景色がびゅんびゅんと遠ざかっていく。結構なスピードだ。風を切る音が少しうるさい。けれど、ただそれだけだ。もう何度もこうして勝手に爆豪の運転するバイクの後ろへと乗っているが、切島はもういい加減肌を撫でることのない風に違和感を覚えなくなってきてしまった。嫌な慣れだ。こんな身体に慣れてしまうなど、冗談じゃない。 「俺はぜってぇ起きるんだからな!!」 ふたたび力強く、宣言する。諦めてたまるか! 気合を入れるために、うをぉお、と意味もなく両腕を振り上げる。残念ながら、現状その気合を十分に発揮する機会はないのだが、まぁ、使う機会がないとしても気合はないよりもあったほうがいいだろうと自己完結する。 「つーか、俺よりやっぱ爆豪だよなぁ。今日も飯食わねぇつもりなんかなー……」 切島は唸った。どうにかして爆豪に飯を食わせられないものか。 うんうんと唸りながら目いっぱいに頭を捻り、さらには落ち着きなく身体も捻った。それは到底バイクの上でするような動きではなかったが、実体のない切島の動きにバイクが影響は受けることはない。 爆豪と切島を乗せてバイクは走る。もうすっかり見慣れた病院から自宅への道筋を真っ直ぐ。切島はこのまま自宅に帰るのだろうと思っていた。しかし、切島の予測を外してふいにバイクは覚えのないポイントで左折した。 「ん? あれ? 寄り道か?」 「…………」 「あー、コンビニ行くんか」 爆豪がバイクを向かわせた先は、仕事帰りに切島もよく利用する自宅付近のコンビニであった。なーんだ、ただのコンビニか。そんなふうに思ってから一拍置いて切島は、ぱちり、と目を瞬かせた。そしてすぐに、ぱっ、と表情を明るくさせた。 「爆豪、買い物か? 飯か? 晩飯買うのか? そうだろ?」 さっそく先生の言葉が響いたのか? 切島は飛びはねるようにして爆豪のあとに続いた。 「そうだぞ爆豪。この際コンビニ弁当でもいいからちゃんと飯だけは食えって」 「…………」 「ゼリーだけじゃ腹膨れないもんな? なっ、爆豪」 「…………」 「これでカロリーメイト買ったら怒るからな? 弁当を買うんだぞ?」 「…………」 「なぁ、爆豪。……ばくごぉ」 しかし切島の喜びは一瞬だった。爆豪は弁当コーナーには一瞥すらよこさず一直線に飲み物コーナーへと向かってしまう。飲みもんだけじゃ腹膨れねェだろぉ、と切島は眉をひそめた。そして次の瞬間にはわが目を疑った。 なぜならそれは爆豪が手を伸ばして掴んだそれが、ただの飲み物ではなく、アルコール飲料であったからだ。 爆豪は棚の足元に置いてあったちいさな籠を取ると、その中にぽいぽいといくつかの缶チューハイを放りこむ。 切島はさっ、と顔から血の気が引くような感覚を覚えた。 「ちょ、ばか、おいおいおい! なにしてんだよ! おい! おまっ、そんな状態で酒飲む気かっ? 爆豪、やめとけって!」 「…………」 「爆豪! やめろって!」 気がつけば籠の中には10本を優に超える数の缶チューハイが放り込まれた。 「おめぇなぁ! 先生に言われたばっかだろ! ゆっくり身体を休ませなさいって!」 だと言うのに飲酒なんて! 飯もまともに食ってないというのになにを考えているんだ。しかもこんな大量に! 「おめぇただでさえアルコール強くないってのに!」 意外かもしれないが、爆豪はあまり酒に強くない 爆豪がはじめて酒を口にしたのは、二十歳を迎えたころ、A組の皆で集まって一緒にプチ同窓会を開き成人おめでとうパーティをした時のことだ。酒を飲んだことがない者、すでに酒を飲んだことをある者、全員ひっくるめて軽い飲み比べをしてみたのだが、一番初めに潰れたのは意外なことに爆豪であった。 みんなが、これがアルコールってやつかー、うっわビールめっちゃ苦い! このカクテル飲みやすくて美味しいよ、どれどれ俺にも飲ませてー、なんてわいわいと杯を進める中、2杯目のビールを飲み終えた時点で、爆豪は顔を真っ赤にさせていた記憶はいまもはっきり残っている。 みんなに、えー、爆豪お酒弱いのー? 意外だなぁ、すげぇ顔真っ赤! とからかわれて、弱かねェわ! と反発してさらに酒を煽り、あっという間に沈んでいた姿もはっきり残っている。 爆豪いわく、酒自体はべつに嫌いじゃないらしい。だが、弱いことを自覚している爆豪が酒を飲むことは極々稀だ。明日休みだから一緒に飲もうぜと切島が誘ったり、女の子にフラれた上鳴が泥酔するまで酔いたい気分なの! と大量のアルコールを片手に突撃してきたときだったり、きっかけはいつもほかの誰かだ。 その爆豪が、自分から酒を何本も買おうとしている。どういうつもりか。考えるまでもなくわかる。切島は身体を震わせた。そこまでに爆豪は追い詰められている。切島が認識している、それ以上に。 必死の制止も空しく、爆豪は大量の酒を片手に帰宅した。 