そしてリヴァイはまた夢を見る。 「リヴァイ、いま戻ったよ」 いつだって、はっと意識を呼び覚ますのは男の声だった。 呼び声に顔を上げる。そうすれば、いつもと変わらぬ優し気な男の顔がそこにはあった。ただ、今日はなんだかすこし違う。いつもと比べると、どこか軽やかな機嫌のよさそうな雰囲気を、男は背中に背負っていた。 「どうした、やけに機嫌がいいな」 だが、そう問いかけるととたんに男は眉をひそめる。 「リヴァイ、まず言うことがあるだろう?」 「…………?」 「俺は、いま、戻ったんだぞ?」 ゆっくりと説明するような言い方に、首をかしげたのは一瞬。すぐに意味を理解して、リヴァイはなんとも言えない表情を浮かべながらも望みの言葉を発してやった。 「……おかえり」 「あぁ、ただいま」 そうすれば、男はぱっとすぐに笑みを浮かべなおす。 お手軽なんだか面倒なんだか……。なにかひとこと言ってやろうかと思ったが、上機嫌なにこにこ顔に余計な一言は飲みこんだ。こいつが面倒な男であることはいまさらだし、リヴァイの些細な一言でやけに気を良くするのもいまさらな話だった。 「で、どうしたんだ」 「ふっ、実はなお前にいい土産があるんだ」 「土産……?」 「あぁ、これだ」 言い終わるや否や、男はなにかをリヴァイの目の前に差し出した。近すぎて焦点の合わないなにか。一体なんだろうかと少し距離を置いてそのなにかを見てみると、それは手のひらサイズの缶であった。 「これは……茶葉か?」 「そうだ。しかもほら、このあいだお前が美味いと言っていた……」 「!……あの茶葉か」 以前にも、男は土産といって茶葉をくれたことがあった。中央で団長同士による会議があったときに、貴族のマダムにもらったらしい。それなりにいいとこの貴族であったらしく、その茶葉はリヴァイの舌と鼻を満足させてくれた。だが残念なことにその茶葉を再び手に入れる機会に恵まれることはなかった。 「よく手に入ったな」 ほくほくとリヴァイは男の手から茶葉を受け取った。さっそく軽く蓋を開けて匂いをかげば、ふわりと心地のいい香りが鼻腔をくすぐる。 「ちょっとよってみた店で偶然な。あいにくとその一つしか売ってなかったが……」 「いや、一つでも十分だ」 「そうか?」 「あぁ、礼を言う」 「喜んでもらえたようでなによりだ」 男が笑う。まるで、自分のほうが良いものをもらったような笑い方。 「……まさか、それで機嫌がよかったのか?」 「そんなにだったか?」 「まぁ、わりとな」 「ふむ、そんなにだったか……」 自覚がなかったのか、男は首をかしげていた。 そんな男の様子に、リヴァイはなんとも言えない気持ちになった。 リヴァイが好んでいた茶葉を買うことができた。そんなことで上機嫌になる男のことを思うと、なんとも言えない感覚が胸の奥のほうからじわじわと湧いてくる。これはあまり珍しい感覚ではない。この男とともにいると、たまにある悪くない感覚。理由も原因も、自覚している。 「……紅茶、さっそく飲むか」 対処法もある程度分かっている。だからリヴァイは、そのじわじわが溢れてしまわないようにとさっさと話しを変えることにした。 手にした茶葉の缶を軽く振りながら、お前も飲むだろう?と男を見上げる。そうすれば、男は首をかしげるのをやめて目を輝かせた。 「お、淹れてくれるのか」 「あぁ、すこし待ってろ」 すぐに準備する。 簡素に答えて、リヴァイはすぐにドアに向かった。 そのあとを男が続く。 「……おい、ついてくる気か?」 「なんだ、だめか?」 「べつにだめじゃないが、待ってればいいだろ」 「だめじゃないなら、いいだろう?」 帰ってきたばかりなんだ。ゆっくりしていればいいのに、とリヴァイは思う。 しかし男は言う。 帰ってきたばかりなんだ。もっと会話をしようじゃないかと。 そういうものだろうか。そういうものかもしれない。リヴァイはすこし考えて、まぁ、好きにしろと告げた。男がそれでいいというのなら、拒む理由はない。 ともに部屋を出て、廊下を歩きながらとめどない会話を続ける。 「――――」 「――」 「――――――――」 すると、ふと男の声も自分の声が聞こえなくなった。 それでも続いているらしい会話に、あぁ今日はこれで終わりなのかと、リヴァイはそう思った。 ぱっ、と情景が変わる。 まるでテレポーテーションしたかのようなその現象に、戸惑いを覚えることはなくなった。あぁ、またか。胸の内で呟いて、冷静にあたりを見渡す。なによりも見慣れた自分の部屋に、ふぅとただ静かに息を吐いた。 「…………」 すぐに夢の内容を思い返す。 とりとめのない、けれど不思議な日常の夢。