第1話 エルヴィン、運命と出会う | ||
そこら中でクリスマスソングが流れていた。 周りを見渡せば、男女のカップルの姿が普段とくらべて8割増しの確率で目に入る。手を繋いでいる者、腕を組んでいる者、これ以上ないというくらいくっ付きあっているもの。 「まったくよぉ、どいつもこいつもアホみたいな面してるぜ」 でれでれとだらしがない表情を浮かべる皆々にモーゼスは、けっ、と吐き捨てた。 冷たい風に身体が震える。それどころか、あまりに冷たいその風に、ぶえっくしょい、と大きなくしゃみがでた。その声が思いのほか辺りに響いてしまい、思わず周りの様子をうかがう。しかし、誰一人としてモーゼスのくしゃみを気にかける者はいない。 普段ならば、誰も気にしていなくてよかった、と思える場面のはずなのに、いまだけは誰も自分のことなど気にもかけていないことが酷くむなしいような気がした。 「あー、ちくしょうが、雪とか絶対に降るんじゃねぇぞ」 クリスマスというだけでも腹立たしいのに、そのうえホワイトクリスマスなんてたまったもんじゃない。鼻をすすりながら、またしても、けっ、と吐き捨てる。 しかし悲しいがな、その悪態に対しても言葉を返してくれる者はいない。誰もが各々の世界に入り込んでは隣の恋人と甘いひと時を過ごしており、モーゼスの声などこれっぽちも聞いちゃいなかった。 唯一、“彼ら”を除いて、は。 『あ〜ぁ、もう、嘆かわしいったらありゃしないねっ』 『せっかくのクリスマスにいい年した男が一人きり。まぁ、みじめと言えばみじめだな……』 『おいおい、そうボロクソ言ってやるな』 『え〜、でも本当のことだから仕方ないじゃん』 『……すんっ』 『本当のことでも、言ってやらないのが情けというものだ』 『いやいや、本当に彼のことをおもうなら、ここは情けなんてかけずにビシッ!と言ってやるべきだよっ!』 『そうは言っても、私たちの言葉は彼には通じないからな』 『そうなんだけどね〜、って、あれ?じゃあ、やっぱり別に何を言ってもよくない?』 ハンジが陽気にからからと笑い、そんなハンジにエルヴィンはやれやれと首を振り、ミケは無言で鼻を鳴らした。 少々ひどい物言いに、しかしモーゼスは気にした様子はない。忌々しげにカップルを見やりながら、ずんずん、いつもと比べ少し早足に進む。 だが、それも仕方がないことだろう。 なんて言ったって、人間という生き物は犬という生き物の言葉を理解することができないのだから、人間であるモーゼスが“彼ら”の話のこれっぽっちの反応を見せないのは、当然の話であった。 なにを隠そう“彼ら”はモーゼスが握るリードの先に繋がれた3匹の犬であった。 名前はハンジ、ミケ、エルヴィン。 ハンジはふさふさとした豊かな毛並みを持つコリー。 ミケが3匹の中でもいっとう大きな身体をしたアイリッシュ・ウルフハンド。 そしてエルヴィンが金の毛色が眩しくかがやくゴールデン・レトリバー。 寒空の夕方、飼い主のモーゼスのもと楽しい楽しいお散歩タイムの真っただ中である。 『にッしても!今日はやけに寒いよね〜』 『確かに。今日は風がやけに鼻先に刺さる……』 『モーゼスには残念だろうが、この様子じゃ夜になったら降り出すかもしれないな』 『私としては大歓迎だね!雪って冷たいし寒いけど、ふかふかしゃりしゃりしてて楽しいし』 『俺は、雪は面倒だからごめんだな。においも拭われてしまうし、つまらん……』 『はは、それはミケらしい理由だな』 エルヴィンたちは、クリスマスと言う日を理由にいちゃつくカップルを苦々しく見やるモーゼスなど関係なしに、和気あいあいと軽口を交わしあう。 けれど、それも仕方がないことだった。人間にとってはそれなりの意味を持つのだろうクリスマスという今日も、犬である彼らにしてみれば普段と変わらぬいつもの今日なのだから。 しかしこのすぐ後、三匹の内の一匹、ゴールデン・レトリバーのエルヴィンにとっての今日はただの今日ではなくなることになる。 なぜなら、エルヴィンはクリスマスという今日この日、彼にとっての“運命”と出会う。 |
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