「おっせぇ」
 さらに次の土曜日。
 部屋に帰ると、宣言通りに少年は先週と同じように玄関の前で切島を待っていた。本当に来たのか……。ちょっとびっくりしながらも、切島は少年を追い返すことなく部屋へと上げた。良くも悪くも切島は順応性が高かった。

「えーと、おめぇは、その」
「……爆豪。爆豪勝己」
 少年もとい爆豪は簡素に答えた。
「そこ、座っていいから。爆豪、麦茶でいいか?」
「……ん」
「つってもそれしかないんだけどな!」
 たははー、意味なく笑いながら冷蔵庫から麦茶を取りだし二人分のコップに注いだ。
 一つを爆豪に手渡してから、自分の一気に飲み干す。最近、暑い日々が続いており、冷蔵庫で冷えていた麦茶は汗ばんだ身体にはこれでもかというほど最高だった。
「っあ〜〜、美味い! もう一杯!」
 どこぞのCMのようなこと言いながら、空になったコップを掲げる。
 一杯だけでは物足りずもう一杯飲もうと冷蔵庫に向かおうとして、そこで切島は、じぃ、とこちら見つめてくる爆豪の視線に気がついた。切島も爆豪を見る。しかし、目は合わない。こちらを見てはいるが、切島の顔は見ていない。
 切島は首をかしげて尋ねた。
「…………」
「なんだ?」
「てめぇ、ちょっと服脱いでみろ」
「はいぃ!? な、なんで!?」
 思いがけない言葉に、変な声が出た。
「ちょっと腹筋見せろ」
「? なんで腹筋?」
「ヒーローなんだろ? どんくらい身体鍛えてんだよ」
「あぁ、そういうこと。まっ、身体には俺自信あるぜ!」
 なんたって剛健ヒーローだからな! と切島は冷蔵庫に向かうのをやめ、言われた通り服をぺろりとめくって腹筋を見せてやった。自分で言うのもなんだが見事なシックスパック。おぉ、と爆豪が目を少し大きくさせた。
「ばっきばきだな」
「そりゃあ鍛えてますから!」
「ふぅ〜ん……」
 爆豪の返事は素っ気ない。
 だが、腹筋を観察するその目は心なし輝いているように見え、憧憬を含んでいるように感じさせるその眼差しに切島の鼻は高くなった。
「なんなら触ってみっか?」
「触る……?」
「おう、だいぶ硬いぜ!」
 ぱちくりと目を瞬かせたのち、爆豪は恐る恐る手を伸ばし、そのままぺたりと切島の腹筋を触った。
「かってぇ」
「だろっ」
「お前、まじでヒーローなんだな」
「えっ、ちょ、疑ってたのかよ!」
「少し」
「ひでぇ!!」
 まじでヒーローなのに! と切島が嘆いてみせると、爆豪は、はっ、と笑った。
「だって、てめぇのヒーローらしいところなんざ一切見たことねぇもん」
「まぁ……、それはたしかになぁ。でもまじでヒーローだから!」
「はいはい、そーかよ」
 力強く主張する切島を爆豪は適当にあしらう。
 切島は、まじなのにぃ、としつこく口を尖らせた。いっそのことヒーロー免許を見せてやろうか。なんて、そこまで思ったが、それを実際に口にするより早く、それよりも、と爆豪が話を変えた。
「お前、普段どんなトレーニングしてんだ」
「んー? べつに特別なことはしちゃいないなぁ。腹筋とか腕立て伏せとか、ダンベルやジョギングにシャドーボクシングとか」
「ふぅん?」
「やっぱ大事なのは継続させることだな! 日々こつこつと努力あるのみ!」
 ありきたりだが、やはりそれが一番なのだ。
 単純な答えに文句を言われるかと思ったが、爆豪は素直に、そんなもんか、と頷く。
「なぁ、爆豪はなんかトレーニングしてんの?」
「一応、ジョギングは昔から。最近は筋トレもはじめた」
「お、偉いじゃねぇか! 感心感心!」
「馬鹿にしてんのか?」
「まさか!」
 滅相もない!切島はぶんぶんと首を横に振った。
「爆豪って中学生だろ? 何年?」
「…………1年」
「いちねん!」
 去年まで小学生じゃねぇか!
 切島はまじまじと爆豪を見た。
 こうしてあらためて見ると、やけに白くぷくぷくとした頬が目についた。まぁるい子どもらしさの抜けていない頬。首は細く、やはり色は白い。切島よりも一回りも二回りもちいさな身体。手首なんてちょっと強めに掴んだだけで折れてしまいそうだ、なんて思う。まだまだ子どもだ。どこからどう見ても子ども。
 爆豪の歳を知って再度、偉いなぁと切島は心の底から思った。切島も中学のころにはもうすでにヒーローになりたいと思っていたが、具体的になにをするわけでもなく、夢はあくまでも漠然とした夢のままだった。もともと運動は好きであったが、本格的に身体を鍛え始めたのは雄英高校を目指すと決めた中学3年のころだ。
 それに比べて爆豪はもうすでにヒーローになるための行動を起こしている。そもそも、いまこの瞬間に爆豪が切島の部屋にいるのもヒーローになるためなのだから、その行動力たるや凄まじいものだ。
 トップヒーローになる。
 そう言っていた爆豪の言葉を思いだす。多くの人が夢見るそれは、しかし、爆豪にとっては“夢”ではなく“目標”であるのだろう。