見続けていくうちに気がついたが、会話は続いているはずなのに声が聞こえなくなる現象は夢の終わりの予兆らしい。目が覚めるときは決まってまず音から消えていく。 意味もなくぼんやりと宙を見つめる。目覚めたとわかっているのに、意識はまだどこか夢の中にあった。あのあと二人はどんな会話をつづけたのだろうか。リヴァイは想像してみる。だが、すぐに無駄なことだと気がついた。だってあれは夢の話だ。リヴァイが目覚めた時点で夢は終わったのだから、続きもなにもあったもんじゃない。 はぁ、とため息を一つ。視線を落として、また意味もなく手元をぼんやりと見つめた。手には読みかけの雑誌がある。いつから読んでいたのか、どこまで読んだのか。覚えてないし、もう興味もない。 いますぐ二度寝すれば、もしかしたら続きを見られるだろうか……。未練がましい意識はふわふわとしたまま、足に地がついていないよう。そんな、そのままどこかに飛んで行ってしまいそうなリヴァイの意識を現実に強く引き戻したのは、どこからともなく聞こえてくる電子音であった。 「っ…………」 それは、なんてことない携帯電話の着信音だ。なのに、やけに肩を揺らしてしまった。それだけぼんやりとしていたのだろうか。 長い着信音に急いで携帯電話を手に取る。いまだ鳴り続けるこの長さはメールではなく電話だ。ディスプレイを見るとそこにはエレンの名がちかちかと浮かんでいる。 「もしも――」 『リヴァイ!? やっと出た!』 出て早々、耳を貫く大声にリヴァイは眉間にぎゅっとしわを寄せた。 「……うるさい」 『うるさくもなるっつーの!』 短く文句を言うと、うるさく文句を返された。 「……で、なんの用だ?」 『なんの用だ……じゃない! あー、もうっ。俺すっげぇ心配したんだからな?』 「あぁ?」 『時間になっても全然来ないし、メールしても返信なし! 電話も3回は留守電になっちまうし……』 「…………?」 いったいなんの話をしているのか。リヴァイはすぐに理解することはできなかった。なにやらエレンは怒っているようだが、心当たりはない。今のところは。 『リヴァイ、いまどこにいるんだ?』 「どこって、自宅だが」 『本当か? じつは事故って病院にいるとか、そんなんじゃないよな?』 「そんな嘘つかん」 『じゃあ、どうしたっていうんだ?』 「どうしたもなにも、さっきからなんの話だ?」 見えない話に、リヴァイはストレートに訪ねることにした。すると電話口の向こうで、えっ、と思わずこぼれてしまったような一声が聞こえてくる。 『……もしかして、リヴァイ。今日の約束忘れてる?』 「…………あ」 思わず、リヴァイの口からも一声がこぼれた。 少しの沈黙を挟みながら告げられた約束という言葉に、ようやく思いだす。そうだ。そうだった。今日はエレンと買い物に行く予定だったのだ。近くのコンビニに14時集合。たしか、そんな約束だった。 ぱっと時計に目をやると、アナログ時計の針は14時から20分ほど過ぎたころを指している。 「すまん……」 『え、まじで忘れてたのかっ?』 「悪い。いますぐ向かう」 『え、いやっ、まぁ、なにもなかったなら、俺としてはべつにいいんだけど……』 「あぁ、ちょっとぼんやりしすぎていただけだ」 心配するようなことはなにもない。 ちょっと大げさなぐらいはっきりと告げてやりながら、財布を手に取った。走れば3分もかからずコンビニにつくはずだ。こんな暑い日に走るなど勘弁してほしいところだが、仕方がない。 『リヴァイ、本当に大丈夫か』 ドアノブに手をかけたちょうどその時、ぽつりといやに静かな声でエレンが問いかけてきた。 「…………」 リヴァイは一拍だけおいてから、すぐに答えた。 「あぁ、大丈夫だ」 そして、悪い、ともう一度だけ告げてから電話を切った。 どたどたと慌ただしく玄関に向かう。だが、ふとリヴァイは足を止めるとリビングへと行き先を変えた。今日は誰かいただろうかと、扉越しに中を窺う。すると、ソファにだらしなく横になったエルドの姿が見えた。ハーフパンツにTシャツの自宅ゆえの軽い格好。 「…………」 なんとなく、いやな予感がしてリヴァイはリビングのドアを開けた。とたんに、ひやりとした空気が肌を撫でた。テーブルに置いてあったリモコンを手に取ってみれば、そこには25度の数字。 「風邪ひくぞ……」 まったく、と呆れながら、数字をとりあえず28度まで上げた。さらに、急いで部屋まで戻り、取ってきた毛布を腹にかけてやる。よし、と満足げに頷いてから、今度こそリヴァイは玄関へと向かった。 靴を履き外に出る。そうすればさっきとは逆にぶわっと熱気が全身を襲ってきた。いきなりの温度差に、頭が少しくらりとする。強い日差しに目の裏側がちかちかとして、リヴァイはぎゅっと目をつぶった。 