目が覚めると自分ちのベッドで、見知らぬ少年と寝ていた。

「………………へぁ!?」
 切島はぎょっと飛び起きた。え、え、とわけがわからず辺りを見渡す。見慣れた自身の部屋だ。家具の位置も、天井の高さも、部屋のにおいも、全部が全部、慣れた自分の部屋である。
 ただ唯一、隣に横たわる少年だけが慣れた部屋で異様な存在だった。
「は? え、えぇ?」
 なぜ、どうして、自分の隣で見知らぬ少年が寝ているのか。まったく記憶がない。
 時計を見ると壁にかけたアナログ時計の針は19時になろうかという頃を指していた。いまのいままで自分は一体なにをしていたのか、切島は覚えている限りの記憶を探った。

 切島鋭児郎、23歳。職業はヒーローだ。
 2年ほど前にサイドキックからヒーローへと転身した切島は新米ヒーローとして精進すべく、昼夜問わず忙しなく働く日々を過ごしている。だが、今日は土曜日。切島の土曜日は早上がりシフトであり、土曜日はいつも14時を過ぎるころには所属しているヒーロー事務所を後にしていた。
 本日も例に漏れず14時過ぎに切島は仕事を終えたわけだが、事務所を出た切島は真っ直ぐに家には帰らなかった。同じく早番の同僚やサイドキックたちと一緒に飲みに行ったのだ。先輩ヒーローの結婚が決まって、それを祝う飲み会だった。
 仲間行きつけの居酒屋に皆で集まり、そこで気持ち良く酒を飲んだことを覚えている。まだ陽も沈んでいない時間帯だったが、先輩の結婚というおめでたいネタを杯に場は明るく盛り上がり、酒は進んだ。
 切島はべつに酒に弱くない。しかし、どうやら調子に乗っていささか飲みすぎてしまったようだ。あとから合流してきた事務所の他のメンバーとあらためて乾杯の一杯を交わしたのは覚えているが、そこからの記憶がいまいち怪しい。

「俺、どうやって、いつ帰ってきたんだ……?」
 曖昧な記憶を探りながらうんうんと唸る。
 自分の足で歩いて帰ったような気がするが、一体いつこの少年と出会ったのだ? そして、なにがどうして見知らぬ少年とベッドを共にしているんだ? まさか、酔っぱらった自分が連れ込んだのか? どこからどう見ても未成年の、見知らぬ少年を、成人してからもう3年も経っている自分が、自宅の、しかもベッドに連れ込んだ……。
(か、完全に犯罪者だこれぇ……ッ)
 思わず頭を抱えた。頭が痛い。けれど、それは酒のせいではない。いや、ある意味では酒のせいではあるのだろうが……。

