昨日は、放課後から急に雨が降り始めていた。さっきまで確かに空は晴れていたはずなのに、切島たっての願いで行われていた勉強会を終わらせてさぁそろそろ帰ろうかというタイミング。ざぁざぁと大きな音が耳にうるさいほどの激しいにわか雨を、傘を持っていなかった爆豪は切島と二人で見上げていた。 べつに、なんてことはない雰囲気だった。良いとも悪いとも言えない、ただ普通の雰囲気。いつもと比べてなにが違うわけでもない、普通の時間だった。少なくとも、爆豪はそう思っていた。さっさと降り止めねぇかなこのくそ雨、と少し苛々しながらも、ただのんきにそんなことを思っていた。 その時、ふいに切島が言ったのだ。 「爆豪、好きだ」 うるさい雨音の合間、それでもはっきりと耳に届く声だった。 隣を向くと、切島は爆豪のことを見ていた。やけにまっすぐな視線だった。こいつはなにを急に言っているのだろうか。声は聞こえていたはずなのに、すぐに意味を理解することができなくてじっとその目を見返したことを覚えている。らしくないほどに真剣な表情。 「なに、言ってんだ……」 なんとか喉を震わせて聞き返すと、切島は、あ、とすぐに表情を崩した。真っ直ぐだった視線がうろうろと彷徨って、最終的に地面を見つめる。 「っ悪い……、こんなこと、急に……、驚いたよな」 「……べつに」 「言うつもりはなかったんだ……、」 「……じゃあ、なんで言った」 「わ、かんねぇ。ただ、お前の横顔見てたらさ、あぁやっぱ好きだなぁって、思って……、そんで、思わず、なんか……言っちまってた」 ごめん、と切島はまた謝った。弱弱しい声に、なんと返事を返せばいいのか、咄嗟にわからなかった。考えているうちに、ぱっ、と顔を上げて切島はわざとらしいくらい明るく笑う。 「男同士でこんなん言われても困るよなっ! ほんとまじごめん! いま言ったことは忘れてくれていい! いや、むしろ忘れてくれ! ついつい言っちまったけど、お前にどうこうしてほしいとか、そういうのはねぇからさ! ほんと忘れてくれ! ……俺は、今まで通りでいいんだ。俺は、それだけで……」 勝手に切島は話を進めていく。爆豪の返事など聞こうともせず、いや、聞きたくないとばかりに一人で矢継ぎ早に喋り続ける。忘れてくれ。そう何度も繰り返す。なんだよ、それ。意味がわからなかった。 「っごめん爆豪! 俺先に帰るわ!!」 「あ、おいっ」 言うだけ言って、切島は爆豪の返事も聞かずに走りだした。咄嗟に呼びとめるが遠ざかっていく背中はスピードを落とすことはなく、一度だって振り向かれることはなかった。目立つ赤色が、降りしきる雨の合間に消える。 「…………」 爆豪は切島のあとを追ったりはしなかった。 そのあとのことは、あまりよく覚えていない。気がつけば家の玄関先で突っ立っていた。髪も服も濡れていたから、たぶん切島と同じように雨の中を突っ切って帰ってきたのだろうと思う。どれくらい突っ立っていたかはわからないが、濡れた肩はとても冷たかった。 ようやく頭が回り始めたのは風呂も入って夕食も済ませ、早めにベッドにもぐりこんだ頃になってのことだ。ぼんやりとしたままだった頭に、ふつふつと切島の言葉が蘇る。俺が好き? 言うつもりはなかった? 忘れてくれ? 今まで通りでいい? すぐに、なにをふざけたことを言っているのだろうと思った。人の返事も聞かないで、なにをすべて勝手に決めているのか。 (あぁくそが) 次いで生まれたのは、どうしようもない苛立ちだった。そして爆豪は思った。上等だ。だったら言われた通りに忘れてやる。今まで通りに振る舞ってやる。なにもかも、なかったようにしてやろう。お前が本当にそう望むのなら、なにがあっても絶対に、引きずっている様子などみせてやるものか。あんな腰抜けた告白に無様に動揺するような男ではない。馬鹿にするなよ。 