こんこん、とノックの音がした。 時刻は夜。誰だ、と問えば、俺だ、と切島の声が返ってくる。爆豪はわざわざ、なんの用だ、とは尋ねずに、扉を開けるとそのまま切島を部屋に招き入れた。切島もいちいち部屋に来た理由を口にしたりなどしない。当然だ。そんなもの、二人にとってどちらもいまさらである。 「なぁ爆豪、頭のほう大丈夫か?」 後ろ手に扉を閉めながら、切島が尋ねてくる。心配げな表情。爆豪は、はっ、と鼻を鳴らすと床に腰を下ろしながら答えた。 「喧嘩売ってんのか? いい度胸だなおい」 「ちげぇよ! ぶつけたとこ! 痛みがぶり返したりとかしてねぇかなって!」 「わーってるわ、冗談だっつーの」 「もー、俺は真面目に心配してんだぞー。……腫れたりとかしてねぇか?」 切島は、頭見せてみろよ、と爆豪の後ろに回るとそっとした手つきで頭を触ってきた。大きくなった手ひら平で、頭全体の形を確認するように撫でる。 「…………っ」 「いてぇ?」 「……べつに」 「こぶは……、できてねぇな」 「だからなんともねぇよ、平気だ」 「んんー、そうかー? ならいいんだけどよぉ」 まだどこか心配げな表情を残しながらも、切島は爆豪の頭から手を離した。 遠ざかっていく手のひらの気配に、爆豪はこっそりと息を吐いた。だが、その次の瞬間、全身を背後から包むようにぎゅっと抱きしめられて、吐いたばかりの息をすぐに飲んだ。 「っ、な、んだよ……、確認し終わったんならさっさと離れろや」 「いや、なんかさ、腕の中にすっぽり収まる感じが心地いいというかなんと言うか」 言いながら切島は爆豪の頭に顎を乗せた。両腕は大きなぬいぐるみでも抱きしめるように、腹の前で手を組まれる。 「ぅ、っ……」 切島の言う通り、腕の中にすっぽり囲まれる形に、爆豪は喉を震わせた。ぎし、と心臓が嫌な感じに軋み、保健室や教室で感じたもやもやが胸に蘇る。落ち着かない。なんだか、とても落ち着かない。 「ははっ、今日ずっと思ってたけど、爆豪ちっちぇなぁ」 「……ぶっ飛ばすぞ。てめぇが無駄にデカくなっただけだろうが、中身はくそなまま」 「くそ、って、まったくよぉ、爆豪は相変わらず口わりぃな、うりうりっ」 「ッ、やめろ、クソ髪!!」 爆豪の頭に切島はすりすりと頬を押しつけてきた。ぎゅ、と抱きしめてくる腕に力がこもり、爆豪は身じろぎをした。切島の腕の中から逃げようとするような動作。だが、切島はそれを許さないようさらに強く腕に力を込めてきた。大きくなった身体に合わせて力も上がったのだろう。引きはがそうと腕を掴むも、切島の膂力は強かった。 「こ、の、野郎……っ」 「……なぁ、爆豪」 ぐぬぬ、と躍起になって力を込めていると、まるで意に介していない様子で切島が名を呼んできた。いささか、トーンを落とした低い声。爆豪は抵抗をいったんやめて、切島をふり返った。 「んだよ」 「あー……、その、なぁ?」 「だからなんだよ!」 「その、やっぱ俺のこと怒ってる?」 「あぁ?」 「だってさぁ、今日の爆豪、なんかずっと機嫌わりぃって言うか、しかめっ面してんじゃん」 「…………」 爆豪は口を噤んだ。気がついていたか。まぁ、こいつのことだから気がつかないはずがないか。だが、微妙に見当は外れている。自分にとって、それは良いことなのか悪いことなのか。わからないまま、爆豪はとりあえず首を横に振り、切島の問いを否定した。 「怒ってねェよ。べつにいい、ってそう言っただろうが」 「本当か……?」 「こんな嘘ついてなんになる」 「そっかぁ……。じゃあさぁ、爆豪。怒ってないって言うなら一つ言ってもいいか?」 「…………なんだよ」 「俺さぁ……、実はさぁ……」 溜めに溜めてから、切島は言った。 「……いますっげぇヤりたい」 「は、はぁ?」 やけに慎重に言葉を重ねるからなにごとかと思えば、言うに事を欠いてなにを言っているのかこいつは……! 