「…………ふっ」
 思わず、リヴァイは笑ってしまった。
 ふつふつとわき上がるさらなる笑いをなんとか堪えようとすると、肩が震える。
「あははっ、これは中々の傑作だね、ふはっ」
「……ごめんなさいエレン、でも、これは……っ」
「さすがに、これはね……ふふっ」
「せっかくですし、写真撮っときましょうよ!」
 アルミン、ミカサ、マルコ、サシャもこぞって吹きだす。だが、仕方がないことだとリヴァイは笑いを堪えながら思う。
「悪いと思ってるんなら笑うんじゃねぇよミカサ―!」
「…………屈辱だっ」
「ちっくしょー、覚えてろよ〜」
 アルミンたちの反応にエレンたち三人が苦々しそうに呻く。
 しかし三人には悪いが、その姿すらも今は笑えてしまう。

 エレン、ジャン、コニーの三人は事前の約束通りに罰ゲームを行使され、並んで砂を埋められていた。顔だけが自由にできる状態。しかも三人の埋めかたは無駄に差別化されており、エレンは大げさなまでに筋肉の凹凸を誇張され、ジャンは女性のように胸の部分だけが山盛りにされ、そしてコニーは身体の部分がやけに縦長な状態だ。
 なかなか、というか、かなりシュールな光景である。これを笑うなと言うのは少し無理のある話で、リヴァイは笑い声が漏れそうになる口元を押さえた。
「ここまで面白くなるとは思わなかったなぁ」
「そうだね、シンプルだけど結構面白いね」
「俺らは全然面白くねぇよ……つーかおい、サシャ!撮るなよ!」
「えぇ〜、いいじゃないですか、思い出ですよ思い出」
「サシャ、あとでそれ送ってくれ」
「うわっ、やめろよ〜!」
 せっかくだしペトラたちにも見せてやろうとリヴァイがサシャに頼めば、エレンは唯一自由な頭を振って抵抗しだした。サシャがブレちゃうからやめてくださいよーと言えば、俺だけは映らないように撮れ、それだったら許す!などと叫ぶ。それをふざけんじゃねぇぞ!とジャンが突っこみ、そのまま二人はぎゃあぎゃあと言い争いをはじめた。
「こんな状態でも口喧嘩しだすなんて、ある意味すごいね」
「本当にねー」
 あははー、とアルミンとマルコが小さな弟を持つ兄のように笑いあう。やがて、せっかくだしポーズ変えようかという話になり、どんどんとカオスになっていく三人の姿にリヴァイもしばらくみんなと一緒に笑いあった。

(たのしい、な……)
 リヴァイは思う。はじめこそは皆の輪の中に入ることに変に戸惑っていたが、実際に入ってみればなんてことはない。二の足を踏んでいたことが馬鹿らしいほどに、充実した友人との時間。笑いがおさまってきたころには、笑いすぎて少し腹が痛いくらいだった。


 ふぅと息をつきながら、痛くなった腹を撫でる。笑っている間に強い日差しによって濡れていたはずの身体はすっかり乾いていたようで、濡れた感触はしなかった。むしろ、暑すぎて喉まで乾いてきたくらいだ。そう言えば、エルドが言っていたはずだ。水分補給はしっかりしろと。
「わるい。ちょっと、飲み物を買ってくる」
 兄の言葉を思いだしたリヴァイはさっそくみんなにそう告げた。
「あっ、たしかに喉乾きましたねー」
「ついでに買ってくるか?」
「え、いいんですか!」
「あぁ」
 食べることがなによりも好きなサシャは飲み物でもテンションが上がるらしく、ぱぁっと表情を明るくさせた。
「お前らは……?」
「僕は水筒持ってきてあるから大丈夫だよ」
「私も……あと、エレンも」
「そうか……。マルコは?」
「じゃあ、お願いしようかな」
 おう、と頷いてマルコの注文を聞いてから、リヴァイはジャンとコニーにも尋ねようと視線をやり、その姿にまたしてもふっと笑ってしまった。笑うな!と三人は声をそろえて文句を言うが、やはりそれは無理な話だった。
 それでも、なんとか笑いをこらえてジャンとコニーの注文を聞くと、リヴァイは上着を羽織って財布を手にした。
「じゃあ、いってくる」
「うん、気をつけてねー」
「あぁ」
 たしか堤防の向かいの道路のほうに自販機があったはずだ。エレンが自転車を置いたところ。リヴァイは頭の中で頼まれた飲み物の名前をくり返しながら、ざくざくと砂を踏みしめて、堤防へ向かった。