いつものように荷物をソファに放り、大量の酒たちはテーブルの上へと乱雑に広げる。百歩譲って、一本だけならばまだいい。けれどまさか、いまこの場でこれらすべてを飲み切るつもりなのではないだろな。切島は気が遠くなりそうな思いだった。 まずい。こんな状態でこんだけの酒を一気に飲んだらどうなるか。想像するに容易い。しかも爆豪はいまこの場に一人きりだ。 前を向くと決意して早々にこの仕打ちはあんまりじゃないか神さま! 思わず、これと言って信じているわけでもない神に苦言する。まずい。これは本当にまずい。まずいまずいまずい! 「爆豪! だめだって! なぁ、おいッ!」 「…………」 ぷしゅ、と音が鳴る。間抜けな絶望音。かと思えば続けて、その音に重なるように、ぴんぽーん、とさらに間の抜けた音が鳴った。 「…………あ?」 「ッ、は?」 それは来訪者を知らせる音であった。 突然のその音に爆豪は手にしていた缶をテーブルの上に戻した。ちっ、と舌打ちをこぼしながら腰を上げ、リビングを出ていく。その後ろを見送りながら、切島はいつの間にか詰めていた息を、はぁあああ、と大きく吐きだした。ひとまず助かった。しかし、あくまでひとまずに過ぎない。 「あぁぁああ、もう、どうしよう! どうしよう!」 切島はテーブルの上の酒を強く睨んだ。いまのうちになんとか処分できないものだろうか。そう思って手を伸ばすが、缶はまるで強力な接着剤で貼りつけられたようにテーブルにぴったりくっついたまま。せいぜい、もともと横に倒れていた缶を不安定に左右に揺れるだけで、とてもじゃないが持ちあげられない。 「くっそ、どうにかなんねぇのか……っ!?」 往生際悪く、切島は持ち上げられもしない缶を持ち上げようと四苦八苦した。 「うごけぇぇえ……!!」 そうこうしているうちに、足音がリビングに向かって戻ってくる。やばい。そう思ってから、はた気がついた。戻ってくる足音が二人分あることに。 「いや〜、悪いねぇ、急に来ちゃって」 「そう思うんなら来んなや」 「ちょっとぉ、そこは、いや全然気にしてないぜ! って言うとこでしょうが」 「誰がんなこと言うかあほか? ……あぁ、あほだったな」 「やめてくんない!? 一人で勝手に納得するんのやめてくんない!?」 「……上鳴?」 やいやいと騒がしい会話とともに爆豪とリビングに戻ってきたのは見慣れた友人であった。 「つーか、まじで急に来くんな。先週もアポなしで来やがって」 どうやら上鳴は切島が爆豪についていく前にも家に来ていたようだ。 爆豪は、ぎゅ、と眉間にしわを寄せながら上鳴をにらむ。怖い表情だ。 しかし、いまさらそんなことで上鳴が怯むはずもなく、上鳴はまぁまぁと言いながら巻いていたマフラーを外し、ソファの背もたれへとかけた。 「いーじゃんいーじゃん、俺とお前の仲っしょ!」 「は? 俺とてめぇの間にそんな仲ねェわ」 「ひでぇ! 照れ隠しにしてもその言い草は酷い!俺傷つく!!」 「照れ隠しじゃねーわ!」 「いーや、照れ隠しだから! 俺わかってるから!」 「てめぇより俺のほうが俺のことわかっとるわ!」 やいやいと二人は言いあいを続ける。とは言っても、そこに不穏な空気などはなく、馴染んだ二人のやり取りだ。上鳴がおどけて、爆豪がきつめの言葉を返し、さらに上鳴がおどけた返事をする。学生のころから見慣れたものだ。 「つーか、なんの用だよ!」 「そんなん決まってるっしょ。ご飯作ってよ!」 「はぁあああ? またかよてめぇ!」 また、とその言葉から察するに前回の訪問時にも同じことをお願いされたのだろう。なんで俺が、と言わんばかりに爆豪は嫌そうに顔をしかめる。 「ほら、材料はちゃんと買ってきたからさ!」 「材料の問題じゃねェよ。なんで俺がてめぇの飯を作らなきゃいけないんだっつー話だ!」 「え〜、いいじゃーん、俺だってたまには爆豪シェフの美味しい料理食べたいんだよ!」 作ってくれよ〜、と上鳴は強請る。 爆豪の料理上手は同級生の間じゃ有名だ。学生のころからその腕前は回りと比べて頭一歩飛びぬけていたが、歳を増すごとに爆豪はさらに腕前を上げていっている。 だが、その腕前はなかなか人に披露されることはない。もともと爆豪が誰かに対して積極的に料理を作るようなタイプではないからなのはもちろん、切島がそれを良しとしないからだ。 だって、爆豪の料理は本当に美味いんだ。そんな爆豪の料理を自分以外の誰かに食わせるなど、そんなの、そんなの、もったいないじゃないか! 普段であったら、切島は怒っただろう。俺に内緒で爆豪に飯をねだるなんて! いくらダチだからって許せねぇぞ! そんなふうに怒っただろう。けれど、今回ばかりはそんな怒りなど微塵もわいてくることはなかった。 「俺テーブル片付けておくから!」 