 気がつけば切島は先週のように次々と投げかけられる爆豪からの質問の数々にすらすらと答えていた。答えづらいこと、答えられないことには相変わらず言葉に詰まってしまうのだが、あれも知りたいこれも知りたいと問いを続ける爆豪の相手をするのはまったく苦にはならなかった。先週は質問の嵐にあんなにも疲れたというのに、時間の経過すらまったく感じないほどだった。
 忘れていた時間を思い出したのは、遠くのほうからチャイムが聞こえてきたからだ。17時を知らせる音。その音に爆豪は窓硝子越しに外を一瞥すると立ち上がった。
「そろそろ帰る」
「おう、そうか。気ぃつけてな」
「わーってるわ」
 爆豪はお節介な切島の言葉に子どもらしく、む、と顔をしかめた。けれど、その表情は不機嫌と言う感じではなく、どちらかと言うとどことなく名残惜しそうな様子だった。めいっぱい遊んだ遊園地を後にするときのような、満足感と名残惜しさを一緒にしたような表情。
「爆豪!」
「あ?」
「また来週な!」
 だから、再び気がつけば切島は自分からそう言っていた。また来週。次の約束。
 爆豪は、ぱちくり、と瞬きをした。そして、いくらか瞬きをくり返したのちに、口を引き結んで、ぷいっ、と顔を背けた。
「……来週はもっと早く帰ってきやがれ」
「おう、わかった」
 じゃあな、と爆豪が部屋を出ていく。
 その背を見送る切島に先週までのような戸惑いはもうなかった。
 
 
 
◇  ◇  ◇
 
 
 
「そこで俺がすかさずガツーンと決めたわけよ!」
「わっかんねぇよ。ガツーンじゃなくてもっと詳細教えろや」
「だからぁ、俺の硬化右ストレートが亀ヴィラン野郎の防御をだなぁ!」
 しゅ、しゅ、と切島は右腕でパンチをくり返す。
 そんな切島を爆豪はあきれた様子で見て、切島は身振り手振りをより一層大きくさせた。

 あれから爆豪は毎週土曜日になると切島の部屋の前で切島を待っていた。夜中にコンビニ前でたむろするヤンキーのようにしゃがんで、切島が帰ってくると「おっせぇ」と文句を言いながら立ち上がる。おかげで切島は土曜日にはまっすぐ家に帰ることがすっかり習慣になってしまった。
 以前までの半日勤務の土曜はちょっと遠くまでジョギングをしたり、普段より気合を入れてジムに突撃したりだとか、友人や同僚と飲みに行ったり、はたまたちょっと気になっていた話題の映画を見に行ったりだとかしていたのだが、いまの切島にとって土曜日は爆豪と会って爆豪と話をする日へと変わっていた。
 それを不満に思ったりだとか、面倒に思ったことはない。はじめのはじめこそは厄介なことになってしまったと思ったりしたが、思いのほか爆豪と過ごす土曜日は悪くないものだった。10歳も年下の子ども。爆豪の態度や言葉遣いは大人を相手にするものにしては不躾で不遜だ。しかし、切島の話を聞く爆豪の目はいつだってヒーローに対する興味や憧憬がちらちらと見え隠れしていて、相手をしていてなかなか悪くないのだ。
 失敗談を話せば笑われる。今週は大した活躍はなかったと言えばなぁんだと言わんばかりに肩を落とされる。けれど、そこはこうしたほうがいいんじゃないかと一丁前に意見を上げたりだとか、次はすげぇ活躍聞かせろよと発破をかけてくる爆豪とのやり取りはやはり切島にとって楽しいと言っても過言ではないものだった。

