日が沈み、暗くなった道を爆豪は鉄哲と二人で歩む。その足取りは自分でも自覚できるほどに重い。足だけじゃない。なんだか全身至るところが重い気がしてならず、気がつけば俯いてしまいそうになる頭を持ちあげるのがひどく重労働だった。
 そんな爆豪に、隣を歩く鉄哲が気遣わしげな視線を送ってくる。癪に障る目つきだ。だが、文句を言うほどの気力も残っておらず、爆豪は無言を貫いていた。一応、察してはいるのか鉄哲も余計な口を利くことはなく、二人の間には沈黙が下りていた。

「爆豪!」
 沈黙が破れたのは、学校につき、そのままさらに寮へと目指し重い足を進め続けていた時のことだった。ふいに聞こえてきた声。顔を上げると切島がこちらに駆け寄ってくる姿が目に映った。薄暗い視界に、それでも目立つ赤髪。それはあっという間に爆豪の目の前にまでやってくる。
「おめぇなぁ! 携帯の電源切っただろ! どんだけ連絡したと思ってんだ!」
「あー……」
 あまりにもうるさいんでだいぶ早い段階で切ったのだが、忘れていた。
「あー、じゃねぇって!」
「っせぇなぁ……、そう言うてめぇはここでなにしてんだ」
「なにって、帰りが遅いから校門で待ってようかと思ってたんだよ」
「おい、小さなガキじゃねぇんだぞ、いい加減その過保護やめろや」
「おめぇは敵連合のやつらに一度狙われてんだからこんぐらい普通だっつーの!」
 いくら許可取ったからって、あまり一人では出かけんなよ。
 切島に注意され、爆豪は、む、と眉をひそめた。そしてふんっと鉄哲を指さす。
「一人じゃねぇよ、こいつがいんだろうが」
「そういや、なんで鉄哲が……」
 切島は今になって気がついたように鉄哲に目を向けた。鉄哲は、よっ、と軽く答える。爆豪はすぐさま鉄哲を横目でにらんだ。余計なことを言うなよ? 死んでも言うなよ? 言ったらどうなるかわかってるよな? そんな想いを込めて、ギリギリと力強く。
「あ〜、まぁ、ちょっとな……」
 爆豪の想いをちゃんと察したらしい鉄哲はごにょごにょと言葉を濁らせる。下手な返しだ。もう少しまともに取り繕えないのか。爆豪がさらににらむと、あー……、と鉄哲は視線をさまよわせたのち、びしっ、と手を上げた。
「じゃ、じゃあ、俺はもう行くからよ!」
 そのまま鉄哲はそそくさとB組の寮へと走っていく。やはり挙動が若干不審であったが、変にぼろを出されるよりはよほどましな対応だろう。お、おう、と返事をする切島の横で、爆豪は遠ざかる背中を黙って見おくった。
「…………」
「…………」
「えーと、じゃあ、とりあえず俺たちも戻るか」
 切島の言葉で、爆豪は止めていた足をふたたび動かしはじめた。
 その道すがら切島が尋ねてくる。
「なぁ……、鉄哲とどこ行ってたんだ?」
「……ちょっと買い物」
「おめぇ、あいつと一緒に出かけるほど仲良かったっけ?」
「べつに、ただ俺の欲しいものに詳しそうだから連れてっただけだ」
 嘘じゃない。
「ふぅん……、でも、そのわりには手ぶらだな」
「……うっせぇ、けっきょく買えなかったんだよ」
「それじゃあさ、今度は俺が一緒に見てやるよ! お前の欲しいもの。なにが欲しいんだ?」
「…………」
 お前へのプレゼントだよ。心の中で返しながら爆豪は首を横に振った。答えられるわけがないし、なによりもう間に合わないのだ。今日が最後のチャンスだった。一番を用意する最後のチャンス。だが、だめだった。
「もう、いい……」
 爆豪は肩を落とした。俯く頭をついに支えきれず、一緒に視線も足元へと落とす。
 だから、その横顔をじっと見つめてくる切島の視線には気がつくことはできなかった。