「なぁ、お前が言ったんだろ」 爆豪は強く突き付けるようにしてふたたび言ってやった。他の誰でもない、目の前の切島が言ったこと。切島が望んだこと。 「忘れてくれって、そう言ったのはお前だろ? そんな俺になにをわかれって言うんだ?」 「……そ、れは」 切島が言葉に詰まった。 「今まで通りでいいって言ったのも、お前だ」 「…………」 「それなのに、お前のその反応こそどういうつもりだよ」 「…………」 切島は口を閉ざしたまま、困惑の表情を浮かべている。なんて言葉を返せばいいのか、まるで分っていない様子だった。ふざけている。爆豪は、ちっ、と一つの舌打ちをこぼしながら、畳みかける。 「お前の言うトモダチってのは、授業中でもやたら視線を向けてくる関係のことを言うのか? 食えもしない飯をほかの奴から割りこんででも交換してやるものなのか? 心配だからって、放課後にわざわざ電車に乗って来るまでのものなのか? ましてや、同性の裸に顔を赤くなんてするもんなのかよ」 そこまで言って、はっ、と思わず笑ってしまった。とんだ友だち関係もあったものだ。気持ちが悪い。 「なぁ、おい。お前が言いだしたことだろ。だったら、ちゃんとそれらしく振舞えよ。俺たちは、トモダチ、なんだろ」 わざと、トモダチ、とゆっくり区切って言ってやる。意地が悪い? 知ったこっちゃない。これは爆豪なりの優しさだ。中途半端な位置で立ち止まっている切島に引導を渡し、決着をつけさせてやる優しさ。 「お前の望み通りに、俺は忘れてやる。だから、お前もさっさと忘れろ。ちゃんと普段通りに振る舞え、トモダチとしての距離を取れ」 「…………」 切島は相変わらず無言のままだった。爆豪の言葉が重くのしかかっているかのように深く俯き、どんな表情をしているのかよく見えない。続く無音。落ちる沈黙。覆う静寂。やっぱり、その程度だったのか。爆豪はため息をついた。けど、もうどうでもいい。予想の範囲内だ。 「わかったら、お前やっぱり帰れよ……」 俺はもう寝たい。 爆豪はしっしっ、と犬でも払うように手を振りながら最後を告げた。実際、もうこいつの相手をしてやれるほどの気力はないに等しい。だるい。疲れた。もう着替えなんていいからさっさと横になってしまおう。 「昨日のことも、今日のことも特別に忘れてやる。明日からはうまく繕えよ」 これで終わりだ。爆豪はそう結論付け、切島に背を向けた。 胸の奥が冷える。でも、これでよかったのだ。曖昧なままぐだぐだ引っ張るくらいなら、はっきりと断ち切ってしまったほうがいい。だから、これでいい。強く言い聞かせる。 「…………」 しかし、言葉を受けたはずの切島は動く気配を見せなかった。これも、まぁ予想できた反応だ。ここで、はいわかりましたと素直に頷くようなら、いまこの部屋にこいつがいるわけがない。だが、部屋に招き入れたやった時のように妥協してやる気はなく、爆豪は切島を振り向かないまま呼びかけた。 「切島」 「…………」 「おい、切島」 「…………」 「帰れって言ってんだろ」 「……いやだ」 何度目かの呼びかけでようやく切島が口を開いた。しかし口にしたそれは強い拒絶の言葉であったため、爆豪はぐっと眉間にしわを寄せた。 「あぁ? 嫌だじゃねぇよ帰れよ」 「嫌だ……」 「……これ以上、話すことなんてないだろ。いいから帰れ」 「嫌だ」 「っ切島!」 「絶対に嫌だ!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、なにがなんでもっ、嫌だ!!!」 「っ……」 思わず怒鳴ると、それ以上に大きな声で切島が叫んだ。堰を切ったかのようなわめき声が続く。あまりの勢いに思わず、びくっ、と肩を揺らして振り返ってしまうと、切島は目つきをやけに鋭くさせて爆豪を見ていた。ぎらぎらと燃えるような目だ。獲物を狙う、獣のような鋭さ。