明後日は一緒に買い物に行こうと話をしたのは昨日の夜のことだった。 久しぶりにまるまる一日休みが重なった。だから一緒にどこかに行こうと話した。家でずっといちゃいちゃべたべたしようかとも考えたけど、最近はあまり休日に出かけることがなかったから、一緒に行こうか、ってそうなった。 雑誌で見た美味しい中華屋に行こうか。面白い映画がちょうどやっているらしい。そろそろ寒くなってきたから新しいマフラーでも買おうか。ひとつのベッドに横になりながら、そんな話をした。楽しみだな。そう言って笑いかけると、爆豪は眠そうに目をしぱしぱさせながらも、ん、と頷いてくれた。かわいいなぁ、なんて思いながら明後日の休日に胸を躍らせながら眠りについたのだ。 だから、がつん、と衝撃が頭を襲った時に一番に思ったことは明日のことだった。明日は爆豪とのデートなのになにしてくれるんだこの野郎! いや、それ以上になにしてるんだ自分は! 自分で自分に苛立ちながら、切島はなんとか意識を強く持とうと踏ん張る。 それぐらい本当に楽しみだったんだ。こんなことで明日のデートを台無しにしてたまるか! そんな想いで一杯だった。しかし、必死の抵抗も空しく、ぱちん、と頭のどこかで音が響いた瞬間、切島はあっさりと意識を失った。 ぱっ、と目を覚まして一番に映った白い天井に、あぁぁぁああ、と切島は真っ先に唸り声を上げた。やっちまった! 久々にやっちまった! おもっくそ気絶した! 次いで切島はすぐさま身を起こすと、壁にかけられた時計を見た。真っ白な壁と同じく真っ白な色をしたアナログ時計はもうすぐ19時になろうというころを指していた。 確か、出動要請があって事務所を飛び出したのは17時を過ぎたころのことだ。ヴィランの数は三人。そこまで大した相手ではなかった。突発的に組んだチームだったのだろう、連携はお粗末極まりなく、制圧に苦労はしなかった。 だから、油断していたのかもしれない。いつだって現場は油断のならないものだとわかっていたはずなのに、最近は順調続きで緩んでいたのかもしれない。ヴィランを拘束して、あとは警察に引き渡すだけとなったところで、往生際悪く暴れたヴィランの攻撃を側頭部に思いっきり喰らってしまった。とんだ大失態。 はぁ、と切島はため息をついた。やっちまったぁ。本当にやっちまった。反省しかない。だが、身を起こしてもまったく痛むことのない頭に、ほっと息をついた。気絶こそはしたが、大した怪我ではなさそうだ。これならばたぶん、軽い検査だけで今日中に帰れることだろう。となれば、明日の予定にも問題はない。爆豪とのデートは健在! 「あ〜、よかったよかった」 一安心したところで、とりあえず起きたことを知らせようと切島はナースコールに手を伸ばした。するとちょうどその瞬間、こんこん、と扉を叩くノック音が部屋に響いた。 はーい、と返事をすれば、一拍置いてから扉が開く。てっきりタイミングよく看護師が来てくれたのかと思ったが、扉を開けて病室に入ってきたのはほかでもない爆豪であった。 「爆豪っ!」 切島は、ぱっ、と表情を明るくさせた。 「わりぃ、爆豪。わざわざ来てくれたのか!」 「…………」 「いやぁ〜、久しぶりにやっちまったわ。反省反省」 「…………」 「でも、怪我自体は大したことねぇから! 明日のお出かけはばっちり大丈夫だぜ!」 「…………」 「え、と……、あの、爆豪?」 「…………」 爆豪は無言だった。 なにも言わずに備え付けの椅子に腰掛けて、それっきり。浅く俯いたまま、目も合わせてくれない。 「爆豪、怒ってんのか?」 切島はしゅんと肩を落として爆豪を見つめた。 昔からそうだった。爆豪は切島が怪我をすると露骨に機嫌が悪くなる。なにをしているのか、軽々しく怪我するなんざプロヒーロー失格だ、まさか自分の個性ならなんでも防げると思ってるわけじゃねェだろ、ときつい言葉を行くつも浴びせて怒りに怒る。 でも、それは爆豪なりに切島を心配してのことだ。切島はきつく耳に痛い言葉の裏にひそめられた意味をちゃんとわかっていたから、いつだって爆豪の声を受け入れていた。ごめんなぁ爆豪、と素直に謝る。次は気をつけると反省を示して、ようやく爆豪は吊り上げた目尻を少し緩める。 「心配かけちまってごめんなぁ……」 「…………」 「次はちゃんと気をつける。ほんとにごめん!」 「…………」 「……爆豪?」 だが、どういうことだろうか。今回の爆豪はどうも普段と様子が違う。飛んでくるはずのお叱りが一つもなく、さっきから爆豪は無言のままだ。それくらいに怒っていると言うことだろうか。 あぁ、けれど、爆豪がここまで怒るのも仕方がない。怪我は大したことないが、現場で気絶したのだ。敵を伸した後だったからまだよかったものの、これが交戦途中であったなら、目も当てられないほどの失態だ。下手すればそのまま命を落としていたっておかしくない。 「ばくごぉ」 「…………」 どれだけの心配をかけたことだろう。切島は反省に反省を重ねた。 切島も逆の立場になったことがある。爆豪は自分なんかよりよほど戦闘センスがずば抜けていて、ヴィラン検挙率も高いが、そんな爆豪だって決して怪我を一切負わないわけではない。 爆豪が敵と交戦して負傷をした。そんな知らせをヒーロー仲間から受けるたびに、切島の心臓はぎしりと嫌な音を立てる。ちいさな怪我でも大きな怪我でも関係ない。 