「爆豪、おかえり〜」
「どうだったんだ、爆豪」
 寮につくと上鳴と瀬呂がまるで切島みたいな早さで声をかけてきた。そろそろと爆豪は視線を上げる。だが、一瞥くれてやるだけですぐに逸らした。その反応で結果がよろしくなかったことを察したのだろう、二人はそろって眉尻を下げていた。
「あ〜、爆豪、その……」
 慰めの言葉でも寄こそうとしているのか、しかし切島がすぐ傍にいて上鳴は言葉を濁す。ちょうどいい。慰めの言葉などいるものか。爆豪は、ちっ、と舌打ちをこぼしながら二人を無視してずかずかと足を進めた。
「あ、爆豪もうすぐ夕飯……」
「いらねぇ」
「いらねぇって、おい爆豪!」
「まさか、夕飯抜くつもりか!?」
「え、夕飯抜くとかマジでか!? 俺たち食べ盛りのDKだぞ!」
 大げさに上鳴たちが騒ぐ。別に大したことじゃない。ただ腹が減ってないだけだ。そもそも一食抜いたぐらいでなんだ。そんなこと大したことじゃない。そうだ。全然大したことじゃない。切島への一番が見つからなかったことに比べれば、そんなもの……。
「うっさい! ごちゃごちゃ騒ぐなくそがッ!!」
 やつ当たり気味に怒鳴って、爆豪は一直線に階段に向かった。とっとと一人になりたく、エレベーターを待つのすら煩わしい。
 あからさまについてくるオーラを出した爆豪に続くものはいなかった。


◇ ◇ ◇


 部屋に戻った爆豪は真っ先にベッドまで向かうと倒れこむようにして横になった。途端にどっと疲れが押し寄せてくる。実習が終わったあとの疲れとはまた違った倦怠感。指の先まで重たい感覚に爆豪は、はぁ、と深くため息をついた。
(なにも、見つからなかった……)
 あらためて自覚し、爆豪は己の気分がひどく沈んでいくのを感じた。ずぶずぶとまるで底なし沼に足を踏み入れてしまったかのように深く深く沈んでいく。理由なんて考えるまでもなく、わかっている。そう、わかっている。そのつもりだったのだ。
 爆豪は切島という男のことをわかっているつもりだった。すべてとは言わないが、それなりに理解しているつもりだった。その程度には共に過ごしている。そのつもりだった。
 しかし、その結果がこれだ。自分は切島が一番喜ぶプレゼントがなんなのか、断片でさえわかることはできなかったのだ。わかっているつもりで、本当はなにもわかってなどいなかった。あぁ、また気分が沈んでいく。
 明日はどうしようか。それを考えるとさらに気分は沈む。くれてやるつもりでいた一番のプレゼントは用意できなかった。いや、一番どころか、切島が喜びそうだなと目をつけたプレゼント候補のどれもを爆豪は手にすることはなかった。だって、それじゃあ意味がなかったから。だから、切島にやれるようなものを爆豪はなにも持っていない。
 もういっそスルーしてしまおうか。一瞬そんなことを考えたが、すぐに首を振る。流石にそれだけはあり得ない。ならば、どうする。物が無理ならば……、たとえば、一日なんでも言うことでも聞いてやるのはどうだろう。だが、またすぐに首を振った。ガキが作るちゃちななんでもお手伝い券かなにかかよ。幼稚な発想に嫌悪感すら覚えた。