「相変わらず、お前は暑いのが苦手だな」 真っ赤に染まった世界で横から、声がした。 ゆるゆると思い瞼を持ちあげ視線をやれば、机に向かっている男の姿が目に映った。ちらっ、と目があったのは一瞬。男はすぐに手元に視線を落とした。 「…………」 「返事をする気力もなし、か」 「……うるさい」 つん、と突き放すように言葉を返すが男は気分を害した様子はまるでない。気の毒だなと同情しているような、それでいてどこか面白がっているような表情。 こちらはこんなに苦しい思いをしているのに、なんだその涼しげな表情は。 リヴァイは柔らかなソファにぐでっとより深くその身を預けながら男をにらんだ。 「兵士たちにはとても見せられない姿だな、兵士長さん」 「だから、場所はしっかりと選んでいるだろう」 「ふ、そうだな」 「……地下は、こんなに暑くなかった」 だから無理もないんだ。 言い訳のように言うが、まるで言い訳になっていない自覚はあった。だが、言わずにはいられない。それくらい地上の夏は暑い。あまりの暑さに頭はくらくらとするし、じわじわと流れ出る汗はこれ以上ないほどうっとうしい。地下でも夏は暑いが、ここまでではない。 「暑い……」 「夏だからな」 「…………暑い」 「…………」 「…………」 沈黙が落ちる。 聞こえるのはかりかりと男がなにかを書き進めるペンの音だけ。 カーテン越しに強い日差しが部屋に降り注ぐ。窓は開いているが、今日はあまり風が吹いていないのか、濡れたこめかみを撫でてくれる感触はなかった。ただひたすら暑い。外も内も、暑い。熱い。 「…………」 「…………」 「…………」 「……まったく、仕方がないな」 「……あ?」 男の声と同時に、ペンの音が止んだ。 なんだと思って目をやれば、男が席から立ち上がるところだった。そままゆっくりとした歩みで近づいてくる。じっと見つめ続けていると、男はリヴァイの頭上のひじ掛けに腰を下ろした。かと思えば、ふいにそよそよとした風が頬を撫でてきた。 汗ばんだ肌に心地よい風。窓から風が吹き込んだ、わけではない。柔らかな風は男の手元から生まれていた。何枚か重ねた紙を、男がゆっくりとリヴァイに向かって扇いでいる。 「それ……」 「うん?」 「大事な書類なんじゃないのか」 「大事は大事だが、うちの兵士長ほどではない」 「……そうか」 「あぁ、そうだ」 男の声は真っ直ぐだ。本来ならば、大事な書類をそんな風に扱うなと注意するのが部下としての在り方であるのだろうが、そのあまりに迷いのない男の声に、リヴァイはそれ以上をかえすことはできなかった。ただ甘んじて、男の起こすそよ風を受ける。そうすれば、時間はゆるゆると過ぎていく。 「……なぁ、リヴァイ」 あまりの緩やかさに意識が遠く沈みかけたころ、耳に男の声がするりと届き目を開けた。 「……なんだ?」 「今度なんだが、一緒に休みを取って遠出をしないか?」 「遠出? こんなに暑いのにか?」 「こんなに暑いからこそだよ。少し小さいが、いい民宿を知っているんだ。深い森林の傍にあってな、しかも大きな湖もある」 「湖……」 「あぁ、綺麗な湖だ。ここよりも、ずっと涼しい。だからな、リヴァイ」 一緒に行かないか?と男は小首をかしげて、それこそとても涼しそうな色をした瞳でリヴァイを見つめた。 「気分転換にどうだ? いいところだぞ」 「そうだな……」 リヴァイは考える。 本当なら、こんなにも太陽が熱いというのに遠くへ出かけるなどごめんこうむりたい。けれど、男が「いいところ」だと言うのだ。男が言うのなら、きっとその通りなのだろう。それならば、まぁ。 「悪くない」 「そうか!」 男がぱっと表情を明るくさせた。 「じゃあ、スケジュールを合わせないとな。日程はこっちで決めしまっていいか?」 「すべてお前に任せる」 答えると同時に、リヴァイは身を起こした。男の手から扇子代わりにされていた書類を奪って、そのままソファから立ち上がる。相変わらず暑くて身体はだるいままだったが、気分はよかった。 「そうと決まれば、さっさと仕事を進めるぞ。俺に回せる分をよこせ」 「お、なんだ急にやる気だな。もう少し休んでいてもいいぞ?」 「いや、もう大丈夫だ。それに、今のうちに終わらせておけばスケジュールに余裕ができるだろ?」 だったら休んでいる場合ではない。 そうだろう?と問えば、男はぱちりと瞬きをしてから、そうだなと頷いた。 「あぁ、楽しみだなリヴァイ」 「――――」 男の声に頷くと同時に、音が途切れた。 今回は、ここで終わり。 |
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