「爆豪、水持ってきたぞ。飲めるか?」
「…………」
 水の入ったコップを差し出すと爆豪はもぞもぞと身じろいだ。シーツに手をついて、ぐ、と力を込めてゆっくりと身を起こす。隠しきれないほどの気だるげなその仕草に、切島は内心頭をかいた。少し、……いや、だいぶ無理をさせてしまった。後悔はないが罪悪感は残る。
 切島はコップを片手に持ったまま、もう片方の手で爆豪の肩に触れ、身を起こすのを手伝ってやる。嫌がられるかな、と思ったが、よほどだるかったのか、爆豪は腕を許すどころか、そのまま切島に身体を預けてきた。
「ほら、ゆっくりな」
「ん」
 それをいいことに切島はコップを渡すのをやめて、直接爆豪の口元へと運んでやった。爆豪は嫌がらずに縁へと口をつけ、んくんくとちいさく喉を鳴らしながら水を飲み干し、息をつく。その一挙手一投足はひどくゆっくりとしていた。
「身体、大丈夫か?」
「へーきだっつーの。……けど」
「けど、なんだ? どっか痛い?」
 あわあわと切島は慌てた。散々爆豪の身体を好きに貪ったわけだが、決して傷つけたかったのでも痛めつけたかったのでもないのだ。だから、痛くはない、とすぐに否定されて、ほっとした。
 しかし、だとしたら、いったいどうしたのか。首をかしげ言葉の続きを待っているとぽそぽそと爆豪は言った。
「けど、なんか……、変な感じする。なんつーか、まだ、中に入ってるみてぇな」
「えっ……、あ、そ、そうか……。どっか痛いわけじゃねぇんだな?」
「ちょっと、だりぃだけだ」
「そう、か。……そうか」
「ん」
 こくり、と頷く爆豪はきわどい自身の発言に全く気がついてないようだ。
 切島は、痛いところがないのなら、とそれ以上の追及をやめた。そうでないとまたしても熱が上がってしまいそうだ。だめだ、だめだ。これ以上、爆豪に無理はさせられない。
「ごめんなぁ、しんどい思いさせて」
「べつに、これくらい……」
 ふぅ、と爆豪は息を吐く。完全に切島によりかかっているその姿は気だるげだが、リラックスしているようでもあった。初めての性行為。それも男同士で、爆豪は負担が大きいであろう受け入れる側。にもかかわらず、爆豪の態度に嫌悪の様子はなく、むしろ切島を背もたれ代わりにする姿は今までになく甘えているようであった。
 どうしようもなく、期待が募る。爆豪の甘美な身体を堪能しても、切島が生み出した欲望は尽きる底を知らないまま、もっともっとと爆豪を求める。
「爆豪」
「あ?」
「好きだ、爆豪」
 もう一度、告げる。隠そうとして、でも、隠しきれなかった想い。
「本当は、大人の俺が子どものおめぇ相手にこんなこと言っちゃいけねぇんだろうけど……」
「はっ、そんなの……、いまさらだろ」
「……だな」
 鼻を鳴らして笑う爆豪の身体には子どもらしからぬ赤い痕がいくつも残されている。今しがた切島がつけた愛の痕。同時にそれは言い逃れのできない犯罪の痕でもある。あぁ、でも、それでも。
「それでも、俺は爆豪が好きだ。ぐだぐだと悩んだりしたけど、どんだけ悩んだところでこの想いは変わらねぇし変えられねェ。俺、ようやく気がついたんだ。おめぇを失くしそうになって、ようやく」
「…………そうかよ」
「そうだ。だから、なぁ、爆豪」
「んだよ」
「好きだ」
「…………」
 しつこいほどにくり返す切島に、爆豪は切島をふり返った。眉間にはしわが寄っている。でも、そのしわは普段と比べで少し浅い。
「てめぇ、は、俺にどうしろっていうんだ」
「俺におめぇの時間を分けて欲しい」
 間髪入れずに切島は答えた。迷いはない。
「時間?」
「そう。俺は、この先ずっとおめぇと一緒にいてぇ。長い間、ずっと、ずぅっと」
「…………」
 ふい、と爆豪は顔を前に戻した。
「……この間、クラスの女どもが話してた」
「え……?」
 てっきり、イエスかノーのいずれかの答えをもらえるのだと思っていた切島は突然始まった脈絡のない話に目を丸めた。けれど、先を急かしたりするようなことはせず、素直に爆豪の話に耳を傾けた。
「てめぇの、烈怒頼雄斗の話。テレビのインタビュー見たとかで、昼休みにきゃあきゃあうるさく話してた。かっこいいとか、筋肉凄いとか、男前だとか……、そんなこと。勝手に聞こえてきた」
「おう、そうか」