 こんこん。
 ぐるぐると空回りする思考。それを止めたのは二回のノック音だった。
 たぶん、切島だろう。爆豪はノックを無視した。いまは切島の相手はしたくない。いや、したくないは正確ではない。たぶん、きっと、今は普段通りに切島と接することはできないだろう。だから、会いたくない。
「爆豪〜、いるんだろ〜」
 だが、扉の向こうから聞こえてきたのは切島の声ではなく上鳴のものであった。
 爆豪はのそりと身を起こした。そして、少し考えてから扉に向かい、ノブに手をかけた。そのまま扉を開ければ上鳴が一人で立っている。
「はいはい、お邪魔しますよ〜」
 ずかずかと上鳴は部屋へと入ってくる。相変わらず綺麗なお部屋ね〜、なんて茶化した言葉を吐きながら図々しくもローテーブルの横に腰を下ろした。
「おい、なに勝手に座ってんだよ」
「いいじゃん! 俺とお前の仲じゃん!」
「どんな仲だ。つーかなんの用だよ」
「いやさ〜、大丈夫かなぁ、って思ってさ」
「……なにが。大丈夫に決まってんだろ」
 誰に向かって言ってんだ。
 けっ、と爆豪は吐き捨てるが、その声にはいつものような覇気はなかった。上鳴をにらみつける目つきにも、いつもの鋭さはない。
「切島が心配してたぞ。爆豪の様子がおかしいって」
「……まさか、ばらしたんじゃねぇだろうな」
「いや、一応瀬呂と一緒に誤魔化したけどよ、正直あんま効果はなさそうだったわ」
「…………」
 まぁ、そうだろうな。
 そこに関しては爆豪は文句を言うことはなかった。
「でもさぁ、そこまで迷ってんならいっそ切島に全部言っちまえば?」
「はぁ? ふざけんなよアホ面」
「お前の気持ちはわかるよ? やっぱこういうのは当日言ってこそだって。でもさぁ、喜ばしてやりたい相手に心配させてちゃ本末転倒だろ〜?」
 ぐ、と爆豪は言葉に詰まった。
 アホ面にしちゃずいぶんと的を射たことを言いやがる。それだけに苛立つ。自分だってこんな結果は不本意だ。本当ならいま爆豪の手元には切島への一番がなくてはならないのに、現実は空っぽの手のひらのまま明日を迎えようとしている。
「…………」
 思わず黙りこむと、そんな爆豪を見て上鳴は言った。
「にしてもなんつーか、お前らって切島のほうばっかりかと思ってたけど、結構どっちもどっちなのな。まーったくお熱いこって」
「……は?」
「あ、いやっ、なんでもない! 別になんでもない!電気くんの独り言! 気にしないで!」
 的を射たと思ったら、今度はよく分からないことを言う。
 爆豪は首をかしげるが深くは考えなかった。いまはこいつの軽いノリに付き合ってられるような気分じゃない。はぁ、と爆豪は今日何度目かになるため息を吐き、しっしっ、と上鳴に向かって手を振った。
「……お前、もう出てけよ」
「えっ、怒った? ごめん! 謝る! ちゃんとお前がどうすれば納得できるか協力するからさ!」
「べつにもうお前の協力なんていらねぇわ」
「えぇ〜」
 んだよそれぇ傷つく〜、と上鳴はわざとらしく肩を落とす。出てけと言っているのに立ち上がる気配がない。居座る気かこいつ。それならばと爆豪は上鳴を無視してクローゼットに向かった。着替えを一式取りだし、扉へ向かう。
「ちょ、どこ行くんだよ。切島のとこか?」
「んなわけねぇーだろ。風呂だ風呂。ついてくんな」
「んも〜、爆豪〜」
 上鳴が不満の声を上げる。その声も無視して爆豪は背を向けたまま一方的に告げた。
「俺が戻るまでに消えてろ。もしまだいたらまじでぶっ飛ばす」


◇ ◇ ◇


 寮の風呂は夜のみ利用できる大浴場と24時間利用できるシャワールームの二つがある。今は大浴場が利用できる時間帯であったが、爆豪はシャワールームへと向かった。こちらなら誰かと顔を合わせることはないだろう。
 頭のてっぺんから湯の雨を被る。そうすると温かなその雨に全身がふるりと振るえた。意識してなかったが、だいぶ身体が冷えていたようだ。指先がじんじんとする。痛いくらいだ。けれど、指先以上に頭が痛い。
(なにも見つからなかった)
 一人になった途端に意識を占めるのはそればかりだった。どうすればいい。往生際悪く考える。けれど、本当はわかっている。プレゼントを用意できなかった以上、もう一番を贈ることを諦める以外の選択肢はないのだろう。今の爆豪に残されている選択肢など、せいぜい明日切島におめでとうと言うか言わないか。その程度のものしかない。ぐだぐだ悩むだけ無駄。落ち込むだけ無駄。もう意識を切り替えるしかないのだ。
 しかし、いくら頭で分かっていても心は沈んだままどうすることもできなかった。湯で身体を温めても、胸の奥のほうは重く冷え切っている。無力感。自己嫌悪。いっそのこともうなにも考えたくない。明日のことなど、なにも知らなかった自分に戻りたい。
 そんな風に思っては、そんな自分にまた嫌悪する。ばかみたいだ。こんなの自分らしくない。わかっているのに、やはりどうしようもない。

