「ほら、爆豪、もっと食えって」 「食っとるわ、うっせぇなぁ」 「もっと食えって言ってんの。なに食う? 肉? しらたき? 豆腐?」 「なんでもいーわ」 「よっしゃ、じゃあちょっと待ってろよ」 ぐつぐつと美味しそうに煮込まれている鍋から、切島はいそいそと爆豪の器に具を盛り付けてやった。熱いから気をつけろよ、と一言添えながら、具でいっぱいになった器を渡す。 わかってるっつーの、と爆豪は素っ気なく返して、ぱくり、と豆腐を口にした。その姿を切島はにこにこと満面の笑みで見つめる。 「美味いか?」 「……まぁまぁだな」 「そっか!」 「いや、そこは、そっか! じゃねぇでしょうよ。 人がせっかく作ってやった鍋の感想がまぁまぁってなんなの? そりゃあね? 爆豪シェフの料理に比べれば平凡ですけどね! 頑張ったんだぜ!」 ご機嫌な切島に突っ込んだのは上鳴だった。 「つっても具材切って、市販の鍋つゆに突っ込んだだけなんだけどな」 「んなもん、インスタント作ったのと同じレベルじゃねぇか」 そしてさらに瀬呂が突っ込み、爆豪が続く。 「いやいやいや、そんなことないね。俺めっちゃきれいに具の盛り付けしたから、インスタント以上の腕前はあるから」 「おい、なんだこの歪なにんじん」 「あぁ、それね。上鳴が、花の形にしようぜ! お祝いだし! ……つって結局失敗して適当に誤魔化していれたやつ」 「へー……、とんだ腕前だな」 「なぁああんでそれ言っちゃうかなー! 瀬呂くんよぉお!!」 わいわいがやがや騒がしい。 切島はそのやり取りすら、にこにことした表情で見つめていた。最高にご機嫌だった。なんせ、ちゃんとした身体で爆豪の隣にいるのだ。これ以上ないほどの幸福だった。 衝撃的な出来事があったあの日から、今日で三日が経っていた。 あの日のことは、いま思いだしてもはらわたが煮えくり返りそうになる。たぶん、この先も怒涛の嵐のようなこの怒りが和らぐことはないのだろうと思う。殴りつけたクズ野郎の感触だとか、耳障りな声だとか、殺意によく似た感情だとか、きっと忘れられない。そして、朦朧と視線をさまよわせる爆豪の眼差しも。 思いだすだけで胸がぎゅっとする。それだけに、すぐ隣で何事もない様子で鍋をぱくつく爆豪には、ほっ、と大きく息をつかずにはいられなくなる。よかったなぁ、と安堵が胸に広がって、怒りに震えていた身体の力が抜ける。 あのあと救急車で病院に運ばれた爆豪はそのまま二日間の入院を余儀なくされた。だが、それはあのクズ野郎が爆豪に打ちやがった薬が直接的な原因ではない。 屑野郎であっても腐っても医者だったと言うわけか、医師が爆豪に打った薬は副作用も中毒性も含まれてはおらず、極々軽く意識を朦朧とさせるものだった。三時間もすれば自然と効果は消えてしまい、特に入院や治療をする必要はない程度のもの。 ただ、如何せん爆豪の体調が悪すぎた。まともに食事も取らずに、それでも倒れることなく日々を過ごせていたのはそれだけ気を張っていたからだろう。しかし切島が無事に目覚めたのを見届けた瞬間に、その張っていた緊張の糸は緩んでしまったのか、爆豪は一気に体調を崩した。その結果、目覚めた切島と一緒にそれから二日間、病院で過ごさねばならなくなったのだ。 最終的に切島が爆豪とそろって自宅に無事帰宅することができたころには、切島が深い眠りについてから3週間ほどが経過していた。とても長かった。だが、同時にあっという間だったようにも感じる。なんとも辛く、不思議な日々であった。 「しっかしなぁ、最初はまじどーなることかと思ったけど、無事に起きてくれてよかったぜ、切島」 「ほんとほんと、よかったよなぁー」 上鳴と瀬呂の二人がうんうんと頷きあう。 二人はわざわざ時間を見つけては何度か切島の見舞いに来てくれた上に、今日は切島と爆豪の退院を祝ってプチ鍋パーティを開いてくれた。ぐつぐつと先ほどから美味しそうな音を立てる鍋も二人が作ってくれたものだ。 その鍋を爆豪は口では、まぁまぁだな、なんて言っていたが、ぱくぱくと箸を進める動きはスムーズで淀みない。 