「期待のヒーローだってそんな話してて、そんで、いつの間にか彼女はいんのかって話になって、……たしか、“あんだけかっこいいんだからいるんじゃない?”って言ってた」
「い、いねぇからな! ここ数年彼女なんてまじでいねぇ!」
 先週のやり取りを思い出して慌てて否定すると爆豪は、はっ、と笑った。
「……俺も、まぁ、そう思ってた。土曜日に毎週毎週律義に俺みてぇな中学生の相手して、そのうえ部屋の鍵まで渡すようじゃ女なんていねぇだろうなって。でも、べつに、てめぇに女がいようがどうでもよかった」
「ど、どうでもいい……」
「俺には関係ねぇことだって、女どもの話もすぐに忘れた。……でも、ちょっと前からてめぇの様子がなんか変になって、意味わかんねぇって、なんなんだよってなった時、ふと思い出した。そんで思った。もしかして女ができたんじゃねぇかって……、だから、俺のことが鬱陶しくなって、態度が変になったんじゃねぇかって」
「っ、だから! 俺がおめぇを鬱陶しくなんて、そんなことあるはずがねぇだろ!」
「んなことッ、知らねぇよ! 知らなかった! だっててめぇはあの時なにも言わなかった! なんでもねぇって、俺の勘違いだって誤魔化しやがった!」
 爆豪は怒鳴った。
 怒りに満ちた声。しかし、すぐに爆豪は声のトーンを落として続けた。
「……すげぇ、ムカついた。てめぇに女ができたことも、それをこそこそ隠そうとすることも、そんなこと気にする俺自身にも、くそみたいにムカついた。……だから」
「爆豪……、それって」
「なぁ、おい、切島」
「お、おう」
「だから、俺の時間が欲しいって言うんなら、てめぇも寄こせ」
 一瞬、息をのんだ。
「てめぇの時間、全部、この俺に費やせ」
「ば、くごう」
「そうしたら、俺の時間も、てめぇにくれてやっても…………、いい」
 最後は消え入りそうなほどに小さな声だった。けれど、確かにその声を切島は聞いた。そして、もう一つ気がついた。前を向いたままの白金色の髪から覗く白い耳がほのかに紅潮していることに。どうしてか、なんて、そんなことは爆豪の言葉を合わせれば一瞬で理解できた。
 ぶわっ、と一気に頭が熱くなる。興奮に切島の耳も赤くなった。
「爆豪っ!!」
 感極まってぎゅううぅと爆豪を力強く抱きしめる。
 嘘みたいだこんなこと。でも、抱きしめた爆豪の身体はこの腕の中にある。温かく、甘い匂いのする爆豪の身体。夢なんかじゃない。確かに爆豪はこの腕の中にいる。
「やる! 全部やるよ! 俺の時間、全部爆豪に!」
「うっせぇよ、ばぁか」
「うぅ、ごめんなぁ爆豪。誤魔化したりなんかして、ごめん。俺、怖かったんだ。好きだってバレておめぇに気持ち悪がられたり怖がられたりすんのが」
「へたれてんじゃねぇよ。そんぐらいでビビったりすっかよ」
「うん、ごめん。でも俺、もう誤魔化さねぇよ。爆豪が好きだ! だから、大切にする。俺、絶対におめぇのこと大切にするから!」
「だったらまず腕の力を弱めやがれ。さっきから苦しいわくそが」
 ぽんぽんと悪態が返る。
 でも、その悪態が今はとても愛おしく感じられた。

 かわいいかわいい。大好き大好き。愛おしい愛おしい。切島はまるで飼い主が大好きで仕方がない大型犬のように、抱え込んだ爆豪の頭に頬をこすりつけて懐きに懐いた。爆豪は口ではやめろ鬱陶しいと文句を言っていたが、実際に切島をふり払ったりするようなことはない。そこがまたかわいくて愛おしい。
「なぁ、爆豪。高校卒業したらよ、一緒に暮らそうぜ」
「卒業って、まだ入学すらしてねェっつーのに」
「こういうのは早めに言っとかねェとさ」
 子どもの気が万が一にでも変わってしまわないうちに、せめて言質をとっておかなければ。ずるい大人の思考で、なぁいいだろ? と切島は爆豪に同意を求めた。
「こんなぼろい部屋は嫌だからな」
「大丈夫! そんころまでに俺もっと活躍していっぱい給料稼ぐから!」
 そんで、そのころまでには爆豪の親父さんたちに土下座する準備もしておかないとな、と思ったが、それは口に出さず思うだけにとどめた。爆豪に言ったら、わざわざそんな面倒なことする必要はない、と言われてしまいそうだ。
 正直なところ、あの優しそうな親父さんの顔を思い浮かべると罪悪感で気後れしてしまうのが本音なのだが、大切にすると決めたのだ。もう逃げだしたりはしない。