 とりあえず、切島はゆっくりと少年から離れベッドから降りると、そのままベッドに向き合うようにして正座をした。あらためで眠る少年を見る。
 見覚えのない見知らぬ少年だ。薄い色をした髪に白い肌と全体的に色彩が薄いその少年は、同じく白い色をしたYシャツを着ていた。学校の制服だろうか。自分よりも一回りも二回りもちいさい体格に高校生ではなく中学生だろうかと推測する。
 少年のその白いYシャツは一番上と二番目のボタンが外れていたが、それだけだ。着崩しているだけで、乱れている、とまではいかないシャツにほっとした。最悪の最悪は免れたと思っていいだろう。
「いやいやいや、だって俺そんな趣味はねぇし!」
 誰がいるわけでもないのに、力強く否定する。否定しなければいけないと思った。なぜなら、ベッドの少年が眠っていてもわかるほどに整った顔つきをしていたからだ。
 切島にはそういった趣味はない。でもたぶん、そんな趣味を持った人間からしてみたらこの少年は相当レベルが高いに違いなく、もしもこの場に二人の関係性をまるで知らない第三者がいたなら、高確率で切島は通報されていたことだろう。少年はそんな容姿をしていた。
「う〜ん……」
 じっ、と少年を見つめる。いくら見てみても、見知らぬままの少年。そもそもこの年ごろの知り合いなどいない。
 自分の記憶だけではどうにもならない事態に、いい加減少年を起こして事情を訊いてみようかと切島は思った。しかし、そう思った直後、ふ、と少年の白い瞼がぴくりと震えた。お、と目を見開けば、その白い瞼がゆっくりと持ちあげられていき、赤い色をした目がのぞく。
「……んぁ?」
「…………っ」
「ん……、ふ、っあぁあ〜……」
 ぱちぱちと少年が瞬きをくり返す。かと思えば少年は大きくあくびをすると緩慢な動きで上体を起こし、寝起きの猫のようにぐぐーと大きく伸びをする。切島は完全に声をかけるべきタイミングを見失い、その様子をどきどきと見守っていた。
 ぐしぐしと少年が目をこする。そして、ふわぁ、ともう一度あくびをしてから、少年は辺りを見渡すようにして頭を動かした。ぱちっ、と明確に目が合う。どぎどぎと心臓の鼓動が勢いが増した気がした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
 切島はなんと声をかければいいのかわからないまま、少年のほうからのリアクションを待った。
 少年は切島を見つめてぼんやりとした表情をしていた。瞬きをくり返す仕草がひどくゆっくりだ。まだ、完全に意識が目覚めていないのだろうか。それならば、やはりこちらから声をかけるべきなのだろうか。
 切島は意を決して口を開いた。
「……あ、あのぉ」
「…………乾いた」
「へっ?」
 しかし、同時に少年も口を開き、切島の言葉は途中で途切れた。
「喉、乾いた」
「え、あ、そ、そうか。え〜と、わかった、い、いま持ってくっから!」
 少年の唐突な要求になにも考えずに切島はバタバタと慌ただしく台所に向かうと冷蔵庫から麦茶を取りだしてコップに注ぎ、同じくバタバタと慌ただしくベッドに戻った。そしてすぐさまそれを差し出すと少年は、ん、と受け取って一気に麦茶を飲みほした。
 あっという間にコップが空っぽになり、少年は濡れた唇をぺろりと舐めてから、ふぅ、とちいさく息を吐く。その様子を相変わらずどきどきとしたまま見守っていた切島は差し出し返されたコップを受け取ると、恐る恐るとようやく少年に尋ねた。
「な、なぁ、その……、えぇと、君はどちら様、ですか?」
「あぁ?」
 切島の問いに少年は、むぎゅっ、と眉間にしわを寄せながら目を細めた。その鋭い眼差しに少年の印象が「整った顔の少年」から一気に「目つきの悪い少年」へと変わる。
「お、俺ちょっとよく覚えてないくて、えぇっと、その」
「……はっ、だいぶ酔っぱらってたからなてめぇ」
 ついでに口のほうもあまりよろしくないらしい。
 だが、今は少年の口に悪さなどはどうでもいい。
「ぐぅ……、そ、それでなんで君は、その、俺の部屋に?」
 俺のベッドに? とはさすがに直接過ぎて訊けなかった。
 さっきから一向に心臓のどぎどぎが止まらない。頼むから変なことしてないでいてくれよ少し前の俺! と心の底から祈る。しかし、眉間のしわを深くさせた少年は、切島の祈りなど無造作に蹴散らかすようにして答えた。
「てめぇに無理やり連れ込まれたんだよ」
「ッ、ま、まじで!?」
「はぁ? 俺が嘘言ってるつーのかよ」
「いやいやいやいや、そういうわけじゃねぇって! けど、え、まじのまじでか?」
 一番危惧していた事態に、血の気がサァっと引く思いだった。
 すぐには信じられなくて、往生際悪く何度も、まじで? まじで? とくり返す。
「証拠もある」
「まじで……!?」
 すると少年はおもむろにスマホを取りだしたかと思えば、なにやらすいすいと操作をし始めた。
 そして、すぐにそれははじまった。

『おいッ、離せくそが! ふざけてんじゃねぇぞ!』
『こらこら、暴れるなって〜』
『うっせぇ、離せっつってんだろ!』
 少年のスマホから再生されたらしいその声は、怒鳴る少年の声とやけにふにゃふにゃとしただらしがない切島自身の声だった。
『だぁめだって、もうすぐ暗くなるってのに子どもがいつまでもうろうろしてちゃいけないんだぞ〜?』
『だからいまから帰るところだったっつーの! 離せや!!』
『いやいや、子ども一人で帰らせるなんてあぶねェだろ? だから俺が送ってってやるよ』
『はぁ? いらねぇわんなもん!』
『遠慮すんなって!』
『これのどこか遠慮に見えんだよてめぇは! つか、送ってくって言いながらてめぇどこ行く気だよ! 俺んち知らねェだろうがッ』
『そういや知らねェわ……。しゃーない! 俺んち来っか!』
『いかねぇーーよ!! ふざけんな! 一人で帰れる!』
『だからだめだって、おめぇみてぇな奴を一人でフラフラさせらんねぇって。いまの時代な、子どもなら女だろうと男だろうと関係なく誘拐するやつがいんだぞ?』
『それはてめぇだろ! いままさに俺を誘拐しようとしてんじゃねぇか!』
『馬鹿言え俺がそんなことするわけねェだろ! 俺はおめぇをちゃんと保護してやろうとだなぁ……』
 ぎゃあぎゃあと少年が吠えたて、のらりくらりとした返事を返す自分。その声に交じって、ずるずると聞こえる音は抵抗する少年を無理やり引きずっている音だろうか。