切島はそんな爆豪を横目で視界に収めつつ上鳴と瀬呂の二人に向き合った。 「心配かけてごめん。そんで、ありがとうなー二人とも! たくさん世話になった!」 心配をかけてしまって心底申し訳ないし、それと同じくらいわざわざ見舞いに来てくれてとても嬉しかった。上鳴に至っては身体を借りたりだとかバイクを借りたりだとか、爆豪のピンチを救ってもらったりだとか、本当にいろいろ世話になった。どれだけ礼を言っても言い足りないほどに、感謝している。 切島は深く頭を下げた。 「おー、どういたしまして」 「上鳴はともかく俺は何度か見舞いに行っただけで、とくになんもしてねぇけどな」 「なに言ってんだ! そんだけでも十分に嬉しいぜ俺! それによ、瀬呂もさ爆豪のことめっちゃ気にかけてくれてただろ?」 霊体になって見てたからわかる。自分のことを心底心配していてくれたことも、爆豪のことを大丈夫だろうかと気にかけていてくれたことも。どちらも凄く嬉しかった。ありがたかった。 「だから、上鳴も瀬呂もサンキューな!」 「本当に俺はなんもしてねぇんだけどなぁ、まぁ、どういたしまして」 「おうっ!」 「おかわり」 「ん? あぁっ、待ってろ」 爆豪にねだられて切島はいそいそともう一度鍋をよそってやった。 爆豪はもぐもぐと無言では箸を進める。小食が続いていたが入院していた二日の間に食欲も無事に回復したようで安心した。 「爆豪、ほらもっと肉食えって」 「肉はてめぇが食えよ」 「だめだって、おめぇはいっぱい落ちちまった体重戻さねぇと」 「そりゃてめぇもだろ」 「俺はちゃんと点滴で栄養取らせてもらってたから爆豪ほど落ちちゃいねーよ。いいから食えって」 瀬呂と上鳴がなんとも言えない温い視線を向けてきていたが、気にしない。あんなことがあったんだ。十分に爆豪のことを構い倒したくて仕方がない。 「なぁ、鍋もいいけどさ、そろそろ乾杯もしとこうぜ」 「そういや鍋ばっか食ってたわ。それ最初にやるべきだったろ」 鍋が半分ほど進んだころ、上鳴が提案した。 テーブルに瀬呂が缶チューハイを並べていく。霊体の時は悪夢の缶チューハイだったが、もうなんてことはない。 「そんじゃ、切島と爆豪の退院を祝って、かんぱーい!」 「乾杯!」 「かんぱーい!」 「……ふんっ」 かけ声と一緒に腕を振り上げて、ぐびりと一口。 「あ、でも爆豪、おめぇはそんな飲んじゃだめだかんな」 「べつにいいだろ、酒の一本や二本くらい」 「一本や二本ならな。退院したばっかなんだから、飲みすぎだけはぜってぇ許さねぇぞ」 「けっ、うっせぇ」 ぷいっ、と爆豪は顔を背ける。だが、機嫌が悪いわけではない。むしろ機嫌はいいほうだ。ちろちろと舐めるように缶チューハイを飲みながら、二人の作った鍋をさらにぱくつく。やっぱり爆豪も二人の気遣いが嬉しいのだろう。 「そういやさぁ、一つ気になってるんだけど、けっきょく切島が幽体離脱しちゃった原因は謎のままなの?」 「ん? あぁ、それなぁ。う〜ん、そうなんだよ、よくわかんねぇんだよなぁ」 上鳴の疑問を一つ投げかけてくる。 しかし切島は首をひねることしかできなかった。 切島はてっきり幽体離脱も医師の個性の影響なのだとばかり思っていた。だが、実際には違った。医師の個性は、あの時医師が爆豪に説明してみせたように、対象者に触れながら指を鳴らすとその相手を眠らせて、その眠らせた相手を頭に思い浮かべながら指をさらに鳴らすと解除される個性でしかなく、それ以外の効果は一切ないとのことだ。 あのまま警察に突きだした医師は素直に罪を認め、自供にも素直に応答しているらしいが、その自供にもやはり幽体離脱がどうのこうのだという話は一切出てはいないと聞いた。 「やっぱリアル心霊現象ってこと? うわぁ、こわー」 「でもその心霊現象のおかげで切島は爆豪のピンチがわかったんだろ?」 「うぅ〜ん、そう考えると不幸中の幸いってやつ? かもなー」 幽霊になっている間は辛いことばかりだった。けれど、そのおかげで最後は爆豪を助けることができた。