「……ちっ、食ったらさっさと帰れよくそが」 「はいはーい!」 あまりのしつこさに、ついに根負けした爆豪が上鳴が買ってきた材料を手に取った。なんで俺が……、とぶつぶつ言いながらキッチンに向かう。 上鳴はその背を見送ると、宣言通りにテーブルの上に散乱する酒缶を片付け始めた。そして、ぽつり、とちいさな声で呟いた。 「あ〜……、来てめっちゃ正解だったかも」 「〜〜〜っ、ぁああぁあああ、まったくだぜ上鳴! まじ助かった!」 轟に続き、またしても友人に救われた。切島は大きく大きく息をついた。今度こそ、まじで助かった。ありがとう上鳴。ありがとう!! 「やせ我慢しちゃって、こんな時ぐらい頼ってこいっつーの」 「上鳴……、爆豪のこと気にかけてくれてあんがとなっ!」 その優しさに心より感謝して、人がいない隙に爆豪の飯をねだったことは不問にしてやろう。いまは嫉妬なんてしてる場合ではないのだ。 テーブルからすっかり酒缶たちが退かされたころ、爆豪は戻ってきた。 「おらァ! これで満足かあほ面ァ!!」 どんっ、と乱暴に皿をテーブルに叩きつけるようにして置く。大きな皿に乗せられたそれは大盛りのオムライスだ。 とても綺麗な紡錘形のオムライス。しかも、ただのオムライスではない。まるでお高いレストランで出されるようなふわふわとろとろの半熟卵で包まれたオムライスだ。しかもソースはただケチャップではなく、ちゃんとしたデミグラス風ソースがかけられているではないか。 「なんだそれ! ちょっ、めっちゃ美味そう!」 いや、つーか絶対に美味い! 食べなくてもわかる。これは最高に美味しいオムライスだ。 「ひゃっほーい! ありがと爆豪シェフ!」 「それ食ったらさっさと帰れよ」 「はいはい、って、いやちょっと待ってよ。流石にこれを一人では多すぎね?」 「そうか?」 「……そうか?」 切島と爆豪は一緒に首をかしげた。 多すぎる? むしろちょっと足りないくらいじゃないかと切島は思う。 「え、お前いつもこんくらい食べてるの?」 「俺は食ってねぇが、でも切島のやつはいつもこれくらい食いやがる」 「……あのね、それ切島が特殊なだけだからね? 胃袋モンスターなだけだからね?」 「胃袋モンスターって、だって爆豪の飯めっちゃ美味いんだぜェ!? いくらでも入るだろ!」 切島は主張したが、上鳴はやれやれと首を振る。 「まったく、飯前にお前らの惚気とかいいから! 聞きたくないから!」 「惚気てねェよ! あほか! なに言ってんだ!」 「あーはいはい。わかったわかった。いいから、もう食おうぜ!」 「は? 俺は食わねぇぞ」 「いやいや、言ったでしょ。俺一人で食いきれねぇって!」 「知るか! 根性で食え!」 「無理! 物理的に無理! えー、なに、爆豪もう晩飯食っちゃったの?」 「く、……ってはねぇが……」 お、と切島は思った。これは、もしかしていい流れなのではないだろうか。 「だったらいいじゃん! 一緒に食えばいいじゃん! もう、いいからはやくスプーンとってこいよ爆豪! 俺もう我慢できねぇ!」 お腹空いたお腹空いたお腹空いたー、と上鳴は騒ぐ。ばんばんと行儀悪くテーブルを叩き、早くしろととにかく爆豪を急かした。 「……ちっ、あぁもうわかったようっぜぇな! 食えばいいんだろ食えば!」 「はやくはやくー!」 「うっせェ!!」 引く気配のない上鳴に、またしても根負けした爆豪は怒鳴りながらキッチンへと向かうとスプーンと取り皿を持って戻ってきた。よっしゃー、と上鳴は両腕を上げる。その横で切島も一緒になって両腕を上げた。 「あぁぁあああ、まじで上鳴サンキュー!! おめぇ最高だよ!!」 「そんじゃ、いただきまーす!!」 「食うなら静かに食え」 「うめぇーー!? なにこれ! うまっ、めっちゃうまッ!!」 「静かに食えっつってんだろ!! ……ったく」 上鳴に文句を言いながらも、爆豪もぱくりと一口オムライスを口にする。その姿を、切島は感動の眼差しで眺めていた。 「うあぁあ、爆豪が飯食ってる! 飯食ってる!!」 霊体として目を覚ましてからはじめて、切島は爆豪が温かな食事を口にしている姿を見た。なんてことだろう。なんて感動的な光景なんだろう!! 赤ちゃんが初めてつかまり立ちをしたくらいに感動的だよこれ! 「上鳴! いや上鳴さん! 上鳴さま! 本当にありがとう!」 この恩は一生忘れない! 信じるべきは見たこともない神さまよりも、上さまだった! ありがとう! 上さま! 切島はしつこいくらいに上鳴にむかって感謝の意をまくし立てながら、にこにこと緩めまくった顔で食事する爆豪の姿を飽きることなくずっと眺め続けた。 ◇ ◇ ◇ 「ごっそさーん! はぁあああ、食った食った!」 「よし、帰れ」 「ひどすぎない? ごちそうさまに対してその言葉ってひどすぎない?」 