「今日はインタビューもされたんだぜ俺! もしかしたら夕方のニュースに出るかも!」
「はっ、そしたらちったぁ知名度上がるかもなぁ。無名ヒーローから底辺ヒーローに」
「無名……底辺……、いや、さすがにそこまで知名度低くないだろ! そりゃあまだまだ新米の域は脱してねぇかもだけどよぉ!」
「実際、俺ァてめぇのこと知らんかったし」
「お、ぐぅ……、これでも結構順調に進んでんだぞぉ? 同期の中じゃヒーローになったのも早いし」
 先輩たちにもなかなか優秀だと褒められることが多いのだが、厳しい爆豪の評価に軽くへこむ。トップヒーローになると目標の高い爆豪は他人に対しても非常に辛らつだ。
「そういやお前どこ高出身だよ」
「おめぇがそれ言うとまるっきりヤンキーだな」
「あぁ?」
 ぎろっ、とにらみつけてくる目に、ますますヤンキーっぽさが上がる。でも、その頬っぺたはやっぱり丸い子どもの形をしていて、凶悪になり切れていないその顔に切島はちょっぴり笑った。
「なに笑っとんだ」
「いやいやうん、俺の出身校な。ふふん、聞いて驚け! 俺はあの雄英高校出身だぜ!」
「……は? まじ?」
「まじまじ!!」
「……どんだけ積んだ?」
「? ……っ、裏口入学じゃねぇよ!!」
 正真正銘実力だ! と切島は吠えたが、すぐに、すん、と肩を落とし頭を掻いた。
「つっても、まぁ、実技はともかく筆記はかーなーりギリギリだったんだけどな」
「お前、見るからに肉体派っぽいからな」
「これでもいろいろ考えてるぜ?」
「その主張がまず頭よくないやつのそれだろ」
「で、でも雄英出身なのは変わんねぇから!」
 爆豪は疑わしげな視線を向ける。
 信頼ないなぁと肩を落とすが、まぁ自分が頭脳派ではないことは確かなことで、正直自分でも雄英の筆記試験を突破したことは奇跡だったと思う。雄英高校は超難関だ。その分、学べることは多い。
 そこで、あっ、と切島は気がついた。
「なに、もしかして爆豪、雄英狙い?」
「とぉーぜんだろ、それ以外にあっかよ」
 ヒーロー学校のトップといえば、やはり雄英が一番有名である。
 今年中学生になったばかりだというのに、爆豪はもう高校の進学まで考えているようだ。どこまでも目標に一直線な爆豪に、切島の口からは感服の言葉ばかりが出てきた。
「はぁ〜〜、えっらいなぁ、爆豪は!」
「……なんかすげぇむかつく」
「なんでだよ、褒めてんのに!」
「ガキ扱いすんな、くそが」
「ガキではあるだろ〜。でも、そっか、雄英か〜。じゃあ、爆豪は俺の後輩だな!」
 後輩、と言われて爆豪は盛大に顔をしかめる。
 逆に切島は、にこにこと機嫌よく笑った。
「爆豪くん! 優しい先輩が勉強見てあげようか! ん?」
「無理」
「即答! てか無理!? やだとかじゃなくて無理!?」
「つーか、勉強なんざ授業聞いて予習でもしときゃわざわざ教えてもらうことなんかねぇだろ」
「…………あ、はい、ソーデスカ」
 あ、この子勉強できる子だわ。しかもそれが当然だと思ってる。
 10年分の差があるのだから、さすがに中学生の勉強くらい見られると思ったが、これはちょっと怪しいかもしれない。テスト前はいつもヒィヒィ言いながらノートとにらめっこするばかりの学生生活を送っていた切島はそれ以上アドバイスもできず、にかり、と曖昧笑った。
 その代わりに雄英ってどんな授業してんだ? と尋ねてきた爆豪の質問には全力で答えてやった。教師はみんなプロヒーローで施設も充実しており、授業ではその教師と実際に戦うこともできたのだと教えてやると爆豪はきらきらとちいさな子どものようにその赤い目を輝かせていた。
 
 
 
◇  ◇  ◇
 
 
 
「辛っ、えっ、これ辛ッ!」
「そうか?」
「辛いって! なにこれ! まじでお菓子かこれ!?」
 ひぃひぃ言いながら、切島は慌てて飲み物を口に含んだ。それでもぴりぴりとした感触は舌から消えず、とてもじゃないが二口目を口にする気にはなれない。そんな切島は横目に爆豪はパクパクと二口どころではなく真っ赤な色をしたそれを口に運んでいた。
「おいおい、大丈夫かよ」
「よゆーだわ、これくらい」
「はぇ〜、まじで辛いの好きなんだな」
 自分には辛すぎて食えたものじゃないが、爆豪はおいしそうに食べているそれは切島が仕事帰りにコンビニで買ってきた激辛お菓子だった。先週の土曜日に爆豪は辛い物が好きだと聞いたから買ってきたのだ。
「ひぃ〜、まだ舌いてぇ」
「はっ、弱っちい舌だな」
「舌に弱いも強いもあるかよ〜」
「知るか、ばーか」
 子どもらしい悪口を言いながら、爆豪は目を細めて悪い顔で笑った。せっかく整った顔をしているのに、台無しにするような笑い方だ。けれど、その笑い方を切島は“爆豪らしい”と感じた。

