はじめて触れた爆豪の唇は温かく柔らかかった。ふにゅり、と押しつけられるがまま素直に形を変える。それなのに確かな弾力もあって、思わずむにむにと食むようにその柔らかな感触を楽しむ。気持ちがいい。
 魅力的すぎる感触に、思わず舌先で唇をなぞると、爆豪の肩がぴくりと震えた。その反応に振り払われるかもと一瞬焦る。だが、爆豪は大人しく口づけられたまま。むしろ、小さく口を開くと、唇を舐める切島の舌に自身の舌先を触れさせてきた。唇よりもさらに温かな感触に、切島は爆豪と同じようにぴくりと肩を震わせた。
 ただ重ねるだけのキスをするつもりだった。それだけで満足するはずだった。満足すると思っていた。けれど、実際に唇を触れ合わせても、そこで切島の欲望が完全に満たされることはなかった。むしろ大きく膨れ上がったと言ってもいい。
 もっと触れたい。深く、深く触れ合わせたい。
 衝動のまま切島は絡めていた舌をさらに伸ばすと、爆豪の口内へと差し入れた。
「ん、ぁ……っ」
 爆豪の肩がまたしても揺れる。驚いたのか、まるで制止するように手の平が切島の腕を掴む。気にせずにもっともっとと顔を寄せると、その勢いにか、逃げるように身体を引かれた。だが、切島はそれを許しはしなかった。
 上体を後ろへと逃がす爆豪を追って、ぐいぐいと押しつけるように身を寄せる。それだけでは飽き足らず切島はそのまま爆豪を床へと押し倒すと、決して逃げられないよう腕の中に閉じ込めた。夢中になって口づけを続ける。
「ふっ、ぅ……、ぁ……」
 キスの仕方なんて知らない。ただ本能のまま衝動のまま、ほんの少しの隙間も許さないほどに深く口づけて、より執着に舌に舌を絡める。そのたびに、じわりじわりと唾液が湧いてきて、くちゅりと音が鳴った。ひどく卑猥で、ひどく欲を煽られる音だ。
 時折、くすぐるように上顎や内頬に触れれば、重ねた唇からダイレクトに反応が伝わってくる。できることなら、ずっとこのまま口づけていたかった。それほどに爆豪とのキスは気持ち良く、そしてとても甘かった。

 酸欠で頭がくらくらし出してきたころになって、切島はようやく口を離した。
 名残惜しいが、流石にもう呼吸の限界だ。爆豪が、はっ、と大きく息を吸う。切島も、はぁ、と大きく息をついた。初めてのキスだというのに、二人の息はすっかりと上がってしまっていた。
「しつ、けぇーよ……」
「わりぃ、でも止めらんなくって」
「くそが」
 はぁはぁ、と爆豪は胸を大きく上下させながら荒く呼吸をくり返す。その目尻はほのかに朱に染まっていた。眉間には微かにしわが寄っている。しかしそれは不機嫌とはまた違った、どこか悩ましげな表情だった。
 えろい。切島は端的にそう思った。
 その瞬間だ。ふ、と鼻下をなにかが撫でるような感触を感じた。

 ぽた、ぽた、と赤い液体が爆豪の白い頬に落ちる。
「えっ?」
「あ……?」
 なんだこれは。
 二人そろって首をかしげた。だが、切島はすぐにわかった。真っ赤な色をしたそれは、鼻血だ。己の鼻から垂れ落ちた、鼻血。認識した瞬間、切島は慌てて身を起こした。なんで鼻血なんて……! ぐぅうと鼻を押さえ、そのまま鼻をすする。すると気持ちの悪い鉄の味が口いっぱいに広がって、うぅ、と顔をしかめた。
 なんてことだ。なんだってこんなタイミングで鼻血なんて。いや、むしろこの状況だからこそなのか。爆豪とのキスに興奮したあまりの鼻血なのか。いやいやいや、なんだそれ! かっこ悪いにもほどがあるだろう!
「…………っ」
 切島は恐る恐る爆豪を見た。キスをして鼻血だなんて、呆れられていないか。怒っていないか。引いていないか。先ほどまでの多幸感が飛散して、不安が胸に広がる。
 だが、切島の不安に反して、こちらを見る爆豪の顔はきょとんとしたやけに可愛らしいものであった。
「ば、爆豪……?」
 鼻を押さえたまま、呆けた爆豪に詰まった声で尋ねる。すると、途端に爆豪は口元を片手で覆い顔を横へと背けた。ふるふると肩が震えている。
「えっ、爆豪?」
 どうしたんだともう一度声をかけると、ふっ、とちいさく息を吐くような声が聞こえてきた。ふ、ふはっ……。さらに続くちいさく息の漏れる音。爆豪は呆れも怒ってもいなかった。むしろその正反対だった。肩を震わせる爆豪はめったにないほど楽しそうに笑っていた。
「おっ、まえ……、はっ、鼻血って……っ、キスして鼻血って、おま……ッ」
「ぐっ……!」
「ふくっ、ふはっ……、鼻血っ、鼻血って! なんだそれっ」
「そ、そんな笑うなよ!」
「無理だろっ、だって、こんなん……!」
 くふ、と爆豪は堪えようとするが堪えきれない声を漏らす。
 恥ずかしい。キスで鼻血なんてこの上ないくらいに恥ずかしい。けど、くふくふと笑ってる爆豪は正直言って、だいぶ、いや、かなり可愛くって切島の内心は複雑だった。
 できることならその笑顔はもっと違う理由で見たかった。あぁ、でもでも、どんな理由だろうと笑った爆豪めっちゃ可愛いなぁ! くそぉ、これが惚れた弱みってやつか。鼻を押さえながら、ぐぅ、と唸る。
「いや、でもそれにしたって笑いすぎだろ!」
「ふ、はっ、……、くっ、腹いてぇ……っ」
「ちょっ、そこまでかよッ!?」
 大丈夫かよ、と切島は片手で鼻を押さえながら腹を抱えて丸まる爆豪の背中をさすった。

