「爆豪っ、危ない!」

 急に背後から声がした。切島の声。焦ったような、慌てたような、そんな声。
 それはなんてことない、次の演習のために更衣室に向かっている途中のことだ。ただ廊下を歩いているだけなのに、危ないとは一体何事か。爆豪は頭上に疑問符を浮かべながら、あ? とふり返ろうとして、その瞬間、どん、と衝撃を受けた。続けて、がつん、と頭にも鈍い衝撃。なにがあったのかわからないまま、爆豪はあっという間に気絶した。



「っ、ぁ……?」
 目が覚めて一番に映ったのは白い天井であった。
 独特の消毒液のにおい。やけに静かな空間。保健室だ。すぐに気がついた。気絶していたのか。それもすぐに察することができた。
 しかし、なぜ? なにがあった? 首をかしげながら、爆豪は身を起こした。
「ってぇ……」
 その拍子に少し頭が痛み目を細める。けど、怪我自体はそこまで大したものではないだろうと経験的にわかった。それよりも気になるのは今の状況だ。
 本当になにがあったんだくそが。切島はどうした。一緒にいたはずだ。
「爆豪っ!!!」
 するとタイミングよく切島の声がした。
 気がつかなかったが、近くにいたのだろう。どたどたと慌ただしい足音とともに人が近寄ってくる気配がした。爆豪っ!大丈夫か!? とさらに大声で言われ、爆豪はうるせぇとすぐに言い返そうとして、しかし、口を開くよりも早く、がしっ、と身体を強く抱きしめられた。
「ッ……!?」
 抱きしめられたと認識した瞬間、爆豪は息を飲んだ。ぞわぞわと嫌悪が全身を巡る。
 なぜか。それは自分の身体を抱きしめてくるその腕が明らかに切島のものではなかったからだった。
 切島よりも太く大きい腕。ぎゅう、と胸と胸をくっつけるほどに全身で抱きしめてくるその身体は爆豪よりも一回りも二回りも大きい。明らかに切島とは違う体格。
 見知らぬ人間に抱きしめられている。その事実に、悪寒がした。
「は、なせ……っ!」
 爆豪は、ばっ、と振り払うようにしてすぐさまは抱きついてきた男の身体を引きはがした。
 自由を取り戻しベッドの上で後ずさって、男と距離を取る。そのまま警戒心をあらわに男を鋭く睨みつけようとして、爆豪は逆にその目を丸くさせた。
「は……?」
 思わず声が漏れる。
 抱いたばかりの警戒心をどっかにほっぽり、呆然と男の顔を見た。

 爆豪に抱きついてきたそいつは、大人の男であった。
 服の上からでも鍛えているのだろうな見てわかるような、体格のいい男。しかし、爆豪が目を引かれたのは恰幅の良い男の体格ではなく、男の髪だった。
 男は、真っ赤な、とても真っ赤な燃えるような髪の色をしていた。おまけにその髪は重力に逆らうような尖った髪型をしている。どっかの誰かさんそっくりだ。いや、よくよく見てみるとそっくりなのは髪型だけじゃない。目つきだとか、鼻の高さだとか、ちらりと覗く尖った歯だとか。
 そして、極めつけは右目の傷だ。切島とまったく同じ位置にあるちいさな傷。
 男の一つ一つ、なにもかもが切島とそっくりであった。

「やっぱ驚いた?」
 呆然と男を見つめ続けていると男は言った。その声までも、やはり切島そっくりだ。
「……え、は? お前、切島か……?」
「おう」
 まさか、そんな……、と思いつつ尋ねると男はあっさりと頷いた。かと思えば、右手を軽く上げ爆豪に見せつけるようにびきびきと硬化させた。切島と同じ顔、同じ髪、同じ声、そして同じ個性。疑う余地はなかった。目の前の体格の良い大人の男は、切島である。
「お、まえ、なんだよその姿」
「いや〜、実はさぁ……」
 へにょり、と眉尻を下げながら切島は答える。
「俺たちさ、演習のために更衣室に向かってただろ? 覚えてるか?」
「馬鹿にしてんのか、覚えとるわそんぐらい」
「いや……、おめぇ、頭打ってたからさ、一応な」
 あぁ、と爆豪は頭をさすった。気を失う破目になった原因。とはいえ、別にこれくらいで記憶なんざ失うかよ。爆豪はそう言おうとしたが、その瞬間、がばっ、と切島が大きな身体を縮めるようにして頭を下げてきた。
「わりぃ! おめぇが頭打ったのは俺のせいだ爆豪!!」
「あぁ? ……どういうことだ」
「……あん時さぁ、更衣室に向かう途中で階段の前を横切っただろ? そん時にな、女子生徒が足滑らしたかなんかしたみたいで階段から思いっきり前のめりに落ちてきたんだよ。俺、偶然それに気がついたんだけどさ、その女子が落ちそうな先にちょうどおめぇがいたもんだから、その……、俺、咄嗟に危ない! って思って、おめぇのこと突き飛ばしてよぉ。……けど、力加減間違っちゃったみてぇで、その……」
 切島は言いづらそうにもごもごと口を噤む。だが、そこまで言われればもうわかった。単純な話だ。ふいうちのように背後から思いっきり突き飛ばされた爆豪は床に倒れた拍子に運悪く頭を打ちつけ、気絶した。
「……はぁ、助けようとして気絶させてちゃ世話ねェなぁ」
「ぅ、ぐ……、本当にわりぃ! 爆豪!!」
 切島はふたたび頭を下げ、爆豪は呆れてため息をつく。しかし、怒りはなかった。咄嗟のこととは言え、受け身が取れなかった自分にも落ち度はある。
「そんで? 気絶の理由はわかったが、てめぇのその姿はなんなんだよ」
「あー、これはさ、おめぇを、その、突き飛ばしちまったあと、その落ちてきた女子を受け止めたんだよ、俺。そしたら、なんかこんな姿になってた」
「はぁ? なんだそりゃ」
 ざっくりしすぎた説明に爆豪は顔をしかめた。
「いや、俺もよく分かんねぇんだけど、どうやらその女子の個性みたいなんだ。もうさ、あん時は大変だったぜー。おめぇが倒れたまま動かなくてやべぇ! どうしよう! って思ってたら急に身体が大きくなって、制服とかもう超ばつんばつんで苦しいのなんのって!」
 言われてよく見てみれば、切島が来ているのは制服ではなく、上下ともにジャージであった。切島を知らぬものが見たら、生徒ではなく教師と勘違いしそうな格好だ。