 途中で少年が音声の再生を止める。気がつけば切島は深くうなだれていた。
「…………」
「証拠に録っておいた。んで? 感想は?」
「……本当に申し訳ございませんでしたァ!」
 ずぁ、と切島は床に手をつくとそのまま勢いよく頭を下げた。いわゆる土下座だ。
 致し方ない。それほどのことを自分はしでかしたのだ。行動原理自体は、遅い時間に子どもを一人で出歩かせられない、という善意からなされたものであるようだが、如何せん一人よがりすぎる善意だった。まさに有難迷惑。弁明の余地はない。
「いっっっくら一人で帰れるから離せって言っても聞きゃしねぇ」
「す、すみませんでした!」
「馬鹿力で掴みやがって、振り払おうにも振り払えねぇし」
「め、面目ないです……」
「まったく、ヒーローが酔っぱらって未成年誘拐なんざ笑えねぇなおい」
「おっしゃる通りで……、えッ、な、なッ!?」
「なんでヒーローだって知ってんのかって?」
 言葉を詰まらせ驚きに目を見開く切島を見て、少年、はっ、と鼻で笑う。
「てめぇが自分で言ったんだろうが。なぁ、烈怒頼雄斗?」
「ま、じで……?」
「ふんっ」
 少年はふたたび録音を再生させた。
『これのどこが保護だ! この誘拐犯!』
『なに言ってんだ! 俺は誘拐犯じゃなくてむしろそれを捕まえるほう!』
『あ? まさか警察官とか言うんじゃねぇんだろうな』
『おしい! 近いけど違う! 俺はなぁ、なんと剛健ヒーローの烈怒頼雄斗だ!』
『剛健ヒーローの、れっどらいおっと?』
『そう! 剛健ヒーロー烈怒頼雄斗!! 知ってるか? 烈怒頼雄斗!』
『知らねぇ』
『えぇ!? まじ? くそぉ、俺の知名度まだまだかよ〜……。けど、まぁ、そういうことだから! な!』
『はぁ? なにが、な! だよ』
『俺がちゃんと守ってやるから大丈夫! さぁ行こう!』
『っておい、結局そうなるのかよ!』
『さぁ、いくぞー!』
『くそがぁあああああ!!』
 少年の吠える声を最後に、再生が止められる。