「皿洗ってから帰れ」 「鬼! 皿は洗わせてもらいますけどね!」 がちゃがちゃと皿を重ねて持って上鳴がキッチンに向かっていき、今度は爆豪のほうがその背中を見送っていた。 けっきょく爆豪は上鳴に押しきられるがまま、オムライスの3分の1を口にした。よかった。本当によかった! 切島の気分は有頂天だった。だが、しかし切島の有頂天気分はすぐさま地の果てへと叩き落されることになる。 ぷしゅ、と音が聞こえた。先ほども聞き覚えのある音。 「え……?」 切島はふり返った。すると、いつの間に手にしていたのだろうか、上鳴が片付けたはずの缶チューハイを手にした爆豪の姿が目に飛びこんできた。あ、と止める声すら上げる暇もなく、爆豪が缶の縁に口をつける。そしてそのままぐいーと思いっきり首をそらすと勢いよく酒を煽った。 喉元が無防備に晒されて、喉仏が何度も上下に揺れる。どこか艶めかしい動きだったが、あいにくとそんなところを見ている余裕はなかった。 「ちょ、おまっ! ちょっ、おまーっ!!」 飲酒回避できたと思ったのに! なにしてくれてんだ爆豪! 「か、上鳴ィー! 上鳴来てくれー! 爆豪が! 爆豪が酒飲んでるー!」 切島はキッチンの上鳴に向かって叫んだ。 その声が届いたわけではないだろうが、上鳴は割かしすぐに戻ってきてくれた。 だが、それ以上に酒を煽る爆豪のペースのほうが早かった。切島が必死に叫び続け、上鳴がリビングに戻ったころには、すでに三つの空き缶がテーブルの上に転がっていた。 「皿洗い完了ですよぉー、……って、爆豪さん? な、なにをしてらっしゃるんですかねぇ」 「……あぁ? 見りゃわかんだろ。ついに常時あほになったのか」 「なってません。え、なんで酒盛りなんてしちゃってるんですかね」 「んだよ、俺がなに飲もうと俺の勝手だろうが」 文句あんのかごらぁ、と凄む爆豪の頬は赤い。凄い赤い。あぁ〜〜、と切島は頭を抱えた。胃が空っぽじゃないだけまだマシだろうが、けっきょく爆豪は酒を口にしてしまった。なんてことだまったく! 「っせめてこれ以上は止めてくれ上鳴!」 「はいはい、飲むのは確かに爆豪の勝手だけどよ、これ以上はやめとけって」 「んだと?」 「お前、酒弱いだから、こんなにいっぱい飲んだらぜってー吐くって」 上鳴は手を伸ばすと爆豪の手から缶チューハイを取り上げた。 よくやった上鳴! と切島は、ぐっ、と拳を握った。対して爆豪はというと、ぎっ、と目つきをこれでもかというほど鋭くさせて上鳴をにらんだ。目尻やら頬やら真っ赤に染まりすぎていまいち迫力はなかったが。 「っにすんだよあほ面! 返せ!」 「だめでーす、爆豪の飲酒タイムはもう終わりでーす!」 「ふざけんな! いいから返せや!」 「だめったらだめでーす、なので、これは俺が飲んじゃいまーす!」 「あっ、てめっ!」 ぐびー、と爆豪の飲みかけを上鳴は一気に煽った。 爆豪はぐぎぎぎ、と忌々しそうに上鳴をさらににらむ。しかし、すぐに、けっ、と吐き捨てると上鳴から顔を反らし、新たな缶チューハイへと手を伸ばす。 「べつに、まだまだ酒はあんだよあほ面が」 「だからだーめだって、吐くっつってんだろ」 「吐かねェわ、なめんな」 「いや、吐くって。絶対に吐く。」 「うっぜぇなぁああ!! じゃあ、てめぇが飲め! 代わりに飲め!!」 逆切れし出した爆豪は持っていた缶チューハイを開けるとなぜかぐいぐいと上鳴に押しつけはじめた。 「え、俺がぁ?」 「おらァ! さっさと飲め!」 「えぇ〜、いや、なんでそうなるの……」 「あァ!?」 「あー、はいはい、わかったよ! 飲みますよ!」 ぐいぐいと缶を押しつけ続ける爆豪に、上鳴は渋々それを受け取った。飲め飲めと急かされて、ぐいっ、と酒を煽る。それはつい先ほど、飯を作ってくれと上鳴がせがんだ時とはまるっきり逆の状態のようだった。 「くは〜……、どうだ! これで満足か!」 「おら、次だ!」 「ちょ、なんでまた開けちゃってんだよ!」 「いいから飲めや!」 「ぐっ、なんのこれしき!」 「次!」 「けふっ、ま、まだまだァ!」 「…………」 「寄こすならせめて一声はくれよ!」 「ん」 「一文字かよ! 頂きます!」 上鳴が一缶を飲み干せば、爆豪が次の缶チューハイを上鳴に渡す。それを飲みほしてもさらに次を渡され、何度も何度も飲みほしては酒を渡され、飲みほしては酒を渡される。まるでわんこ蕎麦ならぬわんこ酒だ。 上鳴の目尻にも徐々に朱が指していく。大丈夫だろうか。切島は不安になった。缶チューハイはまだまだ残っている。 「まったくどんだけ買いこんだんだよ爆豪! 頼む上鳴頑張ってくれ!」 切島は次々と缶チューハイを飲みほしていく上鳴に精一杯声援を送った。 ほんとごめん! 俺の爆豪がごめん! でも頑張れ上鳴頑張れ! 