 あれからまたいくつかの土曜日が過ぎた。
 爆豪は決してその曜日を間違えることなく、土曜日になると切島の部屋の前に姿を現し続けていた。雨の日も晴れの日も関係ない。学生にとって夏休みと呼ばれる時期にもそれは変わることはなく、せっかくの土曜や夏休みなのだから友だちと一緒に遊んだりしなくていいのか? と一度不思議に思って尋ねたことがあるが、爆豪にとっては友だちと遊ぶより、こうやって切島のもとを訪ねるほうが有意義らしい。
 もしかして友だちがいないのか、とも思ったりしたが、どうもそれも違うらしい。ただ爆豪の友だちはTVゲームだとかゲーセンだとかが好きなようで、自分の趣味に合わないと言っていた。平日の学校帰りにちょろっと遊ぶ程度ならいいが、土曜の半日や休日丸々1日を長々と
ゲームをするのは嫌だとのことだ。

「やっぱ食うなら肉だな肉! 俺肉大好き!」
「だろうな。見るからにてめぇは肉食タイプだわ」
「お、やっぱそう?」
「その筋肉と体格で野菜大好きとか言われてもなんの説得力もねぇわな」
「肉はいいぞ〜。肉食えばそれだけでパワーもらえるからな! 朝飯に牛丼食えばその日一日元気百倍!」
「朝から牛丼は重いだろうが」
「か〜〜、これだから現代っ子は! だからおめぇそんな色白なんだぞ!」
「現代っ子関係ねぇだろ。つーか色白言うな」
 生まれつきの体質だくそが、と爆豪は不機嫌に言う。
「夏に海とか行っても黒くならねぇの?」
「……なんねぇ。赤くなるだけ」
「へ〜、俺は一日であっという間に黒くなるんだけどなぁ」
「自慢か? 嫌味か? あ?」
「なんでそーなる。日に焼けやすくてもなんの自慢にもならないっつーの」
 どうやら日に焼けにくい自身の肌をあまり好いていないらしい。そういうところ、案外気にするんだなぁ、と爆豪には悪いが少し笑った。なんてことはない雑談の中で、また一つ切島は爆豪のことを知る。
 爆豪との会話の内容はほとんどがヒーロー関係の話ばかりだったのだが、何度も土曜日が過ぎていくうちに少しずつヒーロー関係以外の話もするようになっていた。はじめは、自分ばかり答えるのはなんだからと切島のほうから逆に爆豪に尋ねたのがきっかけだった。学校のこと、友だちのこと、爆豪自身のこと。
 爆豪は最初のほうこそは、なんでお前に俺のこと話さなきゃなんねぇんだよ、とうっとうしそうな表情を向けられていたが、いいじゃんいいじゃんなぁなぁなぁ、としつこく尋ねているうちにぽつぽつと答えてくれるようになった。
 次第にどちらかが質問を投げかけたりせずとも自然と雑談が交わされるようになり、爆豪が辛い物が好きと知ったのも、爆豪の友だちがゲーム好きだと知ったのも、くだらない雑談の最中のことだった。

「え、つーかいつの間にか激辛菓子完食してるし!」
「まぁまぁだったな」
「うわぁ、しかもおめぇなにも飲んでねぇだろ? それでよく食えるな〜」
「鍛えが足んねぇなァ、烈怒頼雄斗」
「いやいや、だから舌にそんなん関係ねぇだろ〜」
 はっ、と爆豪はまたしても人の悪い顔で笑う。
 意地悪な笑みだ。それでも、やはり切島はその笑みを“爆豪らしい”と感じ取って嫌な気はまったくしなかった。
 土曜日に爆豪が訪ねてくるたびに、切島は爆豪と自分の距離が縮まっていくのを感じていた。爆豪もそう感じているかは、切島にはわからない。ただ、肌で直に感じ取れるのではないかというほどに明確に縮まっていく距離を切島はやけにうれしく思っていた。
 例えるならそれは、偶然知り合った野良猫が徐々にリラックスした姿を見せてくれるようになった感覚に酷似しているだろうか。切島は爆豪と過ごす土曜日