このあたりだろうかと予測をつけて、木々の合間を縫って地に降りた。足先からかかとへとできるだけ静かに足をつける。きょろり、と辺りを見渡して一息。とん、ととん、とん、と音を出さないように足で地面をたたく。そうすれば、すぐに耳元のインカムから弟の声が届いてくる。 『そっから南に500mちょい』 了解、と言葉を返す代わりに地面を、とん、とひと叩き。すぐに指示されたほうへ歩みを進めれば、そいつらはいた。一番にそいつらの恰好を確認する。木々に紛れるような枯れ木色の軍服。どこに所属する部隊だろうか。わからない。だが、少なくとも自軍のものではない。ならば、それで十分だ。 「目標を視認した。全員排除対象だ」 『りょーかい。あと十三歩で先頭の奴が指定区域に入るぜ。……じゅう、きゅう、はち』 カウントダウンが始まる。その声に合わせてライフルを構える。サイレンサー付きのスナイパーライフルだ。興味がないから詳しい型は知らない。ただ配給された弾丸がものすごくゴツくて、弟と一緒になんだこりゃすげぇなと笑いあった記憶はある。当たればよほど頑丈な奴じゃない限り死んじまうであろうぐらいごつい弾丸。 『なな、ろく……』 スコープを覗く。狙うのは一番先頭の奴だ。どこに当ててもいい。命中さえすれば死ぬ。それなら狙いづらい頭より胴体を狙ったほうが確実だ。外すなよ兄貴。数字の合間、弟が言う。馬鹿言え、この距離で外すかよ。 『にぃ、いち……、はい、アウトー』 声にあわせて引き金を引く。そうすれば、瞬きの間に目標の臓物が飛び散った。突然のできごとに他の奴らは反応しきれていない。その間に素早く次の目標に照準を当て一発、そしてもう一発。うわぁああ、とついに悲鳴が上がったが、それも言い切る前に途切れた。全弾命中。さすが俺様。 「目標殲滅、どうだ?」 『あー……、おし、そいつらだけだ。他はいねぇぜ』 「了解、んじゃさっさと戻るわ」 『あいよ』 ざざっ、と通信が途切れた。 飛び上がる前に、額に浮かぶ汗を適当にぬぐう。じわじわと蒸し暑い気温が鬱陶しい。逝女が恋しいぜまったく。しかし愚痴ったところで仕方がなく、よっ、と力を入れて天へと昇った。 拠点としているキャンプ地に戻ると、弟の姿は外にあった。簡素に立てたテントの横で、片腕を上げてなにかしている。いったいなにをしているのか。天から降りながらよくよく様子を見れば、弟は見慣れぬ蛇を片腕に絡ませ遊んでいた。見慣れぬ蛇だ。ついさっき弟のもとを離れた時にはこんな蛇いなかったはずだが、なんなんだこの蛇は。そう思いながら、とん、と地に足をつければ、気がついた弟はすぐさまふり返り言った。 「なぁ見ろ! いーだろ兄貴! さっきそこで見つけたんだぜ!」 胡乱気な視線を向ける兄とは反対に、弟は猫でも撫でるように蛇の顎を指先でくすぐって満足そうに目を細め笑っている。蛇も弟に懐いているのか、威嚇する様子もなく大人しく撫でられていた。 「どーしたんだよ、そいつ」 「さっきそこで見つけた」 「野生かよおい」 野生とは思えないほどに人間慣れしている蛇に驚きかけるが、まぁ、これは弟が特別なのだろうとすぐに察する。昔からそうだった。爬虫類を好む弟は、同じように爬虫類どもから愛されていた。蛇や蜥蜴はこんなにも人間に懐くものなのかと不思議で仕方ないが、現に弟はこうして見知らぬ蛇にもすぐに懐かれている。双子の兄には全くそんなことないというのに。むしろ威嚇すらされるほどだ。 「なぁ兄貴、こいつ持ち帰ってもいいよな?」 「駄目に決まってんだろ」 「えー、いいじゃねぇかよ。せっかく見つけたんだし」 ぶーぶーと弟は口を尖らせ不満をアピールする。この様子だと、おそらくなにを言っても弟は聞かないだろう。そう言うやつだ。自分の欲望に素直で忠実。弟の持ち味であり欠点でもある。その欲望第一なせいで何度窮地に追い込まれたことか。普段は別にそれでも構わないが、ハラハラさせられるから戦場ではもう少し考えて動いてほしいと兄は少し思っていたりする。 