爆豪の特性オムライス食ったんだし頑張ってくれ!お前ならできる! お前なら飲める! 飲み会マスターのお前ならいける! しかし、残りを3缶まで減らしたころになって、上鳴に限界は訪れた。 「あの、ばくごうさん……、おれちょっと眠くなってきたかも」 さっきまでの威勢が消え失せ、上鳴はぼけっとした表情で瞬きをしはじめた。上鳴は酒には弱くないが、許容量を超えると途端に眠くなってしまうタイプなのだ。がっくん、がっくん、と首を不安定に揺らす。 「眠い、すごく眠い……」 「あぁ、そう」 爆豪はそんな上鳴を横目にいまだ残る酒に手を伸ばす。しかし、それを上鳴に渡すことはなく自身の口もとに運んだ。 「爆豪! だめだって!」 「…………」 「う〜ん、むにゃむにゃ……」 「か、上鳴ぃぃい!!」 ついに上鳴が床に横たわった。 最初から潰すつもりであったのか、爆豪は横になった上鳴に、ようやく潰れたか、と言わんばかりの視線をやってから、手にした缶チューハイを思いっきり煽った。 ほとんど飲み口を真下にするようにして煽るものだから、飲み切れずに零れた酒が爆豪の顎を伝い、首元を濡らす。 「爆豪、もうやめとけって! あぁもうくそ! 上鳴ッ、起きろー! 寝てる場合じゃねぇ! もう一回おめぇの上さまっぷりを見せてくれよ! 頼むから!! 上さまぁあ!!」 切島は上鳴の肩を思いっきり叩いた。無意味とわかっていながら、上鳴の肩を揺さぶる。 その時だった。 突如として切島は、ぐっ、と身体を強く引っ張られるような感覚に襲われた。 「えッ……!?」 切島は驚きの声を上げた。でも、不思議なことに口に出したはずの自分の声は聞こえなかった。代わりに聞こえてきたのは、寝ているはずの上鳴の声だった。 「え、は……? 上鳴ッ?」 起きたのか!? と思ってさらに声を上げると、またしても上鳴の声が聞こえた。しかも、どういうわけか上鳴の姿が消えていた。辺りを見渡してみてもどこにも上鳴がいない。ついさっきまでその身体を揺さぶっていたはずなのに。 「どうなってんだ……?」 「んだよ、寝たんじゃねぇのかよ……」 よくわからず混乱していると、今度は爆豪の声をした。 はっ、と目を向けると爆豪がぎゅうっと眉間にしわを寄せ不機嫌な表情でこちらを見ていた。目が合っている。気のせいとか、偶然とか言うレベルではなく、バッチリと目が合っている。その事実に切島は驚いた。 「え、ば、爆豪、俺が見えんのか……ッ?」 「? なに言っとんだ」 「俺の声、聞こえてんのかッ!?」 「だからなに言っとんだっつーの」 「っ〜〜〜〜、爆豪っ!!」 「うわッ!?」 言葉に言葉が返ってくる。はたして何日ぶりの会話だろう。爆豪との会話だ。いままでずっと一方通行だったのに、確かにいま自分は爆豪と会話をした。会話をした!! 感極まって切島は思いっきり爆豪に抱きついた。とびかかられた爆豪が床に倒れる。いままではどれだけ爆豪に触れてみても爆豪はなんの反応も示さなかったというのに、どういうわけか実体化している。 あぁ〜、と切島は爆豪の頬に頬をすり寄せた。 「爆豪〜。爆豪に触れてる〜。あ〜、あったけぇ、やわらけぇ!」 「〜〜〜ッにしやがる、このあほ面ァ!!」 「うごぁッ!?」 幸せに浸っていると、パァーンッと横っ面をはたかれた。痛い! 痛いぞ! 痛覚がある! 嬉しい! でもやっぱり痛い! 切島は頬を押さえた。 「うぅっ、なにすんだよぉ爆豪ぉ!」 「こっちの台詞だ! ひっつくな! きしょくわりぃんだよ!」 「き、きしょッ……、おめぇ恋人に向かってそれはねェだろ!」 久しぶりなんだからいいじゃないか! 切島は主張した。すると爆豪はぎりぎりと視線を鋭くさせた。 「はぁぁぁああっ? ふッざけんなっ、誰が恋人だ誰がよぉ!!」 「な、なんだよぉ、俺に決まってんだろ! なんでそんな冷たくすんだよ!」 せっかくの対面だというのに、これはあまりにも酷いのではないだろうか。切島は泣きそうになった。 「てめぇ、ふざけんなよ! これ以上なにをてめぇに優しくしてやれっつーんだ!? さんざんてめぇの要望叶えてやっただろうが! 図々しいんだよあほ面!」 あれ、なんかおかしい。そこでようやく切島は気がついた。 「ちょ、ちょっと待て。俺の要望? あほ面?」 「あぁ!? 高校ん時からずっとてめぇはあほ面だろうがよォ!」 「いやいやいやいや、ちょ、待って待って!」 それは俺じゃない、上鳴のことじゃないかと切島は上鳴の姿を探して辺りを見た。そして、電源の消えた真っ暗なテレビ画面を見た瞬間に、目を見開いた。 疑似的な鏡となったテレビ画面の中、上鳴と目があっていた。しかし、リビングには依然として上鳴の姿はどこにもない。そのはずなのに、テレビには上鳴が映っている。 