「リヴァイ!!」 夢の終わりを認識したと同時に強い呼び声とともに、肩を揺さぶられた。 「っ……!」 瞬間、ぱっと眼前の景色が変わる。もうだいぶ慣れてきた感覚。 はっきりと戻った意識に、一番に飛び込んできたのはエレンの顔であった。眉間にしわを寄せ眉尻を下げた、不機嫌そうなのにそれでいて情けない表情だ。しかしリヴァイにはエレンがどうしてそんな表情をしているのか、わからなかった。 「エ、レン……?」 「おい、大丈夫かよリヴァイっ」 肩をさらに揺すられる。 リヴァイはそれをやんわりと止めさせながら、問いかけた。 「お前、なんでここに……」 「なんでじゃないっての! あれからいくら待っても来ないから心配してここまで来たんだよっ!」 「そうか……」 どうやら、また夢のせいでぼんやりとしてしまっていたらしい。 「悪いエレン。待たせたうえに結局迎えに来させて……」 「そんなことはどうでもいいって!」 エレンは声を荒げた。 リヴァイの肩に手を置いたまま、真剣な表情で顔を覗き込んでくる。 「リヴァイ、お前本当に大丈夫なのか?」 「またそれか……大丈夫だって、さんざん言ってるだろうが」 「でも……お前さっきの自分の状態わかってるのか? ドア開けた体制のまま固まってたんだぞ? 声かけても、目の前で手を振っても無反応だったんだぞ?」 どう見ても尋常ではない様子だったとエレンは主張した。 本当のことを言えと、金色の瞳が無言で、しかしどんな言葉よりも力強くリヴァイを圧する。 「その……、それはあれだ。今日も暑いだろ? それで暑すぎて、少しぼーっとしてたんだよ」 リヴァイは悩んだ挙句、らしくもなく少し言いよどんでから最近することの多くなってきた言い訳を口にした。だが、やはりそれは無理のある言い訳だった。しかしだからと言って、本当の理由など言えるわけがない。 起きながらにして夢を見ていたなど、そんなのきっとにわかには信じられない。仮に、エレンがリヴァイの話をすぐに信じてくれたとしても、余計な心配をかけてしまうだけだろう。だから、本当のことは言えない。 「嘘だ」 頼むから流されてくれと願うが、案の定、エレンは鋭く切り返してくる。 「さっきの電話からもう10分も経ってるんだぞ? いくらぼーっとしてたからって、10分も玄関先で突っ立ったままなんてどう考えてもおかしい」 「…………」 「……リヴァイ」 「…………」 エレンの瞳が、さらにリヴァイをにらみつける。肩をつかんだままの手が、ますますぎゅっと強くなった。痛い、と文句を言えばすぐに力は緩んだが、離してくれる気配はなく、リヴァイはため息を一つついた。 そして、ゆっくりと口を開く。 「実は……、あの電話の前まで、ちょっと夢を見ててな」 今度のそれは嘘と本当を半々に混ぜた言い訳。 「ゆ、め……?」 「あぁ、俺はあまり夢を見ないほうでな、それでちょっと珍しくてその夢を振り返ってたらぼんやりしすぎた」 悪い、とリヴァイは何度目かになる謝罪を口にしながら、エレンの目を見返した。できるだけ真摯に見えるよう、まっすぐと。これで、なんとか納得してはくれないだろうか。 「忘れろッ!!!」 「っ……?」 しかし、急にエレンは声を荒げた。いつかのような大きく鋭い声だ。 ぎらぎらとエレンの瞳が光る。リヴァイの嘘を見抜いて怒っているのとは少し違う、まるで敵を目の前にした狼のような、獰猛な雰囲気。少々、予想外な反応だった。 「っなんだ、急に」 「いいから忘れろ! そんな夢なんて! 忘れろッ!」 「そ、んな、ってなんだ……」 どうしてそんな言い方をされなければならない。 エレンの言い草にリヴァイは顔をしかめた。どんな夢だったか、伝えてもいないのにその夢は悪い夢だったのだろうと言わんばかりの物言いに苛立つ。優しい絹で包まれているかのような、穏やかで心地よかった夢での“エルヴィン”と“リヴァイ”の空間にケチをつけられたようで、とても、とても不愉快だった。 「待たせたことは悪かった。だが、お前にそこまで指図されるいわれはない」 「……っ」 気がつけば、強く言いかえしていた。 肩の手を振り払って、エレンの鋭い目をさらに鋭くにらみかえす。エレンは、はっ、としたように目を瞬かせた。へにゃりと眉が情けなく下がる。いつもだったら、その表情にすぐ気が抜けてしまっていたのだが、今回ばかりは違った。もやもや、むかむかとした苛立ちは胸の奥に絡みついたまま、消えはしない。 それでもリヴァイはなんとか気を落ち着かせようと深く息を吐いた。喧嘩がしたいわけではない。きっと、エレンもそう思っているだろう。エレンはあくまで自分の心配をしているだけなのだ。だから怒ってはいけない。そう、強く自分に言い聞かせる。 「……エレン」 ようやくの思いで出した声は、なんとかトーンを落ち着かせることができた。 「……すまないがエレン。今日の予定はなかったことにしてくれ」 それでも、これ以上の話し合いはできそうもなく、リヴァイは首を振ってエレンに告げた。 「リ、リヴァイッ、俺は、その――」 「エレン。少し頭を冷やしたいんだ。……悪いな」 リヴァイなりの譲歩だった。苛立った気持ちで話を続けてもやみくもに相手を傷つけてしまうだけだろう。