そのくせ、その表情は今にも泣きだしそうな、ぐしゃぐしゃな顔をしていた。 「やっぱり嫌だ、ただの友達なんかじゃ嫌だ、ただの友達なんかじゃいられない嫌だ嫌だ嫌だ、絶対嫌だ!」 言いながら、切島は爆豪のほうへとずかずかと近づいてきた。さっきまで及び腰だったくせに、まるで正反対な意気込みで距離を詰めてくる。妙な圧力すら感じる様子に反射的に後ずさるが、その距離すらあっという間に詰められた。 「この想いを忘れることなんてできねぇ! 好きだ、好きなんだ爆豪。お前のことが好きだ。目を向けるななんて無理だ放っておくなんて無理だ。赤くだってなるに決まってる。だって俺はお前が好きなんだ! 友達としてじゃなく、そういう意味で好きで好きで仕方ないんだよッ!!」 「き、りしまっ」 「忘れていいなんて嘘だ! 友だちでいいなんて大嘘だっ!!」 途切れ途切れに名を呼ぶが、切島はとまらない。 後ずさりすぎて、ついに足がベッドにぶつかった。うわ、とベッドに背中から倒れると、切島はそれすらも追いかけてきた。仰向けで寝転がる爆豪を潰さないように両腕を立てながら覆いかぶさる切島は、相変わらず鋭い眼差しのまま。ぐ、と一度口を引き結んでから、そっと口を開いた。 「……好きだ、爆豪」 先ほどまでの勢いはどこへやら。ぼそりと呟くようなちいさな声。その言葉を最後に、切島は沈黙した。しかし、瞳だけが無言のままとてもうるさい。 あの時も、こんな真っ直ぐな目をしていた。昨日のこと。よく覚えている。どんなに強く突き放して見せても、本当は、忘れられるはずなどなかった言葉。 「なに、言ってんだ」 爆豪は昨日と同じ返事を返した。この返事に、昨日の切島はすぐに目をそらしていた。だが、いま目の前にいる切島は、じっと爆豪を見つめたままその目をそらすことはなかった。信じてもいいのだろうか。もう、逃げ出したりしないだろうか。ぐるぐる、ぐるぐる、考える。 そのまま、どれほど考えていただろう。たったの数秒な気もするし、数分だったような気もする。わからない。ただ、切島はやはり目をそらすことなく爆豪を見つめたままだった。答えを待っている。好きだと言った自分に対する、爆豪の言葉を。昨日のこいつは逃げ出した。けれど、いまは逃げ出さないままここにいる。……きっと、それがすべてだ。 爆豪は一度目を伏せると、はぁ、と何度目かになるため息をついた。そのため息に、切島はびくりと肩を揺らしていた。獣の瞳に不安がよぎる。あぁこいつも一緒なのだな。そう思うと、少し気が抜けたような気がした。まったく、どこまでも手間のかかるやつだこいつは。けど、まぁいいだろう。終わらせると決めたのだ。だったら、それを貫くまでの話。 「おい、切島」 「…………なんだ」 「一度しか言わないからよく聞けよ」 手を伸ばして、目の前の胸ぐらをつかんだ。ぐ、と顔を持ちあげて、切島の耳へと唇を寄せる。そしてその耳に注ぎ込むようにしてそっと囁いてやった。あの時、返す暇も余裕も与えてもらえず、行き場を失い飲みこまざるを得なかった言葉。 「おれも……、すきだった」 おまえのこと。 それは爆豪にとって特別な中でもさらに特別級の言葉だった。 爆豪の言葉に切島はまたしてもびくっと大きく身体を跳ねさせた。すぐに顔を離してベッドに後頭部を沈め切島を見上げれば、やつはぽかんとした間抜けな表情をしている。 「…………」 「……おい、なんか言えよ」 「そん、な……ほ、本当に……?」 「嘘だと、思うか?」 「っ…………」 問いかけに問いかけで返せば、ふっ、と息を飲むような音が聞こえた。間抜け面を浮かべていた表情が、ふたたびぐしゃぐしゃに歪められる。瞳がぎゅっと細められて、その目尻にじわりと涙が浮かんでいた。 「爆豪っ! 爆豪爆豪、爆豪ッ!!」 切島はまたしても大きな声で叫び出した。 「んだよ……」 「っごめん、ごめんなァ、爆豪」 「……それは、なんに対する謝罪だ?」 