あの医師の個性と霊体化がまったくの無関係とわかったいま、もしも霊体化していなかったらと考えると心底ぞっとする。 「本当によかった……」 しみじみ思うと、つん、と鼻の奥が痛んできて、切島は慌てて目頭をぎゅうっと抑えた。瀬呂が横からティッシュ箱を差し出す。切島は震える声で礼を言って、盛大に鼻をかんだ。 「あ〜、あれだね。いわゆる愛の力ってやつ?」 「あほか」 「照れるなって爆豪! もうさ、爆豪のピンチだ! ってあの時の切島の迫力ったらなかったぞ!」 「犯人ボコボコにしたんだって?」 「まぁ……、ちょっと、な」 「そういや大丈夫だったのか? あんなにボコボコにして」 「一応、平気だった」 警察や事務所の上司たちにはやりすぎだと注意はされたが、犯罪個性、しかも医者という立場を利用して患者を人質に取り、ヒーローを脅した行為が相当悪質であったと判断され、切島こそが犯人に個性をかけられた被害者であることもあってあれは正当防衛であったと処理された。切島にはなんの罰も下されはしなかった。 「愛の力は偉大だな〜」 「……けっ」 重ねてそう言う上鳴の言葉に、あほか、と爆豪はもう一度くり返してから、ぐびり、と缶チューハイを大きく煽った。 その缶のラベルをよくよく見ると先ほどまで飲んでいた缶チューハイとは違うものだ。それに気がつけば爆豪の目尻がうっすら朱に染まっているではないか。 「あ、おい、爆豪。それ何本目だ? もうそろそろやめとけよ」 「あー? 平気だっつーの」 「おいこら、また入院してぇのか?」 強めに注意すると爆豪は顔をしかめ、なぜか上鳴をにらんだ。 「うっせぇぞ、クソ髪! こんくらいで入院なんざするか! だいたいなぁ、それ言うんだったらてめぇこそ仕事中にあんなへまして病院行きしてんじゃねぇよ」 「うん、爆豪。俺、切島じゃなくて上鳴な。切島そっちだから、お前の右側じゃなくて左側にいるのが切島」 「あァ? クソ髪てめぇ誤魔化す気か? いいどきょうしてんじゃねーか!」 「だめだ、完全に酔っぱらってる」 やれやれと爆豪ににらまれた上鳴が首を横に振る。 切島はというと、あれ? と軽く冷や汗を流していた。爆豪のやつ、もしかして俺が上鳴の身体を借りて喋ったときと意識がごっちゃになってないか? 「おいこら、聞いてんのか? えェ? くそかみがァ」 「だから俺は上鳴だって、クソ髪じゃないから、最高にかっこいい金髪だから」 「? なにいってんだてめぇが言ったんだろうが、じぶんが切島だって――」 「あぁあああ、ほらほら、爆豪! 俺はここだって!」 切島はやたらと上鳴に顔を近づける爆豪を慌てて引き寄せた。近い。距離近いから。それにそれ以上あの時のことを話されるとまずい。 切島はけっきょく上鳴に身体を借りてしまったことは告げられないままでいた。なんというか、嫌だったのだ。たとえ中身が自分だったとはいえ、上鳴の身体が爆豪を抱きしめたという事実を上鳴には教えたくはなかった。上鳴が爆豪にそういった感情を1ミリだって抱いてはいないとわかっているが、男の複雑な嫉妬心というやつだ。 切島に引き寄せられると、絡んでいた割にはもう上鳴には興味がないのか、爆豪は大人しく身体を預けながら、ふわぁあ、と大きくあくびを零した。眠そうだ。上鳴の言う通り完全に酔っている。 「こんなに酔っぱらっちゃってまぁ。爆豪も浮かれてんだなー、切島が目ェ覚まして」 「俺たち以上に心配してたからな、そりゃあ浮かれもするわ」 「そんじゃ、爆豪も眠そうなことだし、そろそろ俺らは帰るか」 「そーだな」 「え、帰んのか? 泊まってかねェの?」 上鳴も瀬呂も酒を飲んでいたからてっきり泊まっていくものだと思っていたが、二人はそろって首を横に振った。 「いや、今日はバスで来たから。退院したその日に泊まるってのもわりぃだろ」 「それにさぁ、こうして二人になるの久しぶりだろ? 爆豪とゆっくり休めって」 「瀬呂、上鳴! ……そうだな、そうするぜ。二人ともありがとな!」 まじでいいダチを持った。