こんな仕事を生業にしているのだ。怪我を負うことはある程度仕方がないことだ。わかっている。それでも、心配になるものはなってしまうのだ。切島も、そして爆豪も。 爆豪は、切島が怪我を負ったと知ってどんな想いでここまで来てくれたのだろうか。想像するだけで切島の胸は申し訳なさで一杯になる。爆豪が自分のことを心配してくれた、という嬉しさをちょっとでも抱かないわけでもないが、しかしそれ以上に爆豪に要らぬ不安を与えてしまった罪悪感のほうが大きい。 「ごめんなぁ」 「…………」 切島はふたたび謝った。 だが、それでも爆豪は無言を貫いたまま。切島はますます肩を落とした。 「…………」 「…………」 沈黙が続く。 なんの言葉も受け付けてくれない爆豪に、なにをどう話しかければいいのかわからなかった。空気が重たい。居心地が悪い。もしかしてこれは爆豪の新しい叱責の形なのだろうか。だとしたら効果は抜群だ。 切島は気まずい思いのまま、爆豪の反応を辛抱強く待った。 すると、しばらくして爆豪がふいに起ち上がった。あっ、と切島は爆豪を見つめた。どうするのだろうかと窺っていると、爆豪は切島に背を向け扉に向かっていってしまうではないか。 「爆豪ッ! ちょっ、まっ!」 切島は慌ててベッドから降り立つと、その背を追った。待ってくれ爆豪! とその肩に手をかけようとした瞬間、爆豪はようやくその口を開く。 「切島」 「っなんだ?」 「…………」 「爆豪?」 爆豪が振り返る。切島は、じ、と爆豪の顔を見つめた。 しかし、ふり返った爆豪の目は切島とは合わない。 「……すぐ、戻る」 「えっ」 切島の後ろを見ながらぽつりと爆豪は言った。かと思えば、爆豪は切島の次の反応を待つことなく、そのまま病室を出ていってしまった。が、ちゃりと扉の閉まる音が響くのを、切島は呆然と聞いていた。 よく意味がわからない。切島の怪我に怒っているにしても、今までにない爆豪の様子に困惑するばかりだった。目すらも合わない。……いや、違う。目を合わせないというよりは、爆豪は切島じゃないなにかを見ていた。一体なにを見ていたのか。 切島は爆豪のあとを追いかける余裕もなく、のろのろとふり返って後ろへと視線をやった。ついさっき、爆豪が視線をやった場所。 「っ……、は、あッ?」 ふり返って、思わず息を飲んだ。驚愕に目を見開く。 なぜなら、そこにはベッドに横たわって眠っている自分自身の姿があったからだった。 混乱以外のなにものでもなかった。 しかし、どうやら自分は幽体離脱というものを体験しているらしい、と理解するのに、そう時間はかからなかった。切島には確かにいまこの場に立っているという感覚がある。だが、切島の存在は世界のありとあらゆるものから隔離されていた。 たとえば、ナースコールを押そうとしても、不思議とナースコールに触れることができないのだ。いや、触れること自体はできたのだが、本来なら片手だけで楽々持ちあげることができるはずのそのちいさな機械を切島は持ち上げることができなかった。まるで何十トンもする大岩のように重く、それならばとボタンだけを押そうとするも、ボタンすらも接着剤で強固に固められたようにびくともしなかった。 重いのはナースコールだけじゃない。一体どうなっているのか、とにかく人を呼ぼうと切島は扉に手をかけたのだが、どれだけ力を込めて開けようとしても切島は病室の扉を開けることができなかった。ついさっきなんでもないように爆豪が扉を開けて出ていったばかりだというのに。 干渉できないのは物だけでなく、声も同じだった。開けられない扉を前にこれでもかというほど大声を上げても誰かが反応して様子を伺いに来ることはなく、病室はしんとしたまま。ただ眠り続ける自分の静かな呼吸音だけが耳についた。 「幽体離脱って、まじであったんだなぁ」 まさかこの身でもってそれを実感するとは思わなかったな、と切島はベッドを見た。そこにはもう一人の自分が眠っている。すぅすぅと静かな寝息はどこからどう見てもただ眠っているだけ。ぱっと見たところ大きな怪我は見られなかった。 どうやら最悪の事態ではなさそうだ。死んで幽霊になったわけではない。あくまで自分は生きている。なぜ幽体離脱なんてことになっているかはわからないが、それでも生きていることには違いない。 「でも、幽体離脱ってどうすりゃ治るんだ?」 如何せん、こんな経験などはじめてだ。なにをどうすればいいのかまったく見当もつかない。試しに寝ている自分に触ってみたが、意識が身体に戻ることはなく、なにが起こるわけでもなかった。 物に干渉することはできない。せいぜいカーテンのような軽いものを風で吹かしたようにふよふよと揺らすくらいで、ナースコールのような重みのある物を持ちあげたりだとか、寝ている自分を動かしたりだとかはできなかった。 なにもできることはない。それが現在の切島の状態だ。 「まぁ、そのうち戻るだろ!」 しかし、切島に焦りや恐怖と言った感情はなかった。 寝ている自分が目を覚ませば、自然と霊体になっているいまの自分は肉体へと戻ることができるだろう。切島はそう思っていた。不思議な体験をした。目が覚めたら爆豪に話してやろう! ただ、そんな風に思っていた。 |
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