爆豪は、きゅ、と眉を吊り上げた。 「てめぇ、きゅ、急になに言ってんだよ!」 「だってよぉ、こうしてぎゅっとしてたらすげぇグッときてさぁ!」 つーか実は教室でぎゅっとした時からむらむらしてた。 切島はあけすけに暴露すると、なぁなぁ爆豪、と声色を甘えたものにしてさらに言葉を続ける。 「嫌か……?」 「べつ、に……嫌って、わけじゃ……」 爆豪の返事は煮え切らない。だが、嫌なことならば嫌だとはっきり口にする爆豪のその反応をOKの反応だと受け取ったらしい切島は、にっ、と嬉しそうに口端をつり上げた。 「…………」 実際、なに言ってんだこいつと思いつつも、べつに嫌なわけではない。 ただ、爆豪の頭によぎるのは、胸に巣食って消えないもやもやの存在だ。気にしないようにしながら切島との会話を進めていたが、爆豪はいまだにその感覚をどうしようもできないでいた。 どうしようか。まごまごしているうちに、ちゅ、と耳の後ろに口づけられる。何度も何度もくり返し口づけられ、ちゅ、ちゅ、と音がやけに耳について仕方がない。 「……ぁ、と、付けんなよ」 けっきょく、さんざん考えた挙句、爆豪の口からはそんな言葉しか出てこなかった。 服の裾から切島の手のひらがするりと侵入して、直に肌を撫でてくる。熱い手のひら。大きな手のひら。爆豪は、はっ、肩をすくめて、身を縮める。反射的に切島の手首をつかむが、そんな小さな抵抗など気にせずに切島は爆豪の胸元をまさぐってきた。 「……ん、……ふ」 揉めるような乳房などないというのに、切島の手は爆豪の胸全体を覆うようにしてふにふにとしてくる。なにが楽しいのかわからない。しかし、切島は飽きずに胸をまさぐり続けてきた。 指先が時折遊ぶようにして胸の突起をかすめる。ふいうちのように襲ってくる、くすぐったいような、じわじわとするような感覚に爆豪はちいさく息を漏らした。もぞもぞと身じろぎをくり返す。落ち着かない。 「こらこら、逃げるなって」 「ぅ、……あッ」 そのつもりはなかったが、無意識のうちに逃げようとしていたらしい。 ぐ、と腰を引かれて、あらためて切島の腕に捕らえられた。背中にがっちりとした切島の身体が当たる。筋肉を綺麗にまとった硬い感触。あ、と爆豪は目を見開いた。 その間に、胸元を撫でていた手がするすると腹のほうへ下りていき、へそをかすめてから下腹を撫でてくる。とんとん、とまるでなにかを確認するように指が下腹を軽く叩く様を、爆豪は見開いた目で見てしまった。 「っひ、ぅ……、ぁ」 見慣れぬ形をした手が、自分の身体に触れている。 まじまじと視認してしまった、その瞬間だった。ぞわりと身体が震えると同時に、ひやりとした感覚が背筋を襲った。全身の血の気が引く。ざぁっ、と音がしそうなほどに、急速に爆豪の顔が青ざめる。 だめだ。爆豪は思った。やっぱりだめだ、無理だ、だめだ。強く強く、そう思った。 「き、り、しま……っ、きりしまっ」 声を震わせながら、爆豪は切島の名を呼んだ。切島は、なんだぁ? と首筋に唇を当てながら答えた。その感触に爆豪は拳を握り、さらに声を震わせながら言った。 「やっぱ、や、やめろ……」 「えっ……?」 「は、なれ、ろ……、すぐにっ」 「爆豪? なんだ? 急に……」 「いいから、離れろっ」 「爆豪……?」 「ひ、っ……!?」 爆豪の様子を訝しんだ切島が背後からさらにのしかかるようにして顔を覗き込んできた。より身体が密着する。馴染みのない、どこまでも慣れない感触。爆豪はさらに息を飲んだ。ぶわっ、と腕に鳥肌が立つのを感じる。だめだ。だめだだめだだめだ。 「やめろッ!」 「うわっ……!?」 衝動のままに、爆豪は覆いかぶさってくる切島を乱暴に振り払った。強い拒絶に、切島は両手を上げながら爆豪から身体を離し、解放された爆豪は慌てて切島から距離を取った。 