 風呂を出た爆豪は変わらずに重たい身体を引きずって部屋へと続く廊下を歩く。身体をさっぱりさせれば多少は気分も晴れるかと思ったが、まったくだ。
「あ、いたいた。どこ行ってたんだ爆豪」
 気がつけば、また俯きがちに歩いていたらしい。
 急に聞こえてきた声に顔を上げれば、正面から瀬呂が歩いてくるところだった。どこ行ってたんだ、と言うことは自分のことを探していたのだろうか。わざわざ部屋を尋ねてきた先ほどの上鳴を思いだして爆豪は思わず顔をしかめた。
「あぁ? なんだよ」
「お前、夕食まだ食ってないだろ。どうすんだ?」
「いらねぇ」
「食う気がしない、ってか」
 原因はわかっているとでも言うように、瀬呂は頷いた。実際、瀬呂は原因をわかっているだろうし、その見解はあっている。むかつくことに。
「爆豪、お前あんま思い詰めるなって」
「……余計なお世話だくそが」
「こう言っちゃなんだけど、今年がだめでもまた来年があるんだしよぉ」
「うるさい」
 ふい、と爆豪は顔を背けた。やっぱり瀬呂も上鳴と同じ理由で爆豪を探していたようだ。まったく、なんなんだこいつら。そんなに気にかけてくるほど自分はへこんでいるように見えるのかよくそが。あぁそうだよ割とへこんでるよ自分のぽんこつさ加減にな。けれど、だからと言って同情されるのはごめんだ。ただでさえ惨めな気持ちなのに、よけい惨めになる。
 爆豪は瀬呂から顔を背けたまま、瀬呂を無視してその横を通りすぎようとした。しかし、ちょうどその時、あ、と瀬呂が声を上げた。んだよ。思わず反応して背けたばかりの顔を瀬呂に向け直すと瀬呂は爆豪の後ろの方に目をやっていた。
「切島、こっち来てる」
「あぁ?」
 なんだと。爆豪はふり返ろうとして、直前で思いとどまった。だめだ。顔を合わせてはいけない。瀬呂がどうするんだ? と尋ねてくるが、どうするもなにもねぇわと乱暴に返す。
「部屋に戻る」
「おぉい、爆豪? 切島と話さないのか」
「もう寝るって、あいつに言っとけ」
「でもよぉ……」
 瀬呂の反応は渋い。しかし爆豪は瀬呂を押しのけるとさっさとその場を去ろうと足を速めた。後ろから、爆豪! と瀬呂のものではない声が聞こえたがふり返らなかった。一直線に部屋を目指す。追いかけてくるか、不安だったが瀬呂が足止めてくれたのか、後ろをついてくる気配はなかった。


 部屋に戻ると上鳴の姿はもうなかった。思わずほっと息をつき、そんな自分に舌打ちしてから爆豪はふたたびその身をベッドに横たわらせた。静かにじっと天井を見つめる。気がつけばじわじわと胸の奥から湧いてくる胸糞の悪い感覚を遠ざけようと、あえてなにも考えなかった。なにも考えたくなかった。切島のこと。明日のこと。
 そうしていると次第に眠気がやってくる。最近はベッドに入ってからもぎりぎりまで切島への贈り物のことを考えていたから、正直寝不足気味だ。いつだって、就寝時間も起床時間もきっちり定めている爆豪には珍しいこと。普段の生活リズムを崩してしまうほどに、切島という存在は爆豪にとって大きかった。おめでとうの言葉だけじゃ到底足りない。そんな気持ちにさせる、はじめての存在。
 それなのに、それなのに……。