感動のあまりまたちょっと泣きそうになった。 切島は爆豪をソファにいったん寝かせると帰る二人を見送ろうと玄関に向かった。 「そんじゃなー、切島」 「お邪魔しました〜」 「おうっ、上鳴も瀬呂も帰り気をつけてな!」 ◇ ◇ ◇ 「きりしま……、きりしま?」 リビングに戻ると、ちょうど自分を呼ぶ爆豪の声が聞こえてきた。きょろきょろと辺りを見渡して、きりしま? ともう一度くり返す。切島は早足で爆豪のもとへ向かった。 「なんだ、爆豪? どした?」 声をかければ、ぼんやりとした表情で見上げられた。 「…………」 「爆豪?」 「きりしま?」 「? おう、俺だぜ」 頷くと爆豪が手を伸ばしてきた。なんだろうかと見守っていると、その手は切島の頬に触れた。そのまま、するすると頬を撫でられる。気持ちがいい。切島は目を細めてその手の感触を享受した。 「きりしま」 「んんー?」 「おまえ、ちゃんとそこにいんのか?」 尋ねられて、はっ、と息を飲む。ぎゅう、と胸が痛む。あの日以来の感覚。 切島は急いで爆豪へ言葉を返した。 「大丈夫だ、爆豪。俺はちゃんとここにいる」 「そう、か……」 「あぁ、もう大丈夫だ」 問題は全部解決した。だから大丈夫だ。 そうくり返しながら、切島は爆豪の身体を引き寄せるとそのまま、ぎゅっ、と抱きしめてやった。背中をぽんぽんと撫でるように軽く叩く。 「ちゃんと傍にいるぞ」 「……それなら、いい」 爆豪は、ほぅ、と安心したように息を吐いた。切島の首筋に額をあてて、ぐりぐりと懐くように押してくる。髪が擦れて少しくすぐったかった。だが、切島は爆豪を離そうとはしなかった。 むしろそのまま、腕の中に閉じ込めたまま爆豪の身体を持ちあげると、切島はゆっくりとした足取りで寝室に向かった。 ベッドに爆豪を寝かせる。ずいぶんと長い間、このベッドに爆豪一人きりで寝かせてしまっていた。けれど、いまはもう、そんな寂しい思いなどさせはしない。 切島は自身もさっさとベッドに身を横たえると、ふたたび腕の中に爆豪の身体を収めた。二人の間に隙間など一切生まれないように強く抱きしめ直す。 「おい、く、るしぃ、だろうが……」 「っわりぃ」 少し強くしすぎたらしい。抗議の声に切島は腕の力を弱めた。 顔を覗き込めば、爆豪は何度も何度も瞬きをくり返していた。呼吸が徐々に深くゆっくりしたものへ変わっていく。切島はじっと爆豪を見つめた。 頬を撫でる。久しぶりに感じる柔らかく温かな感触にはじめて触れたわけでもないのに、感動すら覚える心地だった。久しぶりの爆豪はとにかくたまらなかった。 ただし、ある一点を除いては。 頬を撫でていた手を滑らせて爆豪の首筋にそっと触れる。視線を顔から首へと落とせば、白い首筋に残ったうっすらとした薄紅色の痕が目についた。あの屑野郎が残した痕だ。切島は穏やかに緩ませていた目をすぐさま、すっ、と細めた。 白い肌にぽつりと残された花のような紅色はいつだってとても美しいものであるはずなのに、しかし、いまこの目に映る薄紅の花には腹立たしさしか湧かなかった。自分以外の誰かが、爆豪に触れた証拠。触れることを許してしまった証拠。 苛立つ。この痕をつけたあの屑野郎にも、そんなことをみすみす許してしまった自分自身にも。あまりにも見てて苛つくものだから、切島は爆豪の首筋に顔を寄せると、痕の残るその上に強く吸いついた。 「ッ、てぇな……、んだよ」 「わりぃ、爆豪」 すぐに抗議の声が上がるが、やめてやることはできなかった。だって、許せない。この痕がいつまでも爆豪の身体に残っているなど。 だから切島は、さらに爆豪の首筋へ唇を寄せた。いくつも残るその一つ一つすべてを自分の赤色でもって上書きする。 「ん、んッ……、ぉい、おれはねむてぇんだよ……」 「わかってる。でもあと少し……、あと少し我慢な」 嫌そうに身じろぎする身体を押さえて、切島は吸血鬼の如く爆豪の首筋に顔を埋めて吸いついた。色濃く残るように、普段よりも強く吸う。そのたびに爆豪は微かに身体を震わせたが切島は決して途中でそれをやめるようなことはしなかった。 