「おい、爆豪は起きたのか」
 予備でも借りたのだろうか、なんて思っていると、ふとそこに三人目の声が混じった。ベッド周りを囲むカーテンがしゃっと開かれ、本物の教師である相澤が姿を見せる。
「あ、起きました!」
「起きたら知らせろと言っただろうが。……爆豪、怪我の具合はどうだ? 痛みや違和感はあるか」
「いや、なんともねぇ」
「そうか……」
 ふむ、と頷いて、次に相澤は切島が喰らった個性のことを説明してくれた。
 どうやら、切島が喰らった個性は身体のみ10年分ほど成長してしまうものらしい。精神はそのまま、身体のみに効果する急成長。成長している時間はおおよそ12時間。一度その個性を喰らい身体が急成長してしまったら個性主の意思で解除することはできず、時間経過によって自然に個性が解けるのを待つ以外、元に戻る方法はないとのことだ。
「先生、それで俺はどうすればいいんすか?」
「どうもする必要はない。幸い、本日の残り授業はすべて座学だ。二人とも頭のほうに問題がないのなら、そのまま授業を受けろ。そんで、終わったらそのまま寮に帰って、個性が解除されるのを大人しく待ってろ。以上」
 もうすぐ次の授業が始まる、はやく教室に戻れよ。
 最後にそう言い残して、二人がなにか言葉を返すのも待たずに相澤はさっさと保健室を出ていった。まさに必要最低限。合理的な相澤らしいとその背を見送りつつ、爆豪は担任が残した最後の言葉に、きゅっ、と眉をひそめた。
 大した怪我ではなかったが、もう次の授業が始まるとは割と長い間気を失っていたらしい。せっかくの演習であったのに、まるまる一時間無駄にしてしまった。爆豪は、ちっ、と舌打ちを一つこぼしながら、ベッドから降りた。
「ほんとごめんな〜、ばくごー」
「べつに、いい。けど、次は気をつけろよてめぇ」
 自分はまだ頑丈な方だからこの程度で済んだが、これがただの一般人であったならシャレにならない結果になっていたかもしれない。剛健ヒーローが一転して過失致死ヒーローなんて、とてもじゃないが笑えない。
「まじで気ぃつける!!」
「わかればいい」
「おうっ! よし、そんじゃあ教室戻るかー」
 戻ったらみんなびっくりすんだろうなー、と言いながら切島は立ち上がる。そして、爆豪の手を引こうとしてか、切島が手首を掴んできた。大きな手のひら。その手のひらの感触に、爆豪はびくっと大きく肩を揺らした。
「っ……」
「? 爆豪、どうかしたのか?」
 切島が不思議そうな目で爆豪を見た。爆豪はすぐに首を横に振った。
「いや、なんでも……、ない」
「そうか……?」
「あぁ。さっさと戻るぞ」
 さらに不思議そうに首をかしげる切島を促しながら、爆豪はさり気なく掴まれた手を取りかえした。そのまま保健室を出て、すたすたと歩きはじめる。そうすれば、待てよばくごー、と切島が隣に並んだ。横を見ると、いつもなら顔があるだろう位置には体格のいい肩があり、顔を上に向けなければ切島の顔を見ることはできなかった。