◇ ◇ ◇


 気がつくと、そのまま本当に眠ってしまったらしい。
 意識が浮上したのは、またしてもこんこんと扉をノックする音が聞こえてきたからだった。また上鳴のやつがなにか言いに来たのか。それとも瀬呂か。誰の相手もしたくない。今度こそ無視してしまおうか。寝起きでいささかぼんやりする頭で爆豪は考える。
「爆豪? いるんだろ。俺だ」
 声を聞いた瞬間に一気に意識は覚醒した。切島の声だ。
 爆豪は咄嗟に息を殺した。
「いるんだろ爆豪。話があるんだ。開けてくれ」
 こんこん、とノックを続けながら切島は言う。爆豪は、会いたくない、とすぐに思った。今切島の顔を見たら、あの無力感と嫌悪感がぐちゃぐちゃに混ざりきった胸糞の悪い感覚が一層強くなって胸の奥から湧いてくるに違いない。
「爆豪、なぁ、いるんだろ。開けてくれよ」
 爆豪は返事をしなかった。悪いとは思いつつも無反応を決め込んだ。
 やがて、ノックの音が止んだ。諦めたのだろうか。息を潜めたまま、爆豪は扉へと視線をやった。その次の瞬間だ。
 ――がんッ、と大きな音が部屋に響いた。ノックと言うにはあまりにも乱暴な音。
 爆豪は思わずびくりと肩を揺らした。驚いて目を丸くすると、その間もがんッがんッとさらに音は続く。
「爆豪、頼むから開けてくれよ。なぁ! 爆豪っ」
 音に混じって切島の声が聞こえる。必死な声だ。
 切島には会いたくない。会いたくない、けれど……。
「爆豪、爆豪っ!」
「…………っ」
 何度も名を呼んでくるその声を、これ以上無視することは爆豪にはできなかった。

 くそがッ。吐き捨てて、爆豪は乱暴な足取りで扉に向かった。
 鍵を開ける。そうすれば爆豪がノブに手をかけるより早く、勢いよく扉が開けられた。すぐさま、切島が部屋の中へと飛び込んでくる。あまりの勢いに思わず後ずされば、解除したばかりの鍵を閉めてから離れた距離を埋めるようにして切島は詰め寄ってきた。
「爆豪」
「なん、だよ」
「俺がなにを言いたいのか、おめぇならもうわかってんだろ」
「…………」
「やっぱり、なんかあったんだろ」
 切島は昨日と同じことを聞いてくる。しかし、その表情は昨日と比べると一層険しいものであった。今日は絶対に誤魔化されてやるものかと、強い意志の感じられる表情。
「なぁ、まさかまた敵連合のやつらが……」
「ちげぇよ、あいつらとの接触なんて一切ねぇよ」
 馬鹿なこと言うな。爆豪は切島から離れて首を振った。ベッドに腰掛けて、できる限るなんでもないよう装う。切島は追いかけてきて爆豪の横に腰掛けた。
「じゃあ、なんでそんなに隠すんだよ」
「お前が、わざわざ心配するようなことじゃねェだけだ」
「……んだよ、それ」
 切島は声を低くした。心配ばかりを浮かべていた顔に、微かに怒りが混じる。
「でも瀬呂は知ってんだろ。爆豪が何に悩んでんのか。さっきもその話をしてたんだろ」
 違う。咄嗟に爆豪は否定しようとしたが、爆豪の返事を聞かないまま切島はさらに言葉を続ける。
「その前は上鳴とも話してただろ」
「……聞いてたのか」
「話は、聞いてねぇ……。俺が見たのは上鳴がおめぇの部屋から出てきたところ。そんで爆豪に用があるって言ったらとめられた。そっとしといてやれって。瀬呂も似たようなこと言ってた」
「…………」
「やっぱり上鳴と瀬呂はなんか知ってんだな。俺だけが、知らない」
 ぎゅ、と切島の眉間にさらにしわが寄った。横から伸びてきた手が肩に触れてくる。なんだよ。振り払おうとしたが、そのまま、ぐ、と肩を押されて爆豪はベッドに仰向けに倒れた。その上に、切島が逃がさないとでも言うようにのしかかってくる。
「おいっ、重てぇだろうが……!」
「爆豪……、なんで、」
 抗議するが切島は聞いていない。険しい表情のまま、なんでとくり返す。
「なぁ、なんで俺には話してくれないんだ? なんで俺は……、俺は……」
 お前の恋人なのに……。
 切島は小さな声で言う。いつもの切島からは到底考えられないほどに小さな、消え入るような声。その声に、あぁ、といまさらのように爆豪は思う。
 切島には言いたくなかった。だって、そうだろう。切島の一番をわかることができていなかったなんて、そんなこと知られたくなかった。その程度だったのかと思われたくなかった。くだらないプライドだ。わかっていても、簡単に折れることなんてできない。そういう性質なんだ。
 でも切島にこれ以上無駄な心配はかけたくはない。どうやら切島は、爆豪自身が思っていた以上に強く自分のことを心配していたのだと爆豪は今になって気がついた。本当に切島が心配するようなことじゃないというのに、こいつはどこまで人がいいんだろうか。こちらのほうが柄にもなく心配になってくるほどだ。
 仕方がない。爆豪は観念した。
「きりし――」
「爆豪」
 だが、真相を話そうとした声を切島の声が遮った。
「もしかして、俺のこと嫌になったのか?」
「……あ? なに言って、」
「上鳴たちに俺とのこと相談してたのか? どうしたら俺がおめぇのこと諦めるかって」
 切島は爆豪に返事をする間も与えず、まくし立てるように言う。見当違いも甚だしいような、そんな言葉の数々。爆豪は眉をひそめた。俺が切島を嫌いになる? なにを馬鹿なことを言っているのだろうかこいつは。
「おい、切島」
「まさか、他に好きな奴ができたのかッ? だから俺には言えないのか!?」
「はっ、……?」
 爆豪は今度はぽかんと目を丸くさせた。本当にこいつはなにを言っているのだろう。すぐに理解できなかった。それだけ今の切島の発言は爆豪にとって突拍子のないものであった。百歩譲って、嫌われたと勘違いするのはまだわかる。ここ数日、普段と比べても素っ気ない態度を取ってしまった自覚がある。
 しかし、その次に切島はなんと言った? 聞き間違いでなければ、切島は爆豪に誰か他に好きな人ができたのかと尋ねた。他の誰か。切島以外の誰かを、爆豪が、好きになった。
 ワンテンポ遅れてから、言葉の内容を理解する。
 途端、爆豪はぐわっと頭に血が上るのを明確に感じた。