「俺頑張るからな爆豪! ヒーローとしても男としても!」
「ふんっ、そんなの俺がすぐに抜かしてやるけどな!」
 切島の内心を知らぬ爆豪は切島の決意表明に対抗するように口端を釣り上げた。
「なんたって俺はトップヒーローになる男だからな」
 それは出会ったころから一切ぶれることない爆豪の目標。その目標があったからこそ、爆豪は切島のもとに足しげく通い、そして切島は気がつけば爆豪を愛していた。あんなめちゃくちゃな出会いであったというのに、不思議なものだと思う。
「俺だって負けねぇさ!」
「言ってろ」
 勝つのはこの俺だ、と不敵に笑う爆豪はきっと宣言通りに凄いヒーローになることだろう。こりゃまじで頑張らねぇとな気合を入れながら、切島はいろいろな意味で爆豪の高校卒業が今からとても楽しみでしょうがなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

◇  ◇  ◇
 
 
 
「お疲れっしたぁ!」
「おう、お疲れー」
「お疲れさま〜」
 今日も今日とて仕事が終わり、達成感と充実感に息を吐く。同じく隣で息を吐いたのはいつかの先輩と同僚だ。慣れた様子でてきぱきとコスチュームを着替えながらその先輩が言う。
「そういや知ってかお前ら、駅の近くに新しいボーリング場ができたんだってよ」
「お、また新情報っすか。相変わらずそういう情報に耳ざといっすね先輩」
「耳ざといじゃなくて詳しいって言えあほ。まぁ、いい。なぁ、今度そこ行ってみねぇ? 俺、ボーリングには結構自信あんだよなァ!」
「へ〜、俺も結構得意ですよ」
 付き合いのいい同僚が了解すれば、よしよしと上機嫌に頷いて先輩は切島のほうへと顔を向けた
「切島もどうよ。ボーリング」
「いいっすね〜。でも、すんません、俺は今日はちょっと」
「わかってんよ。今日のおめぇは土曜のかわいこちゃんの日なんだろ」
 けっ、とわざとらしく吐き捨てながらも気にせずに先輩は続けた。
「だから今度だって今度。休日とかにでもよ。それならいいだろ?」
「あー、いや、あのすんません。休日もちょっと……」
「なんだと? 用事か?」
「まぁ、そうっす」
 曖昧に切島は頷いた。
 すると先輩は、はっ、となにかに気がついたように息をのんだ。そしてギリギリと目尻が吊り上がっていく。
「お前まさか、その用事って土曜の彼女とデートか! ついに土曜の彼女が土曜以外に!?」
 さらには大声でそんなことを叫ぶもんだから事務所の視線という視線が切島のもとに集まった。土曜の彼女。それは切島の事務所ではすっかりと定着してしまったワードであり、注目のワードでもあった。
「お、なんだなんだ、ついに土曜の彼女と進展ありか?」
「切島ぁ、いい加減観念したらどうだ〜」
「そうだそうだ、隠すなんてみずくせぇぞ!」
 ほかのヒーローやサイドキックたちが冷やかしの声を上げ近寄ってくる。
 まったく、どうしてうちの事務所の人たちはこうも人の恋愛事情に興味津々なのか。そう思いつつも、切島はにへらっ、とだらしなく頬を緩めながら答えてやった。
「へへっ、まぁ、それはいずれ追々にってことで」
 それは初めての否定以外の反応だった。
 今までさんざん恋人なんていないと言い続けていた切島のいつもと違ったその反応に、わぁ、と辺りは沸いた。
「なんだよおい、ついに認めたぞ!」
「こりゃなにか本格的に進展あったぞこいつ!」
「吐け! にやにやしてねぇでなにがあったか吐け! 」
「ふへへっ、だからそれはまたいずれ! んじゃ、お疲れっしたーー!!」
 あっ、おいこらァ! と引き留める仲間の声を背に、着替え終えた切島は勢いよく事務所を後にした。仕事終わりで身体は疲れている。けれど切島の気分は空に飛びあがらんばかりに浮かれていた。
 今日も部屋に帰れば「おかえり」の言葉が切島を迎えてくれる。そんでもって、今度の休日はデートなのだ。初めての、土曜日以外の、逢引! こんなん、にやにやとするなというほうが無理な話である。
 こんな顔で帰ったら口に悪いあの子に「なんだその顔きもちわりぃな」とでも言われてしまうだろうか。でも仕方がない。構わない。爆豪が待っていてくれるなら、なんでも構わない。
 うむ、と一人で勝手に頷きながら切島は急いだ。
 この世でなによりも愛しい子のもとに。
やわらかく落ちていく