「これと……、これ、と」 書斎室に戻ってきたエルヴィンは、できるだけ湿気ておらず燃えやすそうな、それでいて希少価値の薄そうなものを本棚から選んでいた。あまり意味のない選別かもしれないが、この本たちの本来の主を思えばせめてものことだった。 一冊、一冊と抜き取っていき、腕に抱えていく。徐々に抱える重みが増していく中、次はこの本にしようと一冊の本に手をかける。だが、棚いっぱいにぎっしり詰められているせいか、その本はなかなか棚から抜けなかった。ぐっと指先に力を込めてようやく抜けたが、反動でエルヴィンは軽く一歩後ずさる。 「お、っと」 その拍子に、ちょうど真後ろにあった書斎机に立体機動装置が当たってしまった。がつんと鈍い音。続いて、がしゃん、となにかが落ちる音。 「ん……?」 一瞬、立体機動装置のパーツが欠けたのかと焦りかけたが、音の方に振りかえってすぐに違うとわかった。目を向けた先には、ノートサイズの額縁が伏した状態で落ちていた。書斎机の上にあったのを、ぶつかった拍子に落としてしまったようだ。 エルヴィンは片腕に抱いていた本の山をいったん机に置くと、落とした額縁に手を伸ばした。 「これは……」 額縁の中は肖像画だった。男女二人の、夫婦と思われる肖像画だ。絵師の腕がよほどよかったのだろう。サイズは小さめだが、細部までとても精密に描かれており、夫婦の顔もしっかりと見て取れた。 男性の方はエルヴィンと同じくらいか、少し若いぐらいだろうか。穏やかな微笑みを浮かべた人のよさそうな男性だ。対して妻と思われる女の方は切れ長な目が少しきつめな、長い黒髪の女性であった。 陽だまりを思わせる優しげな男性に、涼しげな雰囲気が美しい女性。正反対の印象を受ける二人だが、寄り添う姿が仲睦まじげで、それはとても素晴らしい肖像画であった。 しかし、屋敷の現状を思うとその素晴らしい肖像画が途端に切ないものへと変貌する。この二人ははたして無事であるのだろうか……。 「…………」 エルヴィンは少しの間その肖像画を見つめた。だが、すぐに首を振って肖像画を机に戻した。そして、一言告げる。 「すまない、すこし本を拝借する」 ただの肖像画なんかに言っても仕方がないとわかっていたが、告げずにはいられなかった。 ふぅ、と小さく息を吐いてから、エルヴィンはふたたび本棚に向き直った。あと二、三冊取ったら戻ろうと決めて、選別を再開する。 リヴァイが待っている。早く戻ってやらねば。一人なんてどうということもないとでも言いたげに涼しげな表情ばかり浮かべているが、あれで案外寂しがり屋なところがあることをエルヴィンは知っていた。だから、早く戻ってやらねばならない。 そう思いながら、エルヴィンは指先を本の背表紙に横に滑らせた。そして、あぁこれがよさそうだと本を抜こうとして、はたと気がつく。本棚に重なった自身の影が、やけにゆらゆらと大きく揺れていることに……。 不思議に思って机に置いたランプをふり返れば、ランプの中の炎が風に吹かれるようにして、影と同じようにゆらゆらと揺れていた。不自然なほど、ゆらゆら、ゆらゆら、と。 たしかに、外は風が強い。だがここは屋敷の中。ましてや蝋燭の炎は風よけの硝子がしっかりとされたランプの中で燃えているのだ。こんなにも大きく揺れているのは、すこし、おかしい。 「…………」 ランプをじっと見つめたまま、エルヴィンは眉間にしわを寄せた。 どうも、さっきからそんなことばかりだ。すこしのおかしなこと。リヴァイの聞いた声に、原因不明な体調不良。天井を叩いた音、風もないのに不自然に揺れる炎。一つ一つは些細だが、その一つ一つが積み重なって、気がかりな大きさへと膨れていく。 『本当にゴーストだったするかもな』 ふと思い出すのは、何度かリヴァイに冗談交じりに告げた自分自身の言葉。 「ゴースト……まさか、な」 思わず声に出して呟く。 ゴーストのせいかもしれない。そう何度かリヴァイに言いつつも、エルヴィンもその存在を明確に信じてなどいなかった。もしゴーストと言うものが本当にこの世に存在しているなら、毎夜エルヴィンの枕元には大勢の兵士たちが集まり、恨みつらみの声で毎日が寝不足に違いない。 しかし、数え切れぬほどの死を見届け続けても、そんな声が聞こえてくることはなく、ゴーストなんて存在するはずがない。そのはずだった、のに……。 「…………っ」 ぱっ、とエルヴィンは机に戻した肖像画をふり返った。絵の中の夫婦がこちらを見ている。先ほどとなんら表情など変わっていないはずなのに、どういうことだろうか。えもいわれぬ焦燥感が、じわりじわりと身体の奥底から湧き上がってくる。嫌な感覚だ。全身が、ざわざわと落ち着かない感覚。 く、と眉間にさらなる皺を寄せながら、エルヴィンは最後に取るつもりだった本を諦めるとすぐに机の上のランプを取った。もう本はいい。これだけ取ればもう充分だ。それよりも、早く戻ろう。早く戻って、リヴァイの無事な顔を見たい。そう思って、エルヴィンは早足に書斎を後にした。 だんだんだん、と足音を大きく響かせて1階に急ぐ。きっとその音は下の階まで聞こえているだろうが、気にしている余裕はなかった。