いつの間にか爆豪の手のひらなんかよりもよほど傷だらけになった手が、手首を捕らえてきた。ごつごつとした感触が気持ち悪く、自分のものじゃない体温がさらに気持ち悪かった。ぐ、と拳を握る。力任せに振り払おうとして、しかし、生ぬるい体温は手首に絡んだまま、離れることはなかった。それどころか、逆にぎゅっとさらに強くつかまれる。ぎし、と骨が軋むような音がした。
 指の先が、すっと冷たくなる。離せ。直球に告げれば、嫌だ、と緑谷も直球に返してきた。反射的に舌打ちがこぼれた。苛々する。今日の天気は晴れだったはずなのに、雨でも振った日のように頭の片すみがずきりと痛んだ。だが、それはいつものことであったから、爆豪はその痛みを綺麗に無視してみせた。
 なんのつもりだ。今度は声には出さないで、眼差しだけで問いかける。緑谷は爆豪の目をまっすぐに見ていた。眼差しにこめた問いかけを正しく受け取ったのだろう。緑谷は、僕は……、と口を開いたかと思うと迷うように口を噤んで、しかしすぐにまた口を開いて、静かな声で言った。
「君にひどいことがしたいんだ」

 面倒だ。一番はじめに思ったことは、たぶんそれだった。面倒だ。あぁとても面倒だ。わざわざ、なにが、とは言わないが、くそみたいにめんどくさい。でもたぶん、それを言うならこの手に捕まってしまった時点で面倒ごとははじまっていたのだろうから、色々と手遅れだ。嫌になる。
「復讐か」
 うんざりとした表情を隠さずに、爆豪は端的に言った。そうすれば、緑谷は目を大きく見開かせて、びっくりしたような表情を浮かべた。くりくりの犬っころのような目が、ぱちぱちと鬱陶しいくらいに瞬きをくり返す。なんだよ。尋ねれば、緑谷は実際に、びっくりした、と口にした。
「そんなこと、思ってもみなかった」
「……あっそ」
「復讐、なんかじゃ、ないよ」
「じゃあなんだよ」
 さらに尋ねると、緑谷は黙りこんだ。空いているほうの手を顎に添えて、なにかを思案している。その隙に、掴まれた手首を取り戻そうと試みるが、ぴくりともしなかった。強い力。正直言うと、ちょっと痛い。いや、むしろ痛いを通り越して感覚がなくなってきている。この調子だときっと痕になっていることだろう。しばらくは消えない痕に。
 けれど、痕自体は別にどうでもいい。痛みも痺れも構わない。それよりも、じっとりとまとわりついてくるようなこいつの体温をどうにかしてほしい。だから、早く離してほしい一心で、答えは出たかよ、と仕方なく促してやれば、しばらくして緑谷はようやく口を開いた。
「わからない」
 それはくそみたいな答えだった。待ってた数分を返しやがれくそ野郎が。いらっときて強く睨む。緑谷は、びくり、と肩を揺らした。昔から、変わらない反応。そのくせ、手首をつかんでくる手のひらはそのままだ。癪に障る手のひら。これも、昔から変わらない。
「わからない、けど、君にひどいことしたい、って、そう思うことが、あるんだ」
 緑谷はくり返す。にらみつけただけで簡単に肩を揺らすくせに、視線は執拗なほど真っ直ぐに、手首を捕らえたままに言うのだ。ひどいことがしたい。緑谷のそれに爆豪はすぐに答えてやった。あぁそう。ただ一言、無関心に返した。実際のところ、緑谷の言葉になど最初から関心なんてなかった。
 あらたまったような表情をしていたから、いったいなんの話かと珍しく耳を傾けてやったら、どうでもいいとしか言いようのない内容に、むしろ反応に困る。まじでどうでもいい。好きにしろよ。わざわざ伝えに来なくていい鬱陶しい。この、あぁそう、は色々な想いを込めた、あぁそう、だった。無視しなかっただけ、お優しいと思う。だというのに、緑谷を見れば、やつは一丁前に眉をひそめていた。

「ひどい、ことを、してもいいの?」
 僕が、君に、ひどいことを。ちょっと音色を低くした声が尋ねる。窺うようにこちらを見つめる瞳は、まるでご主人様のよしを待っている犬のように従順あり、喰らいつく瞬間を待っているように強かでもある。
 緑谷からしたら、きっと胸の奥に忍ばせていたとびっきりの秘密を打ち明けたようなものなのだろう。それを言葉にして爆豪に伝えたら、なにか変わるものがあるのだと思っていたに違いない。しかし、爆豪からしてみれば、緑谷の暴露もお伺いもなにもかもが意味のないものであった。馬鹿馬鹿しいほどに、意味などない。
 ひどいことがしたい? お前が俺に? あぁそう。答えならさっきやっただろう。好きにすればいい。勝手にすればいい。どうしてだなんて訊く気にもなれないし、どうしてだと説明してやる気にもなれない。だって、そうだろう。お前と俺、もう何年幼馴染していると思ってるんだか。
「そんなもん、いまさら過ぎる話だろうが」
 ひどいことなんて、そんなの、するのもされるのも、とっくの昔から馴れっこだ。
無自覚な手