だが、今この場において兄は蛇を相手に遊ぶ弟に苦言を申したりはしなかった。蛇にかまけているように見せて、弟の神経は今もしっかりと地面と繋がっていることを兄はしっかりと理解していた。その証拠に弟の顔色は兄がここを飛び立つ前よりもわずかに悪くなっている。仕事熱心だと褒めればいいのか、無理はするなと労わればいいのか。しかし、どちらを言葉にしたところでどうにもならないのが現状なのだからなんの意味もない。 (チッ、さっさと終われよこんな仕事) 思わず、舌打ちがこぼれた。 今回、断罪兄弟の二人に課せられた仕事内容は大したものではなかった。指定区域に侵入してきたよそ者の排除、ただそれだけだ。馬鹿な弟でも一発で理解できるほどにシンプルな任務。範囲は日本の東京の半分ほど。戦場としてはたいして広くないが、かといって狭いわけでもない。 この範囲を二人で守備しろなど、常人であったらとてもじゃないが手に負えない任務であっただろうが、そこは腐っても十二戦士だ。常に天と地を味方につけている断罪兄弟の手にかかれば鼠一匹の侵入だって逃しはしない。現時点で両手では治まらぬほどの侵入者がいたが、そいつらには全員例外なく物言わぬ屍へと姿を変えてもらった。任務は順調だ。笑えるほどに。 だが、しかし、笑えるほど順調な任務を前に断罪兄弟の兄の顔に笑みは浮かんではいなかった。それはなぜか。答えは任務を実行するこの地にあった。木々がこれでもかと生い茂る深い深い森林地帯。どこに視線を向けても、木、木、木、そしてまた木。それも断罪兄弟の身長を優に超える大木ばかり。 そんな大木が密集したこんな場所では、いくら兄が「天の抑留」を駆使して天から広範囲を見下ろしても侵入者の姿を捉えることは難しく、必然、侵入者の探知及び察知はすべて弟の「地の善導」頼りとなる。兄の仕事はもっぱら弟が捉えた対象のもとに飛んでいき排除することだ。逆を言えば、侵入者が現れなければ兄に仕事という仕事はない。 その一方で、弟は常に探知の仕事を余儀なくされている。任務を開始してからもうすでに二日。その間、弟は睡眠はおろかろくな休憩も取れていない。戦士である以上、兄も弟も並の兵士以上の体力を有しているのだが、さすがに48時間も神経をとがらせたまま働き詰めとなればきついものがある。弟の顔色はどんどんと悪くなる一方で、いくら任務は順調でもこんな状況で楽しく笑う気になど到底なれるはずがなかった。 せめてこれが、兄にとっても弟にとっても難しくて大変な、ついでにスリルのある仕事であれば、世間でいうところのやりがいみたいなものを感じられたのかもしれないが、内容自体は退屈で簡単であるのに一方にばかり負担のでかい仕事など何一つ楽しくない。いっそのことこんな仕事断っちまえばよかった。今更のように思う。 まぁ、ぐだぐだ言ったところですべて後の祭りなのだが。 弟のこめかみを汗が、つ、と滑り落ちる。汗はさらに頬を濡らし顎に伝い、ぽたりと支給された軍服を濡らすが弟はまるで構わない様子で腕に巻きつく蛇を楽しそうに見つめていた。おいちゃんと水分補給しとけよ、と忠告しても、あぁわかってるわかってる、と生返事を返すばかりだ。 「わかってる、じゃねぇ。返事だけじゃなくちゃんと飲め」 「だから、わかってるって……、んあっ」 「おら、飲め」 口だけで地べたに座り込んだまま動こうとしない弟に兄は弟の後ろから顎をつかみ上を向かせると、手に取ったペットボトルを口元に当ててやった。そのまま、零さないようゆっくりと慎重に傾けてやる。そこまでしてやって、ようやく弟は喉を鳴らし水分を補給した。ついでに汗でぬれた顔もぬぐってやる。弟は、なにすんだよ兄貴、と言葉では文句を言いながらも抵抗はしない。手のかかる弟だ。 逝女があれば多少なりともこの暑さをどうにかできたかもしれないが、極力森林に被害を出すなという依頼主の命令で逝女も人影もどちらも今回は置いてきた。