「おい」
「…………」
「いい加減機嫌を直せ」
「……別に怒っちゃいねぇ」
 そう言いつつも、その声はむすっとしたものだった。
 ベッドの上で横になったまま、あれから爆豪が意識を落としている間に相澤が綺麗に整えたシーツにこんもりと包まり顔を見せもしない。どこからどう見ても不機嫌ではないか。
「爆豪、ほら、俺はもう出るぞ」
「…………」
 さっきからずっとこんな調子だ。
 相澤はもう出勤時間が迫っている。だが、この状態の爆豪を放ってさっさと家を出るわけにはいかない。
「俺が出るまでそうしている気か?」
「…………」
「爆豪」
「…………」
「ったく……、勝己」
「……っ」
 ぴく、とシーツの塊が揺れた。そして中から「それ、やめろ……」とちいさくくぐもった声で言われた。相澤は爆豪の言うそれがなんなのか、わかっていながら「それってなんだ」と訊ねながら繭を撫でた。
「…………」
「だんまりじゃわからないぞ、勝己」
「ッ、だからそれ!」
 ばっ、とそこでようやく爆豪は頭を上げた。真っ白なシーツに包まれたその隙間から、頬をほんのり赤くさせた顔がのぞく。
 だんまりじゃわからないと言ったばかりだが、実際のところ相澤はすべてちゃんとわかっていた。きっと爆豪は恥ずかしいのだろう。いままでずっと爆豪と呼ばれていたのに、急に下の名前だなんて。
 ただ、相澤はわかっていてとぼけて見せた。だって、つまらないじゃないかそんなの。
 急に下の名前で呼ばれて恥ずかしがる爆豪自体はいじらしく可愛らしいと思う。ひとたびヴィランを前にすればそのヴィラン顔負けの悪人面で笑う凶悪性の裏で、名前を呼ばれただけで照れてしまうなんてとんだギャップだ。これを可愛らしいと言わずになんて言えばいい。それくらいには可愛いと思う。
 しかし、だからこそつまらない。
「俺は駄目でベストジーニストはいいのか」
 ベストジーニストが名前呼びを許可されているというのに、なぜ自分は禁止されなければならない。
 いや、そもそも、だ。
「大体、なぜあの人が俺たちのことを知っているんだ」
「そ、れは……、なんつーか、話の流れ、みたいな」
 べつに怒っているわけではないのだが、勝手に教えてしまったのが後ろめたいのか返ってくる声は途切れ途切れでちいさかった。
「話ってどんな」
「大した話じゃねぇ、……ただ」
「ただ?」
「……維と先生は歳が近いから、ちょっと、なんか、色々参考になんねぇかって」
「…………そうか」
 なんだろう。思いのほかかわいらしい理由が返ってきて言葉に詰まった。
 柄にもなく口元が緩んでしまいそうで、手で押さえて隠す。
「まずかったか」
「いや。まぁ、あまりぺらぺらと公表するのはどうかと思うがあの人になら大丈夫だろう」
 話の流れで明かしてしまったとは言え、それはベストジーニストへの信頼があってこそのだろう。これが違う人間相手であったなら、どんな話の流れだろうときっと爆豪は相澤との関係を明かすことはなかったはずだ。
 爆豪がベストジーニストを信頼しているというのなら、相澤はベストジーニストを信頼している爆豪を信頼している。ただそれだけだ。
「勝己が話したことを後悔してないなら、俺は構わない」
「ん……、って、だから名前で呼ぶな!」
 さりげなく呼べば流されるかと思ったが、きっちりと爆豪は反応を示した。
 過剰なまでの拒否反応。む、と相澤は眉間に皺を寄せてみせた。
「だから、なんであの人はよくて俺はだめなんだ」
「あ、あの野郎はあんたみたいに変な響きを含めて呼んだりなんてしねぇよ!」
「変な響きって……、例えばどんな響きだ」
「それ、は……」
「それは、なんだ」
「だから……、あんた、の、声、は……」
「聞こえないぞ、勝己」
「ッ、とにかく、駄目ったら駄目だ!!」
 しつこく訊ねればついに、がおっ、と爆豪は吠えた。
 どうやら少し意地悪が過ぎたようだ。感情が高ぶりすぎて、その目には軽く涙が浮かんでしまっていた。
 先ほどまで散々苛め抜いてしまったのだ。思いのほかかわいらしい話も聞けたことだし、流石に今回は早めに引いてやるべきだろう。大人の先輩である相澤は、ふぅ、と息をついた。つまらないところはあるが仕方がない。拒否の根底にあるのは恥じらいだとわかっているのだから、意地悪しすぎては可哀想だ。
「わかったわかった、呼ばなきゃいいんだろ呼ばなきゃ」
「……ふんっ」
 わかればいいんだよ、とでも言うように鼻を鳴らして、爆豪は赤くなった自分の頬を誤魔化すようにごしごしと顔をこすった。
 とは言え、相澤は内心ではこっそりと課題の一つに追加だな、と思っていた。声を殺して唇をかむ癖をいつか止めさせてやるのと一緒に名前で呼ばれることもいつか慣れさせてやる。生憎といまは時間が迫っているためこの場で根気強く認めさせてやるだけの余裕はないが諦めるつもりはなかった。
 ほかでもないこの子どもによって根底より引き上げられ目覚めさせられた感情、願望、欲望だ。責任は取ってもらわねば困る。

 時間を確認するとそろそろ家を出なければ本格的にまずい時刻になろうとしていた。少々名残惜しいが仕方がない。
「それじゃあ、今度こそ俺はもう行くぞ」
「……ん」
 いってらっしゃい、とちいさく寄こす爆豪に背を向けて、しかし相澤は、これだけは言っておかねばいけなかった、とすぐにふり返った。
「あぁ、そうだ爆豪」
「……んだよ」
「俺のことはいつでも“消太さん”って呼んでいいぞ」
 ぽかん、と爆豪は目を丸くする。
 そうかと思えば、一拍置いた次の瞬間には白く戻りかけていた頬にぽぽっと再び赤みが差した。わなわなと唇が震えている。ったく、本当に可愛いやつだよこいつは。
 少しおかしくなって、ふっ、と思わず笑ってから相澤は我に返った爆豪が吠えだす前に速足で部屋を出た。朝だというのにその足取りはやけに軽く、去年から担当するようになった生徒たちに、今日の先生なんか妙に機嫌いいね、なんて言われてしまうほどだった。
私を起こす人