最後の一つをひと際色濃く上書きしてから、ようやく顔を離す。そうすれば爆豪の白い首筋は切島が新たに付けた痕で綺麗に彩られていた。 「これでよし」 「っだよ……、くそやろう……」 ふぅ、と息をつけば、不機嫌な声が飛ぶ。よほど眠たいのだろう。眠りを妨げられた爆豪はご立腹だ。むずかるようにさらに身じろぎをくり返して、寝心地の良い姿勢を探る。 切島はすこし腕を上げ爆豪の好きにさせてやった。そして、爆豪の身体が完全に落ち着いたころにふたたびぎゅっと抱きしめ直してから、爆豪に告げた。 「なぁ、爆豪。もうあんなことはやめてくれよ」 このまま静かに眠らせてやりたかったが、それだけはどうしても伝えておきたかった。 「あんな……こと、だぁ?」 「俺のために、あんな屑野郎なんかに自分を差し出すなんて、そんなの……、もう絶対にやめてくれ」 思いだしただけでも、あの時の激高は簡単に切島の胸に戻ってくる。屑野郎に対する怒り、自分自身に対する怒り。そして、爆豪に対する怒り。 諸悪の根源はすべてあの屑野郎であるのだが、あんな嘘か本当かわからない奴の言葉を信じてあっさりとその身を差し出してしまった爆豪に対しても切島は若干の怒りを覚えていた。 「んだよ……、そんなことか」 だというのに、爆豪は随分とあっさりとした様子で言うものだから、切島は声を荒らげた。 「そんなことって、大事なことだろうが!」 「べつに、あのていどでてめぇが帰ってくんなら、なんてことねーよ」 「ふざけんな! あれのどこがあの程度のことだよ!!」 あの屑野郎に身体を好きにさせることがあの程度のことだなんて……。 さらに声を荒らげると爆豪は煩わしそうに、顔をしかめた。正しいことを言っているのは切島のほうであるはずなのに、まるで聞き分けの悪い子どもを見るような眼差しで切島を見つめる。 「それでてめぇが帰ってくるって言うなら、おれにとっちゃどんなことだろうと“あのていど”のことでしかねぇーんだよ」 わかれ、ばぁーか。爆豪はあくびを零した。 枕に深く頭を預けて、完全に脱力する。本格的に眠るつもりなのだ。つまり、爆豪にとって切島とのこの話はもうこれで終わったものなのだ。切島からしてみれば、全然終わっていないというのに。 しかし、きっといくら話を長く続けたところで爆豪が切島の願いを聞き入れてくれることはないのだろう。もしまた同じようなことが起こったら、爆豪は簡単に自身の身を犠牲にしてしまう。切島がどれだけ嫌だと頼んでも、聞いてなどくれない。 切島にとって爆豪の存在こそがそうであるように、爆豪にとっても切島は爆豪の存在なのだ。だからきっと、この話はずっと平行線なまま、交わることはない。 「ぐ、ぅっ〜〜〜!! ……はぁ、もう、まったくおめぇはよぉ」 爆豪は本当に、俺を悲しませるのもハラハラさせるのも、喜ばせるのも舞い上がらせるのも上手だ。敵わないなぁと思う。まったくもって敵わない。 しかし、それならせめて……。切島は思った。 「なぁ、爆豪」 「あ……?」 「俺さ、もっと強くなるから。あの程度の個性、自力で跳ね除けられるように、もっともっと強く」 「ふぅん……、そーかよ」 「あぁ、そうだ。もっと強くなる。おめぇがあんな風に身体を張る必要なんてないくらい強く、そんで、おめぇがほんのちょっとの不安だって覚えなくなるくらいに、すげぇ強くなる!」 「それは、ずいぶんと……たいそーな、もくひょう……、だ、な」 もう眠気が限界なのだろう。言葉尻はほとんど息を吐くだけのような音をしていた。もしかしたら、明日起きたころには、この会話のことなど覚えていないかもしれない。 けれど、切島は構わなかった。爆豪が覚えていなかったとしても、この決意は揺るがない。強くなる。爆豪のためにも、自分のためにも、強くなる。 「ぜってぇ、強くなるからな」 「…………」 ついには無言が返る。けれど、やはり構いはしなかった。 だって、抱きしめた爆豪の身体はこんなにも温かい。だから、いまはそれだけで十分だった。 |
果てからひとつ傍にあるもの |