「ふっざけんなッッッ!!!」
 衝動のまま、爆豪は一気に身を起こしてガンと切島に頭突きをかました。額と額がぶつかる。切島は反射的に硬化したのだろう、爆豪の額には鋭く重たい衝撃が走った。脳が揺れる。爆豪は、ぐ、と呻き声を上げて、ふたたび頭を枕に沈ませた。
「爆豪ッ」
 額を押さえる。切島の慌てた声が聞こえたが、爆豪は額と一緒に目元を押さえて切島から顔を隠した。大丈夫か、血ぃ出てないか。切島の問いに、うぅ、とうめき声を返す。だがそれは痛みからの声では、ない。
「傷見せてみろッ、わりぃ、俺咄嗟に硬化しちまって……」
 切島が額を押さえた手をどけようと指先に触れてくる。爆豪はその手を振り払い、もう一度吠えた。一度上った血は、この程度の衝撃では下がらない。
「ふざけんなよッ、てめぇ……!」
「ば、ばくごう……」
「てめぇは俺を馬鹿にしてんのか……ッ」
 悔しいし認めがたいことだが、確かに自分は切島の一番欲しいものすらわからない程度には無力で己惚れた人間であった。その自覚が爆豪にはある。自己嫌悪を覚えずにはいられないほどに、だめだったと自覚がある。そこを責められたら、たぶん、上手く言い返せる言葉はなかっただろう。
 しかし、だ。しかし、まさか、そうまさか、切島というものがありながら不貞を働くような、そこまでに質の低い愚かな人間であると、ほかでもない切島自身に認識されていたとは……! 侮辱だった。これ以上ないほどの屈辱。
「ふざけるなよふざけるなよ、ふざけるな、よ……っ」
 爆豪は何度も吐き捨てた。ぐ、と力強く拳を握る。そのまま切島の頬をぶっ飛ばしてやりたいほどに屈辱だった。けれど、実際に爆豪の拳が切島の頬に届くことはなかった。
 今の爆豪は切島への一番を見つけられなかったという自身への情けなさにだいぶ弱っていた。怒りやら自責やら嫌悪やら悲しさやら、爆豪の頭の中はぐちゃぐちゃになっていたと言ってもいい。ぐちゃぐちゃのそれらがいっぱいになる。抑えきれないほど、いっぱい。
 ついにそれは明確な形となって溢れだした。
「う、っ…………ぐぅ、」
 強く噛み閉めた唇から、堪えきれない嗚咽が漏れる。同時に切島を強く睨みつけていた目からは、ぼろりと大粒の涙がぼれた。いくつもいくつも、とどめなく零れ続けては、頬を濡らす。
「え、えッ!? ば、爆豪……!? うそ、えッ!?」
 切島の驚いた声がする。どうしたらいいかわからない様子で、そんなに痛かったか大丈夫かごめんほんとごめんリカバリーガールのとこ行くか爆豪大丈夫かごめんごめん、と矢継ぎ早に言っていた。
 そっと切島の手が伸びてくる。爆豪はまたしてもそれを振り払った。枕を抱え込んで、顔をうずめるようにして泣き顔をさらに隠す。
「ごめん爆豪……泣くな、頼むよ……お前に泣かれたら俺、俺……」
 懲りずに伸びてくる手に拒むように身を縮めれば、ぐ、と息を飲む音が聞こえた。
「……俺のことそんなに嫌いになったか? そんな、泣くほど……、俺よりも上鳴のほうがいいか? 瀬呂のほうがいいか? 鉄哲のほうがいいか? 俺よりも、俺よりも……」
 切島はまだそんなことを言っている。ふざけた問いだ。ぎり、と爆豪はより強く唇を噛みしめた。ず、と鼻をすすってから、逆に問いかける。
「お前より、いいって言ったら……ッ、納得すんのかよ」
「ッ……んなもんっ」
 ぎり、と切島もまた強く歯ぎしりをする音が聞こえた。
 そして次の瞬間、切島は抑えきれないように吠えた。