 足を進めるごとに、みんなの騒ぐ声が遠ざかっていく。一歩。また一歩。
 堤防の階段を上り終えてから、リヴァイはいったん海辺のほうへとふり返ってみた。
「…………ふっ」
 遠目からでも見える埋められた三人の姿に、やっぱり笑いが漏れてしまう。何度目だろうか。下らない笑いだ。けれど、不思議と心地よい笑いでもあった。
(平和だな……)
 あほらしい光景に、ふとリヴァイは思う。
 平和だ。こんなくだらないことで思わず笑ってしまうくらいに、平和。
 穏やかで、安寧。そして平凡。ひどく愛しくて、どこか切ない。

「…………」
 はぁ、とリヴァイはため息をつく。まただ。気が明るくなったばかりのはずなのに、また変なことを考えてしまっている。どうも今日は感傷的だ。柄にもない。
 さっさと飲み物を買ってきてしまおう。リヴァイは海から目を逸らすと、早足で近くの自販機へと向かった。
 しかし。
「リヴァイ兵長……?」
 声をかけられて、リヴァイはすぐに足を止めた。


「リヴァイ兵長、ですよね……?」
 また名を呼ばれた。しかし名前の後に聞きなれぬ名称がつけられており、リヴァイは訝しみながら声のほうへとふり返った。
 すると、そこには一人の男が立っていた。大学生くらいだろうか。背は高いがちょっとひょろっとした印象を抱く優男風の男だ。リヴァイの名を呼んだと言うことは知り合いなのだろうが、しかしリヴァイには男の顔に見覚えはなかった。
「誰だ……?」
「えっ……」
 訝しげな表情のまま問えば、男はぱちくりと目を見開いた。
「あの、リヴァイ、兵長じゃ……?」
「……たしかに俺はリヴァイだが、なんだそのへいちょうってやつは」
「お、ぼえて……ない、んですか?」
「……わるいが」
 なんのことだがわからないと告げれば、男はしばらく目を見開いたまま呆然としていた。
「……あ、いや、その、そうですよね、覚えてない、ですよね」
 しばらくの沈黙の後、口を開いた男はしょんぼりと肩を落とす。明らかに落ち込んでいるその様子に、リヴァイの胸に罪悪感が生まれた。
「わるい……その……」
「いえっ、そんな随分昔のことですから、覚えてないのも無理はないですよ」
 だから気にしないでくださいと男は慌てたように手を振る。
「あの、俺、前にリヴァイへい……リヴァイ、さんにお世話になったことがあって」
「俺に……?」
 首をかしげながら、リヴァイは男の顔をじっと見つめた。なんとか男の顔と言葉をヒントに記憶の中を探る。だが、やはり思い出すことはできなかった。
「わるい、それはいつ頃の話だ? ちゃんと聞けば、思い出せるかも……」
「そんな……、無理に思い出す必要はないです」
「でも、」
「ただ、一言お礼を言いたかったんです。あの時は、お礼を言う暇もなかったので……」
 言いながら、男はリヴァイに向かってとても丁寧に頭を下げた。本当にありがとうございました、と一言一句力強くはっきりと礼の言葉を口にする。そのあまりの真剣味の強さにリヴァイの中の罪悪感はかえって強くなる。
「頭をあげてくれ……俺は、覚えてないんだ、だから、そんな礼なんて……」
「いえ、これは、俺にとってのけじめみたいなものなんです……むしろすみません、覚えてないのに、一方的にこんなこと言われても謎ですよね」
 たしかに男の話はリヴァイからしてみるとなんとも不可思議的な話だった。覚えていないほど昔と言うことは、リヴァイがまだ小さいころの話なのだろうが、その小さなリヴァイに世話になったとはどういうことだろうか。それも、こんなにも真剣に礼を言ってくるほどの出来事とはなんなのだろうか……。
(……なんか、ちょっと、へんなかんじだ)
 もやもやとした違和感が、急激に胸に浮かぶ。今までになく強い、違和感だ。
(気になる……)
 なにかが気になる。だからリヴァイはもう一度男に問いかけようと思った。男自身こと。リヴァイのことを兵長と呼んだ意味。知りたい。知ることができれば、この違和感の正体に近づける。そんな気がした。
「なぁ――」
「リヴァイ!」
 だが、それよりも早くとても大きな声がリヴァイの名を呼んだ。