早く、速く。はやくリヴァイのもとに。それだけを頭に、エルヴィンは廊下を駆け、階段を下る。 「うわ……っ」 その途中、腐った個所を踏み抜いてしまったのか、足が引っ張られるような感覚に身体が沈んだ。前のめりに倒れかけて、なんとか持ち前の身体能力でバランスを取る。おかげで、こけるような間抜けなことにはならなかったが、危うく階段から転がり落ちるところであった。 まさかこんなことが原因で怪我をするわけにはいかず、エルヴィンはほっと息を吐いた。しかし足元を確認してみてすぐにはっと息を飲んだ。踏み抜いたと思った階段には、なんの損傷もなかった。確かに、足を引っ張られた気がしたのだが……。 「これは、ますます……」 “らしく”なってきたんじゃないだろうか。 思わず、エルヴィンはふっと笑った。しかし、その額にはいつの間にか汗が浮かんでいた。暑さのせいではない。むしろ、うすら寒さを感じているくらいだ。 階段を下りきり玄関広間に着くと、そこでは待たせていた愛馬が落ち着きなく首を振っていた。 「お前も、なにかおかしいと感じたのか……?」 問いかけると愛馬はぶるるとちいさく鼻を鳴らした。前足が、何度も地を叩く。今にでもここから逃げ出してしまいたいと言わんばかりに仕草に、“らしさ”はさらに加速する。 「すまない、あと少し我慢してくれ」 愛馬はもう一度ぶるるとちいさく鼻を鳴らした。はやくしてくれよ、と促すようなそれにわかっているよと返して、エルヴィンは再びリヴァイが待っているリビングに急いだ。 廊下を駆け抜けて、ようやくの思いでリビングの扉へとたどり着くと、あえて隙間を開けておいたはずの扉はぴったりと閉じられていた。リヴァイが閉めたのか、風でも吹きこんだか、それとも……。嫌な予感がさらに積もっていく。 これでもしなにもなかったら、きっとリヴァイに盛大に笑われるだろうに違いないだろう。だが、それならそれで構わない。エルヴィンの杞憂にリヴァイが笑う。それは現状において最上の結果と言っても過言ではない。そう思えるほどに、エルヴィンの中の不安は巨大化していた。 急いた気持ちのまま、ドアノブに手をかける。だが――。 「っ開かない……?」 ドアノブを乱暴にまわすが、がちゃがちゃと不快な音がするだけで扉は開かない。なぜだ。リヴァイが鍵をかけたのか。いや、そんなはずはない。リヴァイがエルヴィンを締め出すような、そんな真似をするはずがなかった。それとも、鍵を閉めざるを得ない理由があったのか。 「くそ……っ」 エルヴィンは舌打ちをして、開かない扉を蹴りあげた。がつん、と重く大きな音が鳴るが、扉は互いに強く膠着したまま、開く気配はない。鍵をかけたにしても、不自然なほど固く閉ざされている。 「リヴァイ! 中にいるのかっ?」 声を張り上げるが、返事はない。それはリヴァイの身になにかがあったのだという確証を得るには十分すぎるものであった。悠長にしている暇はない。エルヴィンはすぐに本とランプを床に置くと、トリガーを手にした。 扉から距離を取り、ぱしゅ、と扉のすぐ横の壁にアンカーを突き刺す。そしてそのまま扉に向かって足から突撃する形で、目いっぱいガスを噴出させ飛び込んだ。勢いを生かして、エルヴィンは扉を蹴りあげる。 1回目にみしりと扉は軋んだ音を立て、2回目にばきりとなにかが壊れる音がした。3回目にさらにばきりと音がし、そしていよいよ4回目にしてエルヴィンの蹴りに負けた扉がばんっと大きな音を立てて開いた。 ぶち破った勢いのまま転がり込むようにして、リビングに飛び込む。 「リヴァイ!」 名を呼びながらエルヴィンはリヴァイの姿を探した。すると、すぐにリヴァイの姿が目に入った。だが、ほっと息をつく暇などはなかった。目に映ったのはリヴァイの姿だけではなく、もう一人、男の姿がそこにはあった。 こともあろうに、リヴァイはその男に馬乗りにされるようにして、床に押し倒されていた。さらに、男の両手がリヴァイに首に絡みついているではないか。抵抗するリヴァイは両手で男の手を引き剥がそうてしているが、男の力が強いのか、ただ手を添えているだけの状態となっている。リヴァイの顔が苦しそうに歪んでいるのが、ここからでもよく見えた。 「リヴァイッ!!」 ただならぬ状況に、エルヴィンは一目散にリヴァイのもとへと走りよった。その最中、鞘からブレードを抜く。なにがあったのか、あの男はどこの誰なのか。状況は一切わからないが、そんなことはどうでもいい。 「私のリヴァイから手を離してもらおうかッ!!」 怒鳴るように告げて、エルヴィンはブレードで男を薙ぎ払った。流石に刃のほうではなく、手加減をした峰側での攻撃であったが、骨の2、3本は折れてもらうつもりであった。よりにもよってリヴァイに手を出したのだ。当然の報いである。 「な……ッ」 しかしどういうことだろうか。男を確実に捉えたはずのブレードに手ごたえはなく、男の身体はまるで煙のようにゆらりと滲んだかと思えば、そのままその場から姿を消した。 |
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