 切島は、おぐあぁあああ、と唸り声を上げながら頭を抱えた。ばりばり自分から暴露してしまっている。それだけでも十分恥ずかしいのに、少年は烈怒頼雄斗のことを知らなかった。これはますます恥ずかしいというか、かっこ悪いというか、なんとも言えない感覚にごりごりと額を床に擦り付けた。
「んで、俺を無理やりここまで連れてきたてめぇは部屋に入るなり眠いだなんだ言いだして人を強制的に抱き枕扱いしやがった」
「…………ぐぬ」
「抜け出そうにもくそみてぇな力で抱きつきやがって」
「…………ぅぐぬぬ」
 もうやめてくれ、とも言えないほどに失態、失態、そしてさらに失態の連続だった。いくら酔っぱらっていたとは言え、尋常ではない迷惑のかけ具合に自分が情けなさすぎてぐうの音も出ない。
「おいおら、なんか釈明なり弁明なりなんかねェーのかよ」
 少年が不機嫌な声で言う。
 それは子どもが大人を相手にするにはあまりにも不遜な言葉遣いだったが、いまの切島にはそれをどうのこうの言えるだけの立場はなく、ただうなだれたまま首を振った。
「……ない、です」
「あ?」
「ッ悪いのは全部俺だ。酔っぱらっていたから、なんてそんなの言い訳にもならねぇ」
「はっ、わかってんじゃねぇか。じゃあ、罪を認めるってことだな?」
「あぁ……、ちゃんとけじめはつける」
「ふぅん、どうやって?」
「もちろん、警察に行く。」
「…………」
 未成年者拉致に、もしかしたら監禁もつくかもしれない。
 こんなことが世間様に知られてしまったら、切島のヒーローとしての輝かしい道は確実に閉ざされることだろう。しかし、警察に行く、という選択に迷いはなかった。だって、悪いのは自分だ。酔っぱらった見知らぬ大人の男に無理やり捕まえられて、そのままその男に家に連れ込まれ逃げられないなんて、どれだけ怖かったことだろうか。切島は想像する。
 いま目の前にいる少年からは恐怖や不安を抱いている様子は感じられないが、それが虚勢であるの可能性を切島は否定できない。
「本当にごめん……、いや、申し訳ない」
「…………」
「謝っても謝りきれねぇ。くそっ、わりぃ」
「…………」
「さらに面倒かけちまうけど、警察まで一緒にいいか?」
「やだ」
「ごめんなぁ……、って、え? は? や、やだ?」
 即答されたそれは、切島にとっては予想外の返事であった。
「やだって、そりゃすぐに帰りてぇ気持ちはわかるけどよ……」
「やだっつったらやだ。つーか、てめぇの自首なんかいらねェ。そんなんしたら俺まで被害者として色々とうるさく訊かれんじゃねぇか」
「いやいやいや、そういうわけにはいかねぇよ!」
「俺がいらねぇって言ってんだからいらねぇんだよ」
「だめだ! そんな簡単に済ませていい話じゃねェだろ!」
「だめじゃねェーんだよ! うっせぇなぁ!!」
「でもだなぁッ!」
 あくまでも少年は事を大きくするつもりはないようだ。
 それは加害者である切島にとってしてみればそれは大変ありがたいことである。少年が騒ぎ立てなければこの問題が世間に知られることはなく、切島のヒーロー歴に傷はつかないのだから。
 だが、切島はそれを良しとする男ではなかった。
 きっとこの少年は事の大事をわかっていないのだ。これはれっきとした未成年誘拐だ。少年は明確な被害者で、切島は言い逃れのできない加害者である。被害者である少年が別に気にしないからいいと許して、はいそれでめでたしめでたしと簡単に終わっていい話じゃない。
 だから切島は事の重大さをしっかりと訴えようとした。
 ――しかし、その時だった。

 ふいに部屋に電子音が響いた。無機質なその音は少年のスマホのものだ。
 少年はスマホを覗き込むと、げっ、と声を漏らす。どうしたのかと思えば、慌てた様子で立ち上がり、そのまま玄関に向かっていくではないか。
「え、ちょ、おい!? どこ行くんだっ?」
「決まってんだろ帰んだよ! ちっ、てめぇのせいですっかりこんな時間だ!」
「わ、わりぃ! ……って、いや、ちょ、帰るっておめぇその前に警察にッ」
「だからいらねぇって言ってんだよ! てめぇ、素面でもしつこい野郎だな!!」
 警察を拒絶する少年に、切島は逆に困ってしまった。
「じゃあ帰るってんなら俺家まで送るからご両親に説明して、そんで警察に――」
「んなもんいらねぇわ! ふざけろ! 話をややこしくすんな!」
「ややこしくって、大事な話だろ! ちゃんと保護者を交えて話をだなぁ」
 それに中学生がこんな時間に一人で出歩くなど、それが男であろうとやっぱり心配だ。
 だというのに、少年は切島の提案をことごとく嫌そうに却下し続ける。
「あぁ、もう! いらねぇっつってんだろくそが! しつけぇ! それよりてめぇ!」
「は、はい!?」
「これで終わったと思うなよ! 警察は勘弁してやるが、てめぇのことをまるっきり許したわけじゃねぇからな! この落とし前はきっちりつけてもらう予定だ覚えてろよ!」
 がおぉッと最後に大きく吠えて少年は乱暴に玄関を開けると、そのまま出ていってしまった。ばたばたと駆け足の音が遠ざかり、かんかんかん、とアパートの鉄骨階段を下る音が響き、そして、ぎぃぃい、と建付けの悪い扉がゆっくりと軋みながら閉まっていく。その様を切島は呆然と見送った。

「え、え……? ちょ、まじかよ」
 あっという間の出来事だった。
 切島が目覚めて、少年も目覚めてから本当にあっという間。自分の信じられない失態やら、少年の思いがけない対応に頭があまりついていけないでいるのが正直なところで、切島は少年が去ってしまった後もしばらくの間、意味もなく呆然と扉を見つめ続けることしかできなかった。
 
 
 