「えっ、えっ!?」 困惑に声を上げれば、上鳴の声が聞こえた。 再度テレビを見てみると、またしても上鳴と目があった。驚いたような表情をしている。まるで、自分と気持ちがシンクロしているような、そんな表情。 切島は、まさか、と思いつつ。片手をそっと持ちあげてみた。すると、テレビに映る上鳴も手を上げていた。髪に触れれば、上鳴も髪に触れる。手を下ろせば、手を下ろす。 (お、俺、上鳴の身体に入りこんじまったのか……!?) ぎょっ、としていると、爆豪は訝しげに目を細めた。 「けッ、酔っぱらいが」 そう吐き捨ててから、さらに酒に口をつけようとする。その姿に、あっ、と切島は慌ててそれを取り上げた。衝撃に固まっている場合ではない。これ以上、爆豪に飲ませるわけにはいかないのだ。 取り上げた缶チューハイを遠ざけるように高く持ちあげれば、むむむ、と爆豪は顔をしかめる。 「てめッ、返せ! さっきからふざけんなよ!」 「だめだ! これ以上は絶対にだめだ!」 「んだと……!」 「ぶっ倒れてぇのか! 明らかに許容量超えてんだろ!」 「うっせぇ、こんぐらいなんともねェわ!!」 「だめだ!」 「指図すんな! 俺の勝手だろうが!!」 「爆豪ッッ!!!」 聞き分けようとしない爆豪に切島は思いっきり怒鳴った。 上鳴の怒号が部屋に響く。あまり聞いたことのない声だ。きっと顔も普段の上鳴がしないような険しい表情をしていることだろう。爆豪は大声を超えて怒鳴り声を上げた上鳴に少し怯んだように肩をすくめた。ちっ、と舌打ちをして、目をそらす。 そんな爆豪に切島もはっとした。あぁ、これではだめだ。そう思った。こんな風に怒鳴りつけて、無理やり抑えつけるようなやり方ではだめだ。ちゃんと言葉を交わさなければ。いまはそれが可能なのだから。 切島は意識してゆっくりと息を吐いた。 十分に気を落ち着かせてから、あらためて爆豪と向きあう。 「なぁ、爆豪、聞いてくれ……」 「……ババアくせぇ説教は鏡に向かってでもしてろや」 「違うんだ爆豪。大事な話なんだ」 声のトーンを落として、切島は真剣に爆豪を見つめた。 「なんだよ」 雰囲気が変わったことを察したのだろう。爆豪は苛立たしそうに顔をしかめながらも、切島の話に耳を傾ける姿勢を見せた。 切島は声のトーンを下げたまま、上鳴の声で爆豪に告げる。 「信じらんねぇかもしんねぇけど、俺、上鳴じゃないんだ」 「…………てめぇが婿入りしたとか心底興味ねぇんだが」 「ちげぇって! そういう意味じゃねぇよ!」 「じゃあ、なんだよ。つーか大声出すなや鬱陶しい」 「爆豪、俺は上鳴じゃなくて……、切島だ。切島鋭児郎なんだ」 「…………あぁ?」 切島が言うと爆豪はぽかんとした表情を浮かべた。そして、すぐに、ぎっ、と目つきを鋭くさせ、切島を強くにらむ。 「……酔いすぎて頭おかしくなったか? あぁ?」 「いや、酔ってない。まじな話だ」 真面目に主張するが爆豪は、けっ、と吐き捨てる。 「冗談つくならもっとましな冗談つけや。くっそつまんねーんだよ!」 「冗談じゃない! 爆豪信じてくれよ!! 俺は切島鋭児郎なんだって!」 切島は必死に言い募った。霊体になってしまったこと、ずっと近くにいたこと、そして気がついたら上鳴の身体に入りこんでいたのだと、必死に説明する。 「…………」 しかし爆豪の眼差しはあほを見るようなまま。むしろ侮蔑のこもった眼差しをしていた。 確かに、はたから聞いたら冗談のようにしか聞こえない。しかも意識を失って入院し続けている友人を装うなど、最高に性質の悪い冗談だ。 けれど、切島は真剣だ。だって、自分は本当に切島鋭児郎なのだから。なぜ目が覚めないのか、霊体になってさまよっているのか、ましてや上鳴の身体を乗っ取っているのか。 なにひとつ理由はわからないし、どれもこれも冗談じみたことばかりだが、けれど真実である。嫌というほどにこれが現実なのだ。 「てめぇ、もう寝ろや。特別の特別に、その胸糞わりぃ冗談は酔っぱらいの戯言として聞かなかったことにしてやる」 「待ってくれ爆豪、」 「それともなんだ? 俺に眠らせてほしいってか?」 ぼんっ、と小さく爆破を起こす爆豪の態度は揺るがない。 あぁ、もうこうなったら……! 切島は奥の手の使用を決意した。 「いいかよく聞けよ爆豪」 「だから、てめぇのつまんねぇ冗談は聞き飽きた」 「いいから、これを聞いたら俺が切島鋭児郎だって認めざるを得なくなるから」 「……なんだよ」 「ッいいかぁ、よく聞け爆豪! 俺と爆豪が最後にセックスしたのはなぁ、俺が病院送りになった日の四日前だァ!!」 「…………は?」 ぽかん、と爆豪が呆ける。 「はッ、はあぁああ!? なッ、て、てめぇ、な、なに言って……ッ」 そして次の瞬間には、驚愕に目を見開いた。切島はさらに畳みかけた。 