 爆豪はしばらくひぃひぃとこっちが心配になるくらいに笑い続けていた。
 波が引いてきたころには、笑いすぎたあまりに目にうっすらと涙を浮かべていた。朱色に染まった目尻と合わさって、これはこれでえろい。なんだこいつ。なにやっても俺の心臓わしづかみにしてくるぞ。最強かよおい。
 はぁ、と最後に深く息を吐いて、爆豪はようやく身を起こす。
 そして爆豪は言った。
「お前、キスだけでそれって、そんなんでこの先大丈夫かよ」
「は? こ、この先、って……」
 言い淀むと、爆豪はにやりと笑う。
「なんだてめぇ、あんだけねちっこいキスしといて、この先には興味ありませんってか?」
「え、え、それって、そのッ、えぇっ!?」
「まぁべつに? てめぇがそれでいいならそれはそれで構わねぇが」
 言いながら爆豪は自身の顔についた切島の鼻血を親指で拭った。かと思えば、指についた血をぺろりと舐め、まっじぃ、と吐き捨てる。その様に切島はひゅっと息を飲んだ。おまっ、ちょ、なにしてんだよ。そう思ったのに、声が出ない。爆豪はそんな切島を見て目を細めた。

 爆豪が手を伸ばす。白い手は鼻を押さえ続けていた切島の手を掴んできて、そのままぐいっと強引に引っ張られた。切島は爆豪が望むままに手を預ける。その手はすっかり鼻血で汚れてしまっていた。だというのに、爆豪は捕まえたその手に顔を寄せると、おもむろに舌を伸ばして、ぺろり、と血濡れの指先を舐めはじめた。
「ば、くごう……っ!?」
 動揺に思わずひっくり返ったような大きな声を上げてしまった。
 その声に爆豪は切島に視線をよこしたが、すぐに目を伏せた。ぺろりぺろりと濡れた舌先が血を拭うようにして指を舐め続けてくる。切島は呆然と目を見開き、その様子をただただ見つめた。
 やがて、爆豪は自身の唇をひと舐めしてから、舌先を引っ込めた。けれど、それで終わりではなかった。爆豪は舐めるだけでは物足りぬように、ふと口を開けるとそのまま切島の指を口に含みだしたのだ。
 舌で散々に堪能した温かく柔らかな感触に人差し指と中指が包まれる。
「っ!」
 舌が指の根元から先までをゆるゆるとゆっくり撫でる。もうとっくに血はついてないだろうに、何度も、何度も。ちゅ、ちゅ、とちいさな音が止まない。
 切島はひたすら固まっていた。なにが起こっているのか。頭が処理しきれないでいる。ただ、じわじわと沸き起こるよくわからぬ衝動に駆られた切島は、深く咥えこまれた二本の指で、ぐ、と爆豪の舌の根を押した。
「ぐ、んぅ……」
 爆豪が喉奥で鳴くようにうめく。その声にぞわぞわと背筋が騒いだ。
 さらに指先で好き勝手に温かな口内を撫でるとそのたびに爆豪は、ん、ん、と鼻から抜けるような声をあげ続けた。目尻が、またしてもじわじわと朱色に濃く染まっていく。とても美しい色合い。
「ばくごうっ」
 たまらなかった。爆豪のなにもかもが切島を煽る。わかっててやっているのか。それとも完全に無意識なのか。わからない。けど、どちらにしても同じことだ。
 切島はこれ以上耐えることができず、乱暴に咥えられた指を引き抜いた。
「はっ……ぁ」
 爆豪の息は荒かった。切島は爆豪の息が整うのも待たず、性急にその唇へと噛みついた。もう散々好き勝手に堪能した口内を、ふたたび自身の舌でしつこく撫で舐める。血で濡れた舌にさきほどまでの甘さはなく、鉄臭い血の味ばかりが舌に広がるが、まるでそんなの気にならなかった。
「ん、ん……ぁッ」
 二度目のキスに爆豪は苦しそうな声を上げた。それでも爆豪は振り払おうとするような仕草は見せず、それをいいことに切島は思う存分に舌を絡めた。気持ちがいい。ただ舌と舌を絡めせているだけなのに、なぜこうも気持ちがいいのか。
 キスがこんなにも気持ちの良いものだとは知らなかった。あぁ、でも、たぶんキスが気持ちいいのではなく、爆豪とするキスだからこそ気持ちがいいのだろう。爆豪はどうだろう。爆豪も気持ちがいいのだろうか。気持ちがいいとしたら、それは自分が相手だからだろうか。できたら、自分と同じであるといい。