◇  ◇  ◇
 
 
 
(けっきょく、一体なんだったんだろうなぁ……)
 あの日から、なにひとつわけがわからないままあれよあれよと時間は過ぎ、日は経って、気がつけばすでに一週間が過ぎていた。
 ふたたび訪れた土曜日。あの日はまったくもってとんでもないことをしでかしてしまったわけだが、あれから特にこれと言って切島の生活が変わったことはなかった。もしかしたら、自分と一緒に警察に行くのが怖くて帰るふりをして一人で警察に助けを求めに行ったのかも、と思ったが待てど暮らせど切島のもとに警察がやってくることはなかった。
 どうやら本当に少年は被害届を出すことはしなかったようだ。拍子抜けするほどにいつも通りの日々。ただ、切島の中にはもやもやとした気持ちの悪い感覚が巣食ったまま燻っていた。未成年を無理やり家に連れ込むなど、やはり犯罪以外の何ものでもない。正義感の強い切島は大人として男として、なによりヒーローとして、ちゃんと自首したほうが良いのではないかと何度も何度も思った。
 しかし、被害者として扱われることを嫌がっていた少年のことを思うと、ことを公にしてしまったら逆にあの少年に迷惑をかけてしまうのではないのかと悩み、自首を決行することはできないままでいた。
(あぁあああああ〜〜、まじどうすればいいんだかなぁ〜〜……!!)
 毎日のように頭を悩ませながらも家路につく。
 今日は今日で飲みに行かないかと誘いがあったが断った。ヒーローとして以前に、人としてこの間のような失態は二度と犯してはいけない。だから、しばらくの間は禁酒をしようと思う。もちろん、外だけでなく家飲みも禁止だ。やるからには徹底的に禁酒する。
 明日はせっかくの休みだが、夕食用の惣菜だけ入ったスーパーの袋をがさがさと揺らしながら切島は帰宅した。階段をのぼりながら鍵を取りだして、いつの間にか俯きがちだった顔を上げ、そして、え、と立ち止まった。
「あ、れ……?」
 自分の部屋の玄関前に誰かしゃがみ込んでいる。真っ黒なズボンに真っ白なシャツ。陽に透き通るな白金の髪の合間からのぞいた赤い目が切島に気が付きこちらを見た。どれもこれも、見覚えのある色たち。
「おっせぇなァ」
「お、おめぇ……ッ!」
 それは忘れもしない、あの日の少年だった。