「そんで、そん時の体位はきじょ――」 「ッ!? だまれくそがっ!!」 「ぐぶォっ」 パァーンッとまたしても横っ面をはたかれる。ちょ、おま、これ上鳴の身体だからな。俺の身体じゃねぇんだからな。俺ほど丈夫じゃないだろうから、ちょっとは手加減してやってくれよ。 頬を押さえて爆豪を見れば、爆豪の顔は真っ赤であった。酒の影響もあるだろうが、あきらかにそれだけではない。 「てめっ、なんでそれを……! く、クソ髪が言いやがったのか!?」 「言うか! 誰がそんなこと言うか! 冗談じゃない!」 切島は力いっぱい否定した。他人に爆豪とのセックス事情をベラベラと喋るなど、そんなことするはずがない。爆豪のえろいところは自分だけが知っていればいい。否、自分だけしか知ってはならない。だからこれは切島と爆豪の二人だけしか知らない事実だ。 「俺が切島鋭児郎なんだって! 本当なんだ爆豪!」 「……んなこと言ったって、そんな、ばかな話……、あるわけが……」 「たしかに馬鹿な話だ。けど、本当なんだよ!」 「…………」 爆豪は黙りこんだ。あともう少しだ。切島はさらに言葉を重ねた。 「なぁ、爆豪。おめぇは上鳴のやつがこんな冗談を言うと本当に思ってんのか?」 「…………」 「たしかにあいつはさ、ノリが軽くてチャラいところもあるけど、でもこんな冗談をいうやつなんかじゃない。そうだろ?」 「…………」 「爆豪、頼む。俺と上鳴のこと、信じてくれ」 「…………っ」 戸惑いに爆豪の瞳が揺れる。 それ以上はなにも言わずに、切島は次なる爆豪の反応を待った。決して視線だけは反らさずに、ひたすらに待つ。すると、やがて爆豪は力なく肩を落とした。俯いて、視線を外される。 「爆豪?」 「てめぇ……、なにやってんだよ」 ちいさな声だった。病室でぽつりとこぼしていた声のように、ちいさく少し震えた声。ぎゅう、と途端に胸が痛んだ。 「いつまで、……いつまで寝てる気なんだよ、てめぇはよォ!」 「爆豪、ごめん。ごめんな、爆豪……、すっげぇ心配かけちまってさ」 「…………」 「でもさ、俺、大丈夫だから。ぜってぇに目ぇ覚ますからよ! まだちょっと時間はかかっちまうかもしんねぇけど……、でも絶対、絶対にちゃんと起きるから!!」 切島は爆豪の手をとった。その手は酷く冷たい。切島はその冷たさを温めるように、両手で包み込んだ。 「だからさ、そんな心配すんなって」 「…………」 「俺、ちゃんと見てたんだぞ? おめぇのことずっと。全然飯食ってねぇことも知ってんだかんな。だめだろ爆豪、飯はちゃんと食わねぇと」 「……うっせぇ、別に腹が減らねぇんだよ」 「それでも、食わねぇとだめだろ?」 む、と爆豪は口を尖らせる。 「俺のほうこそ心配だ。おめぇが倒れちまうんじゃねぇかって、ハラハラして仕方ねェ」 「おれは、べつに平気だ」 「俺にそんな嘘ついたって無駄だぞ爆豪」 「……てめぇが、さっさと起きねぇのが悪い」 「うん、そうだな……、ごめん。ごめんなぁばくごぉ」 切島は爆豪を引き寄せると、そのまま腕の中にぎゅっと抱きしめた。爆豪は、びくっ、と肩を揺らしたが、すぐにゆるゆると力を抜いた。目をつぶって、大人しくその身を預ける。切島も、目をつぶった。そうすれば、まるで本当に帰ってこれたようなそんな錯覚を覚えた。 痩せたな、と思う。自分のせいだ。罪悪感と愛しさがごっちゃに胸をかき混ぜる。本当は抱きしめるだけじゃなくて、キスの一つもしたかったが、ぐっと堪えた。 自由に動かしてはいるが、この身体は上鳴のものだ。上鳴の身体で勝手にキスをしてしまうのは上鳴に申し訳ないし、なにより、たとえ中身が自分であっても自分以外の口で爆豪に触れるなど、許せそうになかった。 (あぁ〜……、くそ〜、触れるようになったってーのにな) せめても、とぎゅうぎゅうと強く抱きしめる。客観的に見たら上鳴が思いっきり爆豪を抱きしめていることになるのだが、そこは我慢した。 束の間の幸福を味わう。 思わず永遠を願いたくなるが、その時間は本当にほんのわずかな時間であった。 言葉もなく、ただひたすらにそのぬくもりを抱いていると、しばらくして、ぐ、となにかに引っ張られるような感覚がした。 身体ではない、もっと内側のなにかを引っ張られるような感覚。それは、先ほど上鳴の身体に触れた時に感じた感覚に似ていて、切島はすぐに悟った。もう時間切れなのだと。 切島はそっと爆豪の身体を離した。名残惜しい。もっともっと爆豪に触れていたい。その体温を感じていたい。けど、仕方がない。この身体は上鳴のものなのだ。いつまでも自分が借りていてはいけない。 「わりぃ、爆豪。俺、そろそろ……」 「……そうかよ」 「ごめんなぁ」 「もう、それはいい。……いいから、さっさと目ぇ覚ませくそが」 「うん。