「おれ、俺……、お前のこと、好きだって言っておきながら、っお前に拒絶されたらって、距離を置かれたらって、そんなことばかり気にして!! ……自分が怖いだけのくせして、友だちのままでいいなんて大嘘こいて、お前のこと気遣ってるふりして、あげくにお前の答えから逃げて……、お前が抱いてくれた気持ちをないがしろにしたッ!!」 「…………」 「だから、ごめんッ!!」 吠えるような謝罪とともに、ついに切島の目から溢れだした。ぼたぼたと落ちる涙が、爆豪の頬を濡らす。汚い、とは、思わない。これがほかの違う誰かの涙であったならきっと盛大に顔をしかめただろうが、こいつの、切島の涙だったら触れてやってもいい。爆豪は手を伸ばすと、切島の目元を濡らす涙を拭ってやった。 「いいぜ、特別に許してやる」 「っ、ばくごぉ……」 すると、さらに切島はぶわっと涙をこぼす。いくつもいくつも、それこそ昨日の雨のように激しく。爆豪はまるでとまる気配のないそれを、やはり何度も何度も拭ってやった。本当に仕方のない奴だ。でも、別にいい。なんでもない、なにもなかったのだと無理やり浮かべていた愛想笑いよりも、心のままに涙を流す、ぐしゃぐしゃで汚い泣き顔のほうがよっぽどいい。 ぎゅう、と切島が抱きついてくる。膝を立てて、器用にも体重をかけてこない抱擁。だから好きにさせてやった。むしろ、手を伸ばして背中に触れる。抱き返すと言っていいかわからないほどに緩く背中を叩けば、首筋に当たった切島の頬がより一層強く押しつけられた。 他人とくっ付きあうなんて本来ならばご免こうむりたいところだ。だが、切島が相手ならば、まぁ許してやろうと思う。その程度には、この男の存在は爆豪にとって特別だった。だから自分だけ言いたいことを言って、あまつさえ自分一人で答えを出した切島に苛立った。忘れていいなんて言われて、内心とても傷ついた。けれど、それもやはり特別に許してやる。 これでもまだ友だちで良いなんて嘘をつくようだったら、それこそ本気で嫌いになってやろうと思っていた。そこですべての関係を終わらせてやろうと思っていた。だが、切島は最後の最後をちゃんと誤らなかった。だから許してやる。 ふ、と爆豪はちいさく笑った。悪くない気分だ。散々苛つかされたが、見逃してやっていいほどには、悪くない。だが、悪くないのはあくまで気持ち方面だけの話で、心身の後者のほうはもう限界であるのが正直なところだった。 「おい、きりしま」 「っぐ、ずび……、なんだ?」 「もうそろそろ時間切れだ」 「えっ、あ、え? 時間切れ? な、なにが……?」 「すっげぇ頭いてぇ、だりぃ、ねむい……だから、もうむり」 言い終わってすぐに力をなくした腕がぱたりとベッドに沈んだ。腕だけじゃない。全身にまるで力がはいらず、ずぶずぶとベッドに身が沈んでいくような感覚がした。呼吸を深くするが、息苦しさが消えない。瞼が異様に重くて、目を開けていられなかった。 「爆豪!? な、ちょ、だい、大丈夫かッ!?」 「…………ぅるせぇ」 「お、おいっ! しっかりしろ! そんな、し、死ぬな! 爆豪! 爆豪ッ!!」 うわぁああああん、と雄たけびのような泣き声が聞こえてくる。だが、やはり目を開けることはできなかった。せめて、こんくらいで死ぬわけねェだろアホかお前はとツッコんでやりたかったが、それすらも無理だ。 まじでだるい。頭が割れる。熱いし寒い。あぁ、でも、やっぱり気分は悪くなかった。うるさいだけなはずの切島の必死な声が心地いい。散々人を振り回したんだ。しばらくそうやってBGMがてら騒いでいればいい。そうすればきっとこんな風邪なんて吹っ飛んでしまうほどに、深くよく眠れるだろうから。 |
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