第2話 あたたかなふわふわ
 とても暗くて寒いところにいた。
 土のうえに横たわるなんて考えられないはずなのに、横たえた身体はどうしたって動かすことができない。足が痛くて全身がだるくて頭がふらふらして、まるでぼろくずのようだった。

 どうしてこんなところに横たわっているのか。
 原因はあまりよくおぼえていない。
 だた、とてもとても必死になにかから逃げていたような気がする。脇目もふらずに走りつづけて、とちゅうで後ろ足にすごくおおきな痛みがおそったがそれでも必死に走り続けた。
 生きものの気配がしないほうへしないほうへ向かって、そしてたどりついた静かなどこかで、力尽きた。息を整えようと立ちどまった途端、足から力が抜けてそのまま動けなくなった。
(くそっ)
 思わずついた悪態は、きっと上手に声にはなっていなかったと思う。
(くそっ、くそっ)
 それでも、言わずにはいられなかった。
 びゅうびゅうと風がふいて、鼻先がきんと痛む。
 その痛みに顔をしかめながら、思った。
(このまま、しぬ、のか……?)

 死ぬ。
 思いかえすような過去もなく懐かしむような温もりもなく、なにも残すこともできずなにも成しとげることもなく、死ぬ、
 こんな寒い場所で、こんな暗い場所で、たった独り。
 いったい、なんのために生まれたのか。いったい、なんのために死ぬのか。
 そのどちらもわからないまま、死ぬ。

(くそっ、ふざけんなよ……っ!)
 またしてもこぼれ落ちる悪態。
 しかし、それは死にたいする恐怖からでたものではなく、なにひとつ知らぬまま死んでいくことへの悔しさからでたものだった。
(くそ! くそっ……、く、そ…………)
 しかし、想いに反して身体は重く、あいかわらず手足はぴくりとも動いてくれない。
 かすむ視界。風のふく音が聞こえなくなって、足の痛みが不自然に鈍り、しだいにはほんの少しの声すらも出すことはかなわなくなってきた。
 時間が経つにつれて、じわじわと目の前の暗やみが広がる。
 その暗さに比例して、まぶたの重さはどんどんと増していった。いい加減、目を開け続けていることに疲れて、まぶたをおろす。
 あきらめたわけじゃない。
 ちょっと休むだけだ。
 ほんのちょっとだけ。
(しんで、たまるか……しんで、たまる、か……、)
 繰りかえしながら、意識が遠のく。

 けれど、その時だった。
 自力で動かすことのかなわない身体に、そっ、となにかが触れてきたのは。


『――――――っ』
 感触に続いて声が、聞こえた。
 鼓膜をくすぐるその声は、しかし不鮮明でよくわからない。
 やたらと重いまぶたを持ちあげて目をあけると真っ暗なやみの中に、金色にかがやくなにかが見えた。まぶしくて、得体のしれない、なにか。
 反射的に、警戒の信号が全身をめぐってフゥゥと威嚇の声をあげた。
 底意地をかき集めた、精一杯中の精一杯。
 近づいてくるなにかに、前足を振りあげる。何回も何回も。ぼろくずみたいなこの身体の中にまだこんな力が残っていたなんてな、と思ったが、でも結局はその力もすぐに底をついた。
 得体のしれないなにかは、ずいぶんとでかい図体をしているらしい。最後の力を振り絞るようにして喰らわせた攻撃はたいしたダメージも与えずに、無駄に体力を消費しただけのようだった。
(くそっ……ちく、しょ…ぅ……)
 もう、ただ緩慢にまばたきを繰り返すことしかできない。
 眠い。眠くて眠くて、しかたがなかった。

『――――……、』
 聞こえ続ける声は、やっぱり不鮮明でよくわからない。
 わからないけれど、なぜだろうか。
(わるくない、かもな……)
 ずっと止まずに聞こえてくるその声は、なんだかとても力強く、懸命な様子が伝わってくるようで、聞き続けているうちに不思議とそう耳触りの悪いものではないように感じた。
 状況はなにもよくなっていないが、独りじゃないだけ、ましになったのかもしれない。
 だから、その声がなにを言っているのかわからないことが、少し惜しかった。
 せめて姿だけでも目にすることはできないだろうかと、最後の力を振り絞ってまぶたを持ちあげる。かすんだままの視界。その視界にかすかに映るのは、まばゆいような金色。
 まるでそれは――。

『たいようのいろだな……、』

 思わず呟いて、そしてぷつりと意識が途切れた。
 おとずれる真っ暗やみ。
 けれどそこには、つい先ほどまでの金色がまぶしいほどに焼きついていた。
  1 / 4  次→
目次