だったら、ここはお互いのためにも一度距離を置くべきだ。 「っ……でも、リヴァイ!」 納得のいかないエレンはさらになにか言葉を続けようとする。 「なんだなんだぁ、なに玄関先で騒いでるんだ〜?」 しかし、突如介入してきた第三者の声によってそれはさえぎられた。 その声は背後から聞こえた。振り返るとリビングのドアからエルドが顔をのぞかせている。言い争いの大声で起こしてしまったのだろう。眉をしかめながら、寝ぼけ眼で玄関先の二人を見ていた。 「あ、エルドさん……」 「おぉ、エレンか。どうかしたのか? なんか言い争ってるみたいだったけど」 「え、いや、その……あの」 「べつに、なんでもない」 いきなりのエルドの登場にしどろもどろになるエレンに代わってリヴァイは答えた。少し素っ気ない言い方になってしまったが、今はそこまで気にしていられるだけの余裕がない。 「そうかぁ?」 「あぁ、エレンはもう帰るところだ」 「ふぅん、そうか」 首をかしげるエルドに念押しするように「そうだ」ともう一度頷いてから、リヴァイは前へと向き直った。目があったエレンがびくりと肩を揺らす。 「それじゃあな、エレン。……あとで、メールする」 「リヴァイさ――」 一方的に告げて、そのままエレンの声を最後まで聞くことなく扉を閉め、すぐに鍵もかけた。がちゃん、と音が鳴る。いつもはまるで気になどとめない音なのに、やけに耳に重く響いた、気がした。 扉越しの気配はすぐには動かなかった。しかし、しばらくするとちいさな足音ともに気配は遠ざかっていく。その音を耳を澄ませて聞いていたリヴァイは、やがて完全に聞こえなくなった足音に、無意識のうちに強張らせていた肩の力を抜いた。 「大丈夫か?」 かけられた声にすぐにまたはっとする。 そうだ。まだ一人になったわけではなかった。 「あぁ、大丈夫だ」 似たような返しをついさっきしたばかりだな、と思いながら重ねて頷く。 「起こして悪かった」 「んなのべつに気にすんな。それよりなんだ、エレンと喧嘩でもしたか?」 「そ、ういう、わけじゃ……」 否定しようとした声は自然と尻すぼみなものになってしまった。 喧嘩、のつもりはなかったが、もしかしたらあれは喧嘩だったのだろうか。エレンも、そう思っているのだろうか……。 「…………」 「おいおい、そんな気にすんなよ。友達と喧嘩なんて、お前ぐらいの歳ならべつに珍しいことじゃねぇって」 「…………」 「ん? まさかそんなにひどい喧嘩だったのか?」 思わず考え込んでいると、エルドは心配げに頭をそっと撫でてきた。 「いや、大丈夫だ」 だからリヴァイは慌てて首を振ってみせた。先ほど返したばかりの大丈夫の言葉をさらに重ねて、言葉少なにだが強く主張する。なんでもない。大丈夫だ。エルドが心配するようなことはなにもない、と。 「……はぁ。まぁ、お前ならそう言うよなぁ、まったく」 「……?」 だと言うのに、なにか引っかかるような物言いをされ首をかしげると、エルドはなんとも言えない表情を浮かべた。口元は軽く笑みを浮かべているのに、眉尻は下がっている。その表情は、たとえるならペトラとオルオが口喧嘩をしている様を眺めている時のものにとてもよく似ていた。「なにやってんだか」とか「仕方のない奴らだな」とか、困った弟妹を見る兄の表情。 「なんだ」 どうしてそんな表情をするのか。 尋ねれば、エルドはため息を一つちいさくついてから口を開く。 「いや、お前のそういうところ、昔っから変わらねぇなぁ〜、って」 「そういう、ところ?」 「なにか困ったことがあっても自分の力で解決しようとするところ、だ」 「……?」 それは良いことなのではないのだろうか。 しかしエルドの言い方は決して肯定的な響きをしておらず、リヴァイはさらに答えを求めるように兄の顔を見上げる。そうすればエルドは変わらぬ表情のまま、もう一度ぐしゃぐしゃと頭を撫でてきた。 「もちろん、それは悪いことじゃあないがなぁ、お前は“自分だけで”って部分が強すぎる。兄ちゃんとしてはもう少し頼ってほしいんだよ」 一呼吸の間を開けてからエルドは続けた。 「家族なんだ。心配くらいさせてくれ」 それは随分と真っ直ぐとした声だった。 見上げていたエルドの表情はいつの間にか真剣みを帯びたものへと変わっており、その声と表情にリヴァイはかつて見た夢を思いだした。夢の中でも、あの男がエルドと同じようなことを言っていた。心配くらいさせてくれ。同じように、強い意志の感じられる声だった。 「…………」 あの時、夢のほうの“リヴァイ”はなんと返していただろうか。 忘れたわけではないのに、なぜか返す言葉が思いつかない。 「ま、とにかくだ。兄ちゃんはいつだってリヴァイの味方だからな」 それだけはちゃんと覚えておけよ。 黙り込むリヴァイにエルドは返事を促すことなく、それだけ告げると満足したように、にっと笑った。安心感を与えてくれる、暖かな笑顔。今の言葉に嘘はないのだと、これ以上ないほいほどに伝わってくる。その笑顔に、なぜだろうか。リヴァイは無性に泣き出してしまいたくなるような、そんな衝動に駆られたのだった。 |
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