「おめぇどうしてここに!」
 まさかまさかの再会に切島は残りの短い廊下をだっ、とダッシュして少年のもとに駆け寄った。少年はゆっくりと立ち上がると、ふんっ、と鼻を鳴らす。
「まず部屋入れろや」
「え? あ、あぁ……、いやっ、でも!」
「んだよ、立ち話させる気か? あぁ?」
「うぅ……、わかったよ」
 出会いが出会いなだけにあまり自分と少年の二人きりで部屋にいるなどまずいのではないだろうかと思ったが、当の少年はまるで気にしていないようだ。はよしろや、と行儀悪く玄関の扉を爪先でこつこつと蹴っている。
 扉を開けると少年は切島よりも先に部屋へと上がった。そして、部屋をぐるりと見渡す。
「前も思ったが、ヒーローのわりに住んでる部屋しょぼいな」
「ぐ……っ、ほっとけ! ここはサイドキックのころから住んでんだよ!」
 サイドキック時代はまだまだ安月給だったのだ。プロヒーローになって給料は上がったわけだが、特にこれと言ってこの部屋に不満はなく、確かに多少しょぼくはあるが今のところ引っ越しは考えてはいない。
「俺の部屋のしょぼさはどうでもいいだろ! それよりおめぇ今日はなんでここに?」
「はっ、決まってんだろ。てめぇにこの前の落とし前つけさせに来たんだよ」
「落とし前、って」
「嫌だとは言わせねぇぞ」
「や、それは構わねぇけど……、なにすりゃいいんだ?」
 まさかあれをネタに金をせびられるのだろうか。
 だとしたら困ったことになった。少年にはできる限りの償いはしたい。けれど、少年の今後のためにもお金だけでこっそりと解決など、そんな歪な解決方法はしたくなかった。
「なぁ、やっぱり今からでも警察によぉ」
「やだっつったろ。そんなことより、お前がヒーローとしてどんな活動してんのか聞かせろや」
「俺のヒーローとしての活動?」
「ヒーローなんだろ?」
「え、えっ、なにもしかして俺の、烈怒頼雄斗のファンなのかっ?」
 もしかして、ファンだから警察行きを見逃したのかと思ったが、切島の言葉に少年は思いっきり顔をしかめた。
「はぁ? んなわけねぇーだろ、誰がてめぇみてぇな新米ヒーロー! 昨日まで知りもしなかったわ!」
「ぐぅ……、ですよねぇ……。じゃあ俺限定じゃなくてヒーローのファンってことか」
「っざけんな!! 俺をどこぞのクソナードと一緒にしてんじゃねぇぞ!!」
「んな、怒鳴らなくても」
 がおっ、といきなり怒鳴りだした少年に切島は肩をすくめる。自分のファンでもなく、ヒーローのファンでもないのなら、なんだってそんな話が聞きたいのか。
 首をかしげると、少年はそんなこともわからねぇのかと言いたげに目を細めて言った。
「将来の参考のために決まってんだろ」
「将来の参考って……、それってもしかして」
 切島は、ぱちくり、と目を丸くさせた。
 少年がふふんと笑う。手を緩く持ちあげ、手の平を上に向けた。なんだなんだと切島はさらに目を丸くさせたその瞬間、ぼんっ、と少年の手のひらから爆発が起こった。
「うおっ、なんだいまのっ? おめぇの個性か? 爆破? なんだそれすげぇなあ!」
「とーぜんだろ、なんたって俺はトップヒーローになる男なんだからな!」
「ト、トップヒーロー!」
 ふふん、とさらに少年は笑う。トップヒーローとはずいぶんと大それた目標であったが、少年の表情は自慢気であり、自信満々でもあった。
「そうだ。だからてめぇの話聞かせろ。現場での動きは当然、裏の話もな」
「え、は、えぇ?」
「今日は仕事だったのか? ヴィランとの交戦はあったのか? 給料いくらだ? 保険はどこに入ってんだ? 今まで捕まえたヴィランの数は? つーか、そもそもてめぇの個性ってなんだ?」
「はいぃ? ちょ、ま、まてよ、そんないっぺんに訊かれても……!」
「トロくせぇ奴だな、さっさと答えろや」
「え、えぇ〜」
「てめぇ、一週間前に自分がなにをしたのか忘れたわけじゃねェだろうな?」
「ぅぐ」
 一週間前の話を出されると切島は弱い。
「少しでも罪の意識があんならいいからさっさと答えろ。俺のトップヒーローの道への礎になれ」
「ぐぐぅ……、あぁ、もうわかったよ! 答えればいいんだろ答えれば!」
 それでこの少年が満足するというのなら答えてやろうじゃないか!
 切島はいろいろと開き直った。それによくよく考えてみれば、ヒーローになるためにヒーローから話を聞きたい、だなんてかわいいお願いじゃないか。口調こそは悪いが、ヒーローになりたいという子どもらしい夢に切島は少年に要望を聞き入れることを決めた。
 
 
「つ、疲れた……」
 はぁ、と切島は大きく息を吐いた。
 子どもの質問などたかが知れているとどこかで舐めていた。しかし実際には少年の質問は限りがなく、あれはこれはそれはあっちはこっちはと答えるだけでも数時間が経過してしまった。しかも厄介なことに少年はちょくちょくと子どもらしからぬどぎつい内容やら生々しいお金関係の質問を投げかけてくるため、切島は何度か言葉に詰まった。
「スポンサーの数とか保険料だ損害賠償だとか、中学生のする質問じゃねェって……」
 同僚相手でもあまりすることのない話にすっかり切島は疲労しきてしまった。
 そんな切島とは逆に少年は、ふむ、と満足そうに頷きながら、スマホで時刻を確認し、鞄を片手に立ち上がる。
「んじゃ、次は来週な」
「うぇっ! また来んのか!?」
「あたりめーだろ。せっかくの教材を一回こっきりで終わらせるわけねェだろうが」
「教材……」
 俺の扱いなんなの。
 そう思ったが、有無を言わせぬ少年の態度に、切島は少年に対して罪悪感を抱いていることもあり強く拒絶の意を唱えることできず、そのまま帰っていく少年の後ろ姿を以前と同じように途方にくれながら見送った。
 一人きりになった部屋でしまった玄関を見つめながら頭を掻く。
(なんか、よくわかんねぇが、来週も会うことになっちまった)
 まったくもって、一から十までわけがわからない。

 それが切島と少年、爆豪勝己との奇妙な交流の始まりだった。
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