 既視感。はっとふり返ってみれば、顔以外を砂だらけにしたエレンが堤防の階段を上がってくるところだった。
「エレン……?」
 いっきに階段を駆け上がってきたエレンはリヴァイと男の間に立つと、じろじろと男を下から上へと観察するようにねめつける。
「あんた、俺の友達になんか用?」
 初対面の人間に、いきなりつっけんどうな言い草だ。リヴァイは咄嗟に、おい、とたしなめるように声をかけるが、エレンは無視して男の顔をぐぐっとにらみつけた。隠そうともしない敵意に、昨晩のエレンの様子を思い出してリヴァイの胸に不安が浮かぶ。
「いや、ちょっと道を尋ねさせてもらったんだ」
 いきなりのことにどうすべきかと悩んでいる内に、男の方が先に口を開いた。生意気な態度のエレンに対してもとても優しげな口調。しかし、その優しい口調でさらりと言った男のそれは嘘である。事を荒立てない無難な嘘。
「…………」
 エレンは不審げな表情で男をにらみ続ける。男はそんなエレンにもやはり怒るそぶりも見せず、むしろ申し訳なさそうにへにゃりと眉を八の字にさせながら微笑んだ。
「もしかしてお友達が絡まれてるって勘違いさせちゃったかな? ごめんね」
「……リヴァイ、本当か?」
「……あぁ」
 少し悩んで、リヴァイは肯定した。
 なぜ男がそんな嘘をついたのかはわからない。だが、今のエレンに余計な心配をさせたくなかったリヴァイは男のその嘘にありがたく便乗させてもらうことにした。嘘の理由が気になるが、今はエレンの落ち着かせるほうが大事だ。昨日みたいなことは、もう嫌だ。
「そうか……」
 リヴァイの肯定にエレンはまだどこか訝しげな表情を見せていたが、刺々しい態度を緩和させた。男がほっとしたように肩の力を抜く。
「あの、それじゃあ、俺そろそろ行きますね」
「そう、か……」
「はい、あの……本当にありがとうございました」
 そう言って男はまたしても深々と頭を下げた。
「それじゃあ、お元気で」
「あ、あぁ」
 男がリヴァイとエレンの横を通り過ぎる。引き止めたい。けど、それはできない。
 リヴァイは振り返って、遠ざかっていく男の背中をじっと見送った。やっぱり、見覚えのない姿だ。なにも聞けなかったこと、そして最後の最後まで男を思い出すことができなかったこと。小さな未練がもやもやと一緒に胸に残るが、今更どうすることもできずに、リヴァイはただただ男の背中が遠ざかるのを見つめ続けた。

 しばらくして、横へと視線を移せばこちらを見ていたらしいエレンと目が合った。金色の貫くような瞳。エレンは目が合った途端、ぎくりと肩を震わせた。
「エレン」
「……はい」
「俺が言えたもんじゃねぇが、お前、態度悪すぎだ……」
「うっ……、だって、リヴァイが絡まれてるのかと思ってさ……」
「だからって、早まりすぎだ」
「わるい……」
 しゅん、とエレンは肩を落とす。が、すぐに顔をあげてエレンは失敗を誤魔化すように軽い笑みを浮かべ、早口て言う。
「で、でも、絡まれてたんじゃなくて本当によかったぜ!」
「……」
「それよりさ、はやく飲み物買ってこようぜ。サシャがまだかまだかってうるさいんだ」
「……はぁ、そうだな」
 空々しい誤魔化しだったが、たしかにこれ以上ぐだぐだ言っても仕方がないことだ。リヴァイは今度こそ飲み物を買いに行こうと身体の向きを変えた。はやくはやくとしまいには腕を引っ張ってくるエレンにうるさいと言い返しながら、引かれるがまま足を踏み出す。ただ最後に、リヴァイはもう一度だけ後ろを振り返って、男の背中を見た。

(リヴァイ、へいちょう……か)
 リヴァイ兵長。男に呼ばれた呼び名。
 けっきょく、その呼び名の意味を聞くことはできなかった。
 エレンに昨日のような心配をかけたくなかったから、この選択自体に後悔はないが、小さな未練は胸に巣食いて消えないまま。リヴァイ兵長。なぜだろうか。その響きがなぜか耳にこびりついて仕方がなかった。

 その日からだった。
 リヴァイが今までになく鮮明な夢を見るようになったのは。
←前  3 / 3  次→
目次