すぐ起きるから。もうちょっとだけ待っててくれ」 ぐ、と引っ張られる感覚が強くなる。意識が遠ざかる。 「爆豪っ、俺が起きるまで酒は禁止だからなッ、あと飯は三食食べるように! それと最近寒くなってきたからきちんと暖かくしろよ。あと、あと……っ」 「うっせぇ、オカンかてめぇは」 時間切れに焦る切島に、ふっ、と爆豪が笑った。ずいぶんと久しぶりに見る表情だった。あぁ、いやだ。離れたくない。離れたくない。でも、離れなければならない。 「爆豪! 俺、ずっと傍にいるから! いまの俺にはなんにもできねぇけど、それでもおめぇのことずっと見守ってるから!」 だからなにも寂しがる必要などない。なにも心配する必要などない。 大丈夫。絶対に帰るから大丈夫。爆豪を置いてどこにもいったりはしない。 精一杯、切島はくり返した。大丈夫だからと何度も。 「仕方ねェから、待っててやる」 早くしろよ。 爆豪がつぶやいた瞬間、どんっ、と強く押されるようにして、切島の意識は上鳴の身体から離れた。 「あぇ……? あ?」 ぱちぱちと上鳴が呆けたような表情で瞬きをくり返す。 その姿を、切島は横から見ていた。霊体に戻った。戻ってしまった。 「あれ? おれ、いまなんか言ってた……?」 身体を切島に取られていたという自覚は上鳴にはないようだ。なにが起こったのかわかっていない様子で、くしゃりと頭を掻く。 「……しらね。夢でも見てたんじゃねえの」 「そうかぁ……。てか、あれ、俺寝ちゃってたのか」 ふわぁ、と上鳴が大きくあくびをする。そして、机に置かれた開封済みのビール缶を見てあっと声を上げた。 「こら、ばくごー! もう飲むなって言っただろ〜! まったく! ぼっしゅう!」 「はっ、もういらねぇわ。てめぇが処分しろ」 ぷいっ、と爆豪は顔を背け、その反応に上鳴は、はぇ? と目を丸めた。 「え、なに急に聞きわけよくなっちゃって」 「べつに……、それより、さっきのてめぇの演技じゃねェだろうな?」 「演技? え、なに? おれなんかした?」 「…………」 じぃぃい、と爆豪は上鳴をにらむように見つめる。上鳴はなんのことだかわからずに、ぱちぱちと瞬きをくり返していた。 その様子に嘘は言っていないと判断したのか、爆豪は目つきを緩ませた。 「寝る。てめぇはさっさと帰れ」 「いやいやいやいや、この状態で帰れって鬼ですか? つーか自分でも忘れてたけど俺バイクで来てたんだけど! 帰れねぇって! 泊めてよ!!」 「……うるさくしたら殺す」 「え、え、なんなの? なんでまた聞きわけいいだ?」 なんか怖い! と上鳴は震えた。だが、爆豪は、ぷいっと顔を背けるだけだった。 それどころか、爆豪はさらに毛布二枚を上鳴に貸してやって、爆豪が優しくて怖い! と上鳴をたいそう怖がらせていたが、その反応にすら怒鳴り声を上げることはなかった。あからさまに一転した態度。かわいいやつだと切島はこっそり笑った。 ◇ ◇ ◇ 戸惑う上鳴をリビングのソファに放置して、爆豪はふらふらとした足取りで寝室へと向かうと、そのままベッドに倒れこんだ。一瞬ひやりとしたが、ゆるゆると毛布に包まるいつもの動きほっと息をつく。 「……切島、本当にいんのか?」 そのまま眠りにつくのかと思えば、爆豪は首を起こして辺りを見渡した。 きょろきょろと赤い目が切島の姿を探す。返事をしてやりたい。けれど声はもう届かない……。切島は眉をひそめ、そして、あっ、と気がついた。そうだ、これならもしかしたら。 切島は、びゃっ、と急いで窓辺に近寄るとカーテンを掴んで力いっぱい揺らした。そうすれば、ゆらゆらと微かにだがカーテンが揺れる。爆豪は窓も開けてないのに揺れるカーテンにすぐに気がついた。ぱち、と目を丸くしてカーテンを見る。 「切島?」 「おー、いんぜ。ここに」 切島はさらにゆらゆらと力いっぱいカーテンを揺らした。爆豪はしばらくの間カーテンを見つめ、切島は爆豪が満足するまでずっとそれを続けていた。 やがて、満足げに目を細めた爆豪の頭が、ばふっ、と枕に沈む。 「おやすみ、爆豪」 「……おやすみ、切島」 言葉が返る。それは完全に偶然の産物だったが、返ってきた声に切島の胸は簡単に弾んだ。 爆豪が目をつぶる。いくらもせずに寝息が聞こえてきて、切島はいままでにないほど穏やかな気持ちでその音を聞いていた。 「爆豪、大丈夫。俺はここにいるからな」 「…………」 もう爆豪から返事が返ることはなかったが、構わなかった。 爆豪との距離は遠い。けれど、決して爆豪とつながった糸が切れたわけではない。 絶対にあきらめてなるものか。あらためて強く決意する。 そして、その日は唐突にやってくるのだった。 |
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