「納得なんてするわけねェーだろ!! ふざけんな!誰がほかの奴なんかに爆豪を渡すかよ!! 絶対にッ、絶対にそんなん認めねェ!! ……爆豪は俺のもんだ。もう、俺のもんなんだ。いまさら手放してなんかやらねぇ……ッ。なぁ、爆豪。こんな気持ちになんのはお前だけなんだ。こんなに胸が痛くなるのも、熱くなるのも、愛おしくなるのも全部全部お前だけ! お前だけお前だけお前だけッ!!!」
 枕越しだと言うのに、鼓膜にびりびりと響く声。
 その声が紡ぎだす言葉を余すことなく耳にした爆豪は抱えていた枕を放り投げると、がっ、と切島の胸ぐらを掴んだ。そして爆豪もまた切島に負けぬほどの声で叫びかえした。
「好き勝手言わせておけばなァ!! 俺だって、俺だってくそが!! お前だけだっつーのくそ野郎!! 俺は! お前だから! っ、お前だからこんなに悩んでんだよ!! お前がなにをもらったら一番嬉しいか!! 一番喜ぶか!! これがなぁアホ面やしょうゆ顔相手だったら、ここまで悩むかくそが!!! つーか、そもそもわざわざあいつらにゃやらねぇわ!!! 誕生日なんて興味ねぇ!! これっぽっちもだ!! けど、けどっ、ほかでもないお前だったから!! お前っ、だったから……ッ」
 切島の誕生日だから祝ってやろうと思った。これがほかの誰かであったなら、たとえそれがA組の連中であったとしてもわざわざ祝おうなんて思わなかった。ましてやプレゼントなんて、贈ってやろうなんて思うはずがなかった。
 でも、切島だったから。切島が誕生日を祝われて嬉しいというのなら祝ってやろうと思ったんだ。プレゼントをもらって喜ぶというのなら、満たされるというのなら一番上等なプレゼントを見繕ってやろうと思ったのだ。けど、プレゼントは見つからなかった。
 挙句の果てには、お前は不貞を働くような人間なのだと切島につきつけられた。
「ぐ、ぅ……、ふっ」
 またしてもぼろりと零れるものがあって、爆豪は唇をよりいっそう強く噛みしめた。強く噛みすぎて、ぶつり、と八重歯が皮膚を突き破る感触がしたが、痛みは感じない。切れた唇なんかより、もっと痛くて苦しい箇所がある。
「た、んじょうび? 誕生日って、そうだ俺明日……、」
 呆然とした様子で切島がつぶやく。
「じゃあ、まさか瀬呂や鉄哲たちと出かけてたのは、もしかして……」
「…………」
 爆豪はなにも言わなかった。だが、きっと切島は察したのだろう。

