がちゃり、と音を立てて開いた扉の先、見慣れた自室にある見慣れぬ塊に動きを止めたのは一瞬のことだ。すぐにその塊がなんなのか察した障子は、後ろ手に扉を閉めた。か、ちり。できるだけ、そっと静かに閉める。なんで自分がこんな気を使わなければいけないのか。とは、思わない。
「爆豪……」
 声をかける。そうすれば、塊こと爆豪はもぞもぞと緩慢に動いた。仰向けに寝転がり、無防備に首を反らしながら視線だけでこちらを見る。
「また、避難してきたのか」
「…………悪いかよ」
「いや……、」
 構わない。
 そう答えれば、爆豪はふんっと鼻を鳴らしてから寝返りをうって背中を向けた。短いやり取り。だが、それで十分だった。どうしてここに、だとか、なにをしている、だとか尋ねる必要はない。なぜなら、爆豪が人の部屋でわがもの顔で寝転がっているのは今回が初めてのことではないからだ。

 一番初めはいつだっただろうか。その正確な日付を障子は覚えていない。でも確か、その日は雨が降っていたと思う。少しじめじめとした日だった。ラウンジで芦戸が雨の日はうまく髪がまとまらないから嫌だと愚痴り、その隣で耳郎が雨の日は頭が痛くなると同じく愚痴っていたのを覚えている。
 訪問は突然だった。なんの前兆もなく爆豪は障子の部屋の扉をノックしたのだ。どうぞ、の言葉を合図に扉を開けて音もなく部屋に滑り入ってきた爆豪は、ちょっと気まずげな様子で言った。
『……ちょっと避難させろ』
 避難? と首をかしげると爆豪は続けて言った。静かに寝ていたいのに、切島たちがうるさい。だから避難させろ。あまり覇気のない、気だるそうな口調だった。その様子に思わず、どこか具合でも悪いのか、と尋ねると爆豪はきゅっと眉間にしわを寄せた。べつに……。そう答える声にはやはり覇気がなくて、予想は確信になった。切島たちがうるさいと爆豪は言っていたが、おそらく切島たちは騒がしくしていたのではなくて、爆豪のことが心配で構わずにはいられないのだろう。けれど、いまの爆豪はその心配が煩わしくて仕方ないようだ。
『大丈夫なのか……』
『……ちょっと、眠いだけだ』
 続けて尋ねれば、爆豪は素っ気なく答えた。そうして、まだ許可したわけでもないのに、部屋の隅で無造作に転がった。そのまま、ぐぅ、と身体を丸める。もうなにも聞きたくないし答えたくない。静かにさせてくれと、言葉少なに、けれど全身で訴えるような爆豪のその姿に、それ以上の追及をやめた。
 ただ最後に、俺は出ていったほうがいいか、と尋ねた。すると爆豪は一言、構わない、と言った。だから、まぁ、いいかと思った。なにゆえ爆豪は静寂を求めて自分の部屋を選んだのか。障子にはわからない。それでも、寝転がる爆豪は静かだ。ならば、自分も構わない。二人そろって構わないのなら、別にいいだろう。そう思ったのだ。
 以来、ほんの時折であるが、爆豪は障子の部屋に避難しに来ることが何度かあった。気まぐれな野良猫のように部屋を訪れては、部屋の隅っこでそれこそ猫のように丸く寝転がる。障子はなにを言うでも、なにをするわけでもなくそれを受け入れた。


 今日はなにがあっての避難だろうか。でもまぁ、たぶんだが、似たような理由だろうな。力なく丸くなっている爆豪に、障子はだいたいの察しをつける。
「あまり心配をかけてやるなよ」
「……あいつらが勝手に騒いでるだけだ」
 鬱陶しい。爆豪は唸った。障子は、そう言ってやるな、と軽くたしなめる。切島たちは切島たちで心配しているんだ。けど、まぁ、爆豪も爆豪でわかっているのだろう。だから今こいつはここにいるのではないか。なんとなく、障子は考える。
 爆豪は、邪魔だと思ったものには、なんの臆面もなく邪魔だと告げられる男だ。鬱陶しいと思ったらわかりやすく顔をしかめるし、時には容赦なく手を振り上げることもある。けれど、それらをせずにただひっそりと隠れるようにこの部屋で横になるのは、つまるところはそういうことなのではないだろうか。

 音を殺して、足を進める。部屋の隅に畳んでおいた毛布を手に取って、寝転がる身体の上にかけてやる。爆豪は一度目を開けたが、すぐにまた閉じた。そのまま動くことなくじっとしていたが、障子が離れてしばらくするともぞもぞと毛布にくるまった。
 部屋のすみにこんもりと毛布の繭ができる。頭のてっぺんからつま先まで綺麗にくるまって、あれで呼吸は苦しくないのか心配になるが、音をよく拾うことができる障子の耳には、ちいさな呼吸が確かに聞こえてきた。やがてそれは、ゆっくりと、そして深いものへと変わっていく。
 床に直寝などしたら、身体が痛むだろうと思うが余計なことは言わない。きっと、あと一時間もすれば、切島たちが探しても探しても見つからない爆豪の姿に騒ぎ始めることだろう。そうなったら、爆豪は障子がなにかを言うよりも早く自主的に部屋を出ていくのだ。これはやっぱり、そういうことなのだと障子は思っている。
 あの爆豪にも邪険にしきれないものがある。そう思うと、不思議と障子の胸には温かな明かりのよう感覚がぽつりと灯る。もしかしたら、それが人の部屋で好き勝手に振る舞うこの男を許している理由なのかもしれない。かもしれない止まりで、明確な理由まではわからない。だが、それで構わなかった。
隙間の話