 またしても息が苦しくなったころになって口を離す。
 今度は大丈夫だろうか。そう思ったところで鼻の下を撫でるあの感触がした。
「ふ、……く、はっ」
「……もう好きなだけ笑ってくれ」
「おまっ、ほんと……、もう、どんだけだよっ」
「しゃーねぇだろ! 勝手に出てきちまうもんはよぉ」
「ははっ、情けねぇな」
 そう言うと爆豪は切島の顔を掴むと自分のもとへと引き寄せた。そうして今度は血で汚れた切島の鼻下をぺろりと舐めてきた。やっぱまじぃな。そう言いながら、猫か犬のように何度も。もうなんなのこいつ!
「はっ、全然止まんねぇでやんの」
「……言っとくけど、全部おめぇのせいだかんな」
「知るかよ、てめぇの鼻が弱っちぃせいだろ」
「いいや、おめぇのせいだ!」
 キスで鼻血を出すなんて恥ずかしいからさっさと止めてしまいたいのに、爆豪のやることなすことがいちいちえろいせいで興奮が治まらない。だというのに爆豪は素知らぬ顔で、べぇ、と見せつけるように舌を出す。赤い舌が自分の血のせいでさらに赤く、ぬらぬらとしている。だぁから、そういう挑発するようなことやめろっての! 切島は強く鼻を押さえた。
 爆豪は、ふんっ、と鼻を鳴らして笑う。どこまでもふてぶてしく、それでいてどこか妖艶な笑い方。さらに爆豪は切島の股間を見下ろして、口端を吊り上げた。どうして笑うのか。確認するまでもない。己の股間が今どのような状態になっているのか、わからぬはずがない。けれど、これは不可抗力だ。好きで好きで仕方がない爆豪にあんなえろいキスやえろい指舐めをされて反応するなとか、どんな無茶ぶりだよ。
「どすけべ野郎」
「うっせ。だいたい爆豪だって人のこと言えねぇだろ」
 爆豪だって決して無反応ではない。その事実がまた切島を煽る。自分はどこまで爆豪に弱いのだろうか。
「鼻たれのお前よりましだ」
「鼻たれじゃねぇよ!」
 大声を出した拍子に、またたらりとした感触。
「く、ふ……っ」
 爆豪は飽きずに笑う。
 何滴かの鼻血が爆豪の服を汚してしまっているというのに、怒る気配など微塵もなく、どこまでも楽しそうだ。いっそのこと上機嫌と言ってもいい。
 そんなのに鼻血がツボにハマったのか……。ちょっとよく分からないツボだ。そう思ったところで、はっ、と切島は気がついた。
「爆豪、おめぇさ、もしかしてだけど……」
「あ?」
「その……、実は俺がキスしたいって言いだすの、待ってたりした?」
 切島は尋ねた。爆豪は、ぱちり、と瞬きをした。

 ずっと自分ばかりがそう言うことをしたいと考えているのではないかと、そう思ってた。だから、キスをしたいと告げたら、どういう反応が返ってくるのか怖かった。だから、思いのほか素直にキスをさせてくれた爆豪にちょっと驚いたし、安堵した。男同士であろうと、キスをしてもちゃんと受け入れてもらえるほどに、ちゃんと自分たちは恋人であったのだと。
 けれど、やけに機嫌のいい爆豪にもしかしてと思った。鼻血を出した切島が面白いだけにしてはあまりにも上機嫌すぎる。でも、本当は爆豪も切島がこうして動き出すのをずっと待っていたのだとしたら、上機嫌の理由に説明がつくのではないだろうか。
 爆豪は切島がキスをしても、舌を絡めても、押し倒しても、大きな抵抗を見せるようなことはなかった。嫌悪の一つだってないまま、切島が格好悪く鼻血を出しても、服を汚しても、勃起すらしてしまっても笑って受け入れてくれた。これは、切島が自身で思っているずっとずっとそれ以上に、爆豪も自分のことを好いてくれているからではないだろうか。
 どきどきと切島は、キスがしたいのだと告げた時とはまた違った緊張を抱きながら爆豪の返事を待った

「切島」
「な、んだ」
「……次は、鼻血出ねェようにしろよ」
 爆豪は切島の問いには答えなかった。
 だが、十分だった。爆豪の言葉の意味。次に鼻血が出なかったその時は……。
 想像だけで、うぐ、と切島は鼻を押さえた。どこまでも格好がつかない。そんな切島に爆豪はやはりくふくふと楽しそうに笑う。あぁ、もうまったく! 可愛い奴め!
重なる想い