い瞳に瞼が落ちた。沈黙。時計の微かな針の音がやけに耳につく中、その音に混じってすぅすぅと寝息が聞こえてくる。また眠りに落ちたらしい。その瞼がふたたびあがることはなく、安らかな寝息が切島の鼓膜をくすぐった。
「……ッ、」
 はっ、と切島は息を吐いた。
 いつの間にか息を詰めていたらしい。吐いた息に合わせて指先から力が抜けた。そろそろと爆豪の首から手をどける。だが、遅かった。長いこと指先を食いこませていたせいで、爆豪の首には赤い痕が残ってしまっていた。もっと早く、もっと早く爆豪が反応を示してこの指を振り払ってくれれば、こんな痕は残らなかったのに……。責任転換だ。わかっている。でも、そう思わなきゃやってられない。こんなことすら無防備のまま許してしまう爆豪が悪い。
「ほんッと、俺の前だけにしてくれよな……」
 こんな姿、とてもじゃないがほかのやつになんて見せられない。いや、見せてなんてやりたくない。絶対に、なにがなんでもだ。男らしくない独占欲。けど、やっぱり仕方ない。
 切島は爆豪の隣に潜りこむと、そのまま居もしない誰かから隠すように爆豪の身体をぎゅっと抱きしめた。強い抱擁。それでも爆豪の寝息は相変わらず穏やかだ。
ずるいひと
(切爆版深夜のワンライ一本勝負、お題:無防備)