つくづくつまらない仕事だ。せめてもの救いは報酬がいいところだろうか。金になんて興味ないが、弟はきっと喜ぶ。 「干からびて倒れんじゃねぇぞ」 「こんくらいで干からびるかよ」 馬鹿にすんなよ、と言いながらも弟は、ひひっ、と笑う。 これでもかというほど顔色は悪い癖にさっきから弟は笑ってばかりいた。おそらく睡眠不足が上限を突破してしまったのだろう。神経を張り詰めさせた状況と相まって逆に精神がハイになっている。こんな時の弟は危うくもあり強力でもあった。 研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほどに、弟の「地の善導」はどんなに小さに振動も捉えて逃がさない。必要な情報も、要らない情報も、関係なくすべて弟に届く。今の弟は、こんなにも静かな森林にいながら、大都会の雑多な人混み以上の煩さに見舞われていることだろう。 耳を塞いでも閉ざすことのできない騒音。どれほどの苦痛か、実際に体験しなくとも想像することは容易く、兄は思わず口をへの字にゆがめた。すると、まるでそんな兄に釣られるようにして、機嫌よく笑っていた弟が不意に顔をしかめた。ぎゅう、と目を細めて、不愉快そうに口端をゆがめる。構ってもらえなくなった蛇が、どうしたの、と言わんばかりに弟の顔を覗き込む。その蛇の相手もおざなりに弟は言った。 「兄貴、また来た。さっきと同じルート」 「ちッ、懲りねぇ奴らだ」 「人数は……、4人、いや5人だ。あぁ、くそっ。うるせぇ歩き方してんなこいつら」 弟がふるふると鬱陶しそうに頭を振る。天の力しか持たぬ兄には何一つとして伝わってくるものなどないが、弟にはよほど伝わってくるものがあるようだ。ぼやく声には苦痛の色が隠しきれないでいる。まったく、仕方がない。ふっ、と地面から浮き上がりながら、兄は弟に言ってやった。 「ちょっと待ってろ、兄ちゃんがちゃっちゃと始末してきてやっから」 「ぐぅ……、早くしてくれよ」 「おー、おー、任せとけ」 宣言通り、ちゃっちゃと侵入者を排除すべく兄はさらに天高く飛び上がろうとして、だが、その直前、ちょっと待て、と引きとめられ空中で留まりふり返った。 「なんだ」 「……足音が重たい奴がいる。なんか持ってるな……、重火器かなんかか? 気ぃつけろよ兄貴。前の奴らに比べて武装がゴツいぜこいつら」 「了解。まぁ、お前の兄ちゃんに全部任せとけって」 わざわざ忠告をよこしてきた弟の頭をくしゃりと乱雑に撫でて、今度こそ高く天へと飛び上がった。弟ほどでないにしろ、兄にもそれなりに疲労はたまっている。だが、そんな疲労など微塵も感じさせないスピードで兄は侵入者の元へと飛んだ。 さっきと同じルートだと言っていたから、今度は一発で侵入者を発見することができた。木々の合間、男たちの来ている軍服はやはり枯れ木色をしていた。人数は5人。そのうちの2人が遠目から見てわかるほどに重そうな銃器を背負っていた。どちらも弟の言っていた通りだ。優にキロを超えた距離。その距離の先にある人間の数、そしてその所有物を弟は見事に当てて見せた。 「流石、俺様の弟だぜ」 弟の力はよく知っている。それでも、あらためてそう思う。思わざるを得ない。 天の兄と地の弟。弟は昔から兄貴の力は派手で便利でいいよなと羨ましがった。なんで俺の力はこんなに地味なんだと愚痴ってすらいた。俺も兄貴みたいな強い力がよかった。そんな風によく言っていた。 だが、地の力を持たぬものからしてみれば、お前の力もわりと反則もんだと言ってやりたい。同じ地面に並んで立っているのに、ただそれだけで弟は多くの情報を感じ取れるのだ。それこそ、離れた場所にいる人間の数、武器の所持の有無。さらには歩き方で怪我の有無もわかるし、驚くことに集中力が極限まで高まると喉を震わせる振動から交わしている会話の内容までわかるという。 