「…………」
 なんだろうか。なんか、どうも、変な感じだ。
 爆豪は無意識に手首をさすった。



◇  ◇  ◇



 教室に戻ると、すぐさま切島はみんなに囲まれた。

「うをー、すげー切島! まじで大人になってる!」
「一瞬だれかと思った!」
 どうやら、事前に相澤からなんらかの説明を受けていたらしい。切島の姿にみんな驚いた顔をしていたが、どうしたんだと理由を尋ねてくる者はなく、やいやいと珍しそうに切島を見ていた。
「背ぇたけぇなおい! 砂藤くらいか? めっちゃ成長してんじゃん!」
「肩幅もまぁ大きくなっちゃって! なぁ、これってさ10年後のお前の体格なんだろ? うへー、この体格が確定してるとか羨まし過ぎんだろ」
「体格もそうだけどさ、顔つきもやっぱ大人っぽくなってるよね。かっこいいじゃん切島」
「そうね、切島ちゃんは切島ちゃんなんだけど、大人っぽい顔つきになってるわね」
「頼りがいのある殿方、って感じですね。素敵ですわ切島さん!」
「え、えへへ〜、いやぁ、そんな、」
 羨ましがる上鳴や瀬呂をはじめ、かっこいいかっこいいと手放しで褒めてくる女子たちの反応に切島は照れくさそうに頭を掻く。そんな切島の姿を、爆豪はさっさと自分の席についてから遠目に眺めた。

 あらためて切島の姿を観察する。
 離れた場所から見ても切島はどこからどう見ても切島のままだ。だが同時に、その身体はどこからどう見ても恰幅のいい立派な大人のそれであった。
 ぱっと見ただけでも180pは優に越しているだろう高い背丈に厚みのある胸板。肩幅も広がり、がっちりと筋肉のついた太く逞しい腕には、うっすらと血管が浮いている。
 少年らしくまだどこか丸みを帯びていた頬はしゅっと引き締まり、顎から首にかけてのラインも柔らかな子どもっぽさを完全に消し去った大人の形をしていた。
 だが、持ち前の愛嬌は損なわれることなく残ったまま、照れくさそうに笑う表情からは親しみの感じられる優しい雰囲気がある。女子が手放しに褒めるのも頷ける。
 それくらい、大人になった切島はいい感じに男前であった。
 好印象以外なにもない。

「…………」
 しかし、そんな切島の姿に爆豪は顔をしかめた。
 確かにいまの切島は格好いい。格好、いい、の、だが……、なんだろうか。やっぱり、どうも変な感じだ。保健室を出た時同様に爆豪は思った。なんか、変な感じだ。
 胸がもやもやとする。なにがどうして、どうもやもやするか、うまく言葉にすることはできないが、ただ、なんと言うか、違和感があるのだ。切島は切島であるのに、だけど、切島ではないような、そんな気がしてならない。声も喋りも顔も、すべて切島のままであるはず、でも、違和感がある。
(……なんか、気持ちわりぃ)
 ほかの奴らは気にならないのだろうか。

 爆豪はどうしようもない感覚に、眺め続けていた切島から視線をそらした。
 う〜む、と顔をしかめたまま、もやもやとする胸をさする。
「ばっくごー!」
「うわ……っ」
 気分が沈んでいくのをやけに実感していると、爆豪の気分に反した明るい声が名を呼んできた。声と同時にいきなり、がばっ、と抱きつかれる。爆豪は、びくり、と肩を跳ねさせた。保健室で抱きつかれた時とまったく同じ反応。だが、今回はすぐに誰が抱きついてきたのかわかったため、あの時のように咄嗟に振り払うようなことはしなかった。
「ッて、っめぇ、いきなり引っ付いてくるな!」
「なんかすっげぇ皆に褒められちまったぜ!」
「おいこら無視してんじゃねぇぞ! つーか重い! てめぇいまの自分の体格考えろよ!」
 いつもの調子で引っ付いてくんじゃねー! と怒鳴れば、あっ、と切島はそう言えばそうだった言わんばかりの表情を浮かべた。わりぃわりぃ、とすぐに謝ってきて身体を離す。しかし、爆豪の身体に絡みついた腕はそのままだ。いや、いいから離れろよ。
「ははっ、爆豪が大の大人に抱きつかれてるってなんかすげぇ絵面!」
「つーかこれ軽く事案じゃね? わー、助けてヒーロー! ここにDKに抱きついてる不審な大人がいますー!」
「ちょっ、誰が不審者だ!!」
 うんざりと顔をしかめれば、横から上鳴と瀬呂に揶揄ってきて、切島が過剰に反応し返した。上鳴と瀬呂は笑って、さらに揶揄いの言葉を投げてよこし、切島はそれにも騒がしく反応を返す。いつもと変わらない下らないノリ。
 やはり変に気にかけているのは自分だけなのだろうか。爆豪はもやもやとした気持ちを抱きながらも、騒ぎ続ける三人にうっせぇよてめぇら! といつもの調子で返してみせた。

 その後も、成長した同級生の姿にA組の面々はわいわいと騒がしかった。
 だが、結局はそれも最初のうちだけだった。チャイムが鳴ると各々いつもの調子で自分たちの席につき、なにごともなく授業ははじまり、そのままいつものように終わった。
 ふたたび休み時間が訪れれば、力こぶ見せてみろよだとか、力比べしてみようぜだとか遊んではいたものの、やはりそれもはじめだけ。放課後が近くなるころには今夜やるテレビ番組の話だったり週間雑誌の展開だったり、普段と変わらぬ話題で盛り上がっていた。

 ただ一人、爆豪だけがずっと顔をしかめていた。
次→