「爆豪!」
 切島またしても大きな声で名を叫んだ。だがそれは、さきほどの切り裂くような鋭い怒号ではない。締め上げられた切な声で、ごめんっ、と切島は叫ぶ。ごめん本当にごめん、俺最低な勘違いして……。
「……おれっ、俺、ここんとこお前が上鳴とか瀬呂とばかり話したり俺を置いてどっかいっちまったりしててすげぇ嫌だったんだ。ようやく一緒の時間ができたと思ってもお前なんか上の空で、携帯ばっかり触ったりしてて俺のこと飽きちまったんじゃないかって」
「……飽きるかくそが」
「うん、わりぃ。本当はずっとずっと俺のこと考えていてくれたんだな」
「……こんなことするなんざ、キャラじゃないことくらい自覚してる」
「自覚してて、でも俺のためにそうしようって思ってくれたんだろ。俺すげぇ嬉しいっ」
「けど、けっきょくてめぇにやるもんは見つからなかった」
 言葉にすると、また涙がこぼれた。泣きたくなんてないのに、溢れて止まらない。
「それでずっと悩んでたのか? 飯も食わねぇほどに」
「……うっせぇ」
「あぁもうまったく、爆豪は頭いいくせに変なところで馬鹿だよなぁ」
 いや鈍感? 天然? 首をかしげる切島にふざけるなッと爆豪は震える声で怒鳴った。しかし爆豪の怒りなど気にもとめない様子で切島は笑う。
「俺にとって一番のプレゼントなんて、そんなんて爆豪からの“おめでとう”に決まってんだろ!」
「……なんだそれ」
 お前までそう言うのか。
 上鳴も瀬呂も、B組の男も言っていたことと同じこと。
 爆豪はふるふると頭を振った。
「そんなん一番でもなければプレゼントでもなんでもねェ……」
 だが切島も首を振った。
「いいや、これ以上ないってくらい一番で最高の誕生日プレゼントだ! だって、俺がこの世で一番愛している奴が、俺の誕生を祝ってくれてるんだぜ? そんなん、最高で最強の贈りものだろうが!」
「……安上がりすぎだろ」
「そんなことねぇよ」
 爆豪の言葉を否定しながら、切島の手が頬に伸びてくる。幾度も振り払ったそれを今度は振り払うことなく受け入れれば、その手は爆豪の頬にそっと触れた。親指が目尻を撫でて、涙を拭う。
「俺からしてみれば、お前の言葉こそがなにより価値のあるもんなんだ」
「やっぱり、安上がりだろ……」
「そう思ってんのは爆豪だけだって! お前なんでこれに関してはそんな謙虚なんだよ!」
 切島はなぜかむっとした表情で言う。まじでお前の言葉にはすげぇ価値があるのに。不満げな口調。どこに怒ってんのか、いまいちわからない。
「なぁ、爆豪。だからさ、明日言ってくれよ。俺に、俺のためだけにお前の口から“おめでとう”って。俺、まじでそれが一番嬉しい。それが欲しい」
 念押しするように切島は重ねて言う。言葉だけで良いなんて、やっぱり安上がりな印象がぬぐえない。けれど、切島が欲しいというのならくれてやろうと思う。爆豪は頷いた。
「……わかった」
「本当か!!」
「こんな嘘つかねェーよ」
 言ってやるよ明日。
 そう言えば切島はまたすぐに満面の笑みを浮かべた。それこそ、もう誕生日プレゼントを受け取ったような笑顔だ。その笑みに爆豪は釣られて少し笑った。本当に少しだけ。
「じゃあ、爆豪。仲直りしようぜ」
「……べつにもう怒っちゃいねぇ」
「そうか。なら、よかった!」
 切島は嬉しそうな顔のまま、がばっと爆豪に抱きついてきた。
 鼻先の距離に切島の顔がある。なんだかこうしてすぐそばで見つめ合うのはやけに久しぶりのことのような気がした。爆豪。切島が呼ぶ。静かな声だった。いや、静かと言うよりは優しい穏やかな声。
 その声を耳にした爆豪は返事をすることなく、ただ無言で目をつぶった。そうすれば唇に触れてくるものがある。熱い温度。一番のプレゼントはけっきょくよくわからないままであるのだが、熱い温度をしたそれがなんなのかはわざわざ目を開けて確認しなくても、わかっていた。
次→