こんなの身内贔屓を抜きにしても、チートじみていると思う。兄ちゃん凄い、兄ちゃん羨ましいと言われなくなるのが嫌で、面と向かってお前の力は凄いと褒めたことはないが、自慢で優秀な弟だ。ちょっと考えなしで馬鹿なところもあるが、それも愛嬌だ。馬鹿で自慢な可愛い弟。 「んじゃ、その可愛い弟のためにさっさと死んでくれ」 今も頑張っているだろう弟の苦しみを少しでも軽減してやるべく、兄は戸惑いの一つも見せることなくライフルの引き金を引いた。 もうほとんど自力で歩くことを放棄している弟を支えて家に帰ってきたのは、それから12時間ほど後のことだ。たったの三日程度でずいぶんと軽くなった気のする身体をリビングに放る。この国で任務を遂行するためだけに一時的な住居として使用している家にはこれといったものは置いておらず、むき出しの冷たいフローリングに弟はその冷たさを堪能するように懐き横たわった。 そんな弟を横目に兄は大きなバッグからこれまた大きな毛布を取り出すと、弟の上にそれをかけてやった。そうすれば、弟はいそいそとかけられた毛布にくるまり丸くなった。大きな繭の出来上がりだ。兄も弟の横に寝ころび、身体に毛布を掛けた。さすがに、弟のように繭にはならない。 目を瞑る。外はもう暗く、静かだ。時折、バイクがうるさくマフラーを鳴らしながら走り抜けていく音が聞こえてくるが、大したことはない。このままならば少しもしないうちに深い眠りにつけることだろう。少なくとも自分は。しかし可哀想なことに横で繭にくるまる弟は違う。 「あにき……」 ほらきた。 もぞもぞと隣の繭が揺れる。隙間から弟の顔がのぞいていた。顔をしかめている。どうした弟よ。わざわざ尋ねてやれば、弟はぐずぐずとした声で一言言った。 「眠れねぇ……」 「はっ、またかよ」 「ぅるせぇ……」 ぐるぐると喉の奥を鳴らすように唸る弟は日常と戦場の切り替えがへたくそだ。戦場にいる時間が長ければ長いほど、意識を日常に戻すのに時間がかかる。もう戦場からは遠いところに戻ってきたというのに、ぴりぴりと神経をとがらせたまま、元に戻せないでいるのだ。外界を遠ざけるように毛布の繭に籠っても、きっと今も弟の身体には煩いほどの情報が届いていることだろう。とてもじゃないが、眠ることなどできないほどに煩く沢山。 だから、仕事の後は眠れない眠れないとよくぐずるのだ。今回は特に負担がでかかったから余計に眠れないようだ。身体も精神も疲労しきって眠たいはずなのに、強すぎる力を持つがゆえに眠れない。可哀想に。 「仕方ねぇな……、おら、こい」 毛布をどけて、ぐずる弟に手を伸ばす。毛布の繭を取っ払い、中身の身体を腕の中に閉じ込める。断罪兄弟の仕事は終わった。だが、兄にはまだお兄ちゃんとしての仕事が残っている。眠れぬ弟を寝かしつけてやるという大事な大事なお仕事。 弟を抱えたまま、ふわり、と軽く浮く。宙で胡坐をかき、そのまま停止する。そうすればあっという間に弟をいじめるすべてから弟を遠ざけてやれる。この世界で唯一、兄だけがしてやれる弟の寝かしつけ方。小さいころも、うまく力が制御できずにぐずる弟をこうして寝かしつけてやったものだ。 ようやく煩わしさから解放された弟が腕の中で小さく丸くなった。ぺたり、と頬を胸にくっつけ目を瞑る。温度も振動も触感も、今の弟に伝わるすべては兄のものだ。己の半身である兄のそれらを弟が煩わしく感じることはない。そして兄もまた、腕の中の温かな弟の存在を煩わしく思うことなどない。 とん、とん、とん、と背中を緩く叩いてやるとさっきまでのぐずりはなんだったのかというほど、あっという間に弟は深い眠りに落ちていった。すぅ、すぅ、と穏やかな寝息が聞こえる。兄はふわふわと宙に浮いたまま弟の寝顔を見下ろした。この様子だと、当分弟は起きることはないだろう。兄が休めるのはまだまだ先のことになりそうだ。だが、構わなかった。なんせ俺様はこの弟のお兄ちゃんなのだから。 |
天の揺り籠 |