「どうしたんだよ、爆豪」 切島が困惑の声をあげる。当然の反応だろう。けれど、どうしようもなかった。 「後ろから、は……、やめろ」 爆豪は視線を床に落としながら、途切れ途切れに告げた。 切島はやはり困惑の声を上げる。 「おめぇ、顔色わりぃぞ」 「…………」 「やっぱり頭いてぇ?」 「ちげぇ……、ただ、なん、か……」 「なんか、なんだ……?」 「…………」 言葉に詰まって、鳥肌の立った腕をさする。切島は、じっと爆豪を見つめて、言葉を待っていた。離れろと言った爆豪の言いつけを律儀に守って、距離を詰めてこようとはしない。酷い態度を取られたというのに、その顔に浮かぶのは困惑と心配の色ばかりだ。 あぁ、切島だな、と思った。素っ気ない態度をとっても、口の悪い言葉を使っても、呆れはしても怒ったりはしない。切島は、いつだってそうだ。クソ髪と呼ぶ爆豪の甘えを知っている。無愛想な言葉の裏にひっそりと忍ばせた真意を正確にくみ取って、好きだ爆豪、だなんて笑う。 そんな切島だから、たぶん、こういう関係になった。爆豪が爆豪でいることを決して否定せず、あるがままでいることを許す切島だから、この身体に触れることを許せるのだ。切島だから。 切島だったから。切島だけが。 しかし……。 「…………」 「爆豪……?」 爆豪は顔を上げて切島を見た。個性のせいで急成長してしまった切島は、顔を見れば確か切島のままだ。しかし、ほんのわずかに目を伏せてその顔を視界から閉ざしてしまえば、あっという間に切島の気配は薄れてしまう。かわりに強くなるのは、見慣れぬ大きな身体をした“誰か”の気配。 爆豪は目を伏せたまま、そこにあり続ける誰かの気配に身を震わせながら答えた。 「なんか……、てめぇじゃねェ奴とヤってるみてぇで……、気持ちが悪い」 ずっとずっと違和感があった。保健室で大きくなった切島の手のひらに手首を掴まれた瞬間から、感じていた違和感。教室で背後から抱きつかれた時も、そして先ほどぎゅっと腕の中に閉じ込められた時も、そしてたったいましがたも、無視しきれないような強く大きな違和感を感じた。もやもや、ぞわぞわとした気持ちの悪い感覚。それがなんなのか、爆豪自身もいまのいままでよくわかっていなかったが、たったいま明確に自覚した。 自分に触れてくるその手のひらが切島のものであると、頭ではわかっているはずなのに、慣れない大きな手のひらの感触に心と身体が慣れない。本当にこの手のひらは切島のものなのか。違う誰かの手のひらではないのか。そんなはずはないのに、一瞬、疑ってしまう。それは、本当にほんの一瞬だ。だが、その一瞬の疑問が決定的な溝を生み出す。もしかしたら、と心がざわつき、身体が拒絶反応を示してしまう。 爆豪の経験が豊富であったのなら、こんなことはなかっただろう。だが、爆豪は切島以外を知らない。この身体を許すのは唯一、切島鋭児郎ただ一人だけ。ゆえに、本来の切島とは違う大きな大人の形をしたいまの切島の手のひらや身体に、拒絶反応が生まれてしまうのだ。 「…………」 「爆豪……」 違和感を打ち明けられた切島は困惑の色をますます濃くさせた。 変なことを言っている自覚はある。身体が大きくなっても切島は切島のままであるのに、それなのに切島じゃないみたいだと言われても本人にはどうしようもないことだろう。 でもそれは爆豪も同じだ。ふいに慣れない手のひらに触られると、どうしても身体がびくついてしまう。その手のひらを見てしまうと見知らぬ誰かの気配が強くなって、嫌悪が募る。 「爆豪、もしかして、いまの俺のこと怖い……?」 「んなわけねぇだろ! ……ただいつもとちげぇからちょっと落ち着かねぇだけだっ」 力のない声で問う切島に爆豪は即座に否定を返した。 切島が怖いなどあるはずがない。それだけはあるはずがない。あくまでも本来の切島とまるで違う体格に慣れていないだけだ。切島をちゃんと切島だと認識し続けることさえできれば、なんてことはない、はず、だ。爆豪はそう主張した。 「そっか……、じゃあ今日はやめとくか?」 「……ヤりてぇんじゃなかったのかよ」 「そりゃあ、ヤりたいはヤりてぇけど……、俺はおめぇの負担になるような無理強いはしたくねぇよ」 「無理強いなんて思っちゃいねぇわ。くそがッ」 きっ、と爆豪は切島を睨んだ。 聞き分けのいいこと言ってんじゃねぇぞふざけんな。無理強いとかまじふざけんな。 切島から求められて嫌だなんて思ったことなどない。照れくさくて、すんなり素直に受け止められることはあまり多くはないが、それでも、嫌だと思ったことなど一度たりとてない。当たり前だ。 ふざけるなふざけるなふざけるな。何度も何度もつぶやきながら、爆豪はぐっと強く拳を握った。自分の欲を無理強いだと言ってあっさり身を引こうとしている切島に苛立った。そしてそれ以上にほかでもない切島の手のひらにびくついてしまう自分自身に腹が立って仕方なく、爆豪は自分から離した距離を埋めるようにぴたりと切島の隣にくっ付くと、表情を険しくさせながら言ってやった。 「……ヤるぞ」 「え、いや、でもよぉ……」 「ヤるったらヤる……ッ! いまヤる、今日ヤる、いまのお前のままヤる!」 勢いのまま吐き捨てて、爆豪はいそいそと自分からTシャツを脱ぎ捨てた。ぺいっ、と服を放り投げ、次に切島の服をぐいぐいと引っ張り無理やり上を脱がせる。色気もなにもあったもんじゃないが、気にしない。気にしてられない。 「爆豪、無理するなって……」 「してねぇわ、いいからヤるぞ!」 「……じゃあ、いつもの体勢でやるか?」 顔がちゃんと見えていれば、俺が俺だってわかるだろ? やると言って引かない爆豪にされるがまま上半身を裸にさせると切島は爆豪の身体を、ひょいっ、と抱きあげた。ベッドに仰向けに寝かせて、体重をかけないよう気をつけながらいつもの要領で爆豪に覆いかぶさる。 「どうだ? 爆豪」 「ぅ、っあ……」 確かに、この体制なら切島の顔は見える。 だが、覆いかぶさってくる恰幅のいい身体に押しつぶされるような強い圧迫感を感じて、爆豪の身体はあっという間に強張った。ぐ、と胸の奥が痛くなる。落ち着かない感覚。 はっ、はっ、はっ、と爆豪は短い呼吸をくり返した。無言でふるふると首を横に振る。それを見た瞬間、切島は、ぱっ、と素早く身を起こした。 「っくそ……、くそが」 「爆豪……」 「黙れ、やめるって言ったらぶち殺す」 「うぅ〜……、じゃあ、これならどうだっ!」 切島は譲らない爆豪に少し考えるそぶりを見せてから、ぐいっと爆豪の身体を引き寄せた。ふいうちのそれに爆豪は、うわっ、と声をあげたが、切島はいきおいのまま自分の胸元まで爆豪を抱きよせるとそのまま胡坐をかいた自身の足の上へと座らせた。いわゆる対面座位というやつだ。 「どーだ! これなら顔が見えるし圧迫感もねぇ! 怖くねェだろ!」 「だからっ、最初っから怖くはねぇーわ!!」 がおっ、と爆豪は吠えた。 だがしかし、切島の言う通り、この体制ならば押しつぶされるような圧迫感は感じないし、切島の顔も良くみえる。それに加えて、すん、と鼻を鳴らせばすぐ近くにある赤髪から切島がいつも使っている整髪料のにおいがした。 嗅ぎなれた切島のにおいだ。体格も顔つきも変わり、声もいささか低くなった中で唯一変わることのないそのにおいに、爆豪は落ち着きのなかった胸のざわつきが和らぐのを感じた。誰かの気配が遠ざかって、切島自身の気配が近づく。 「いけそう?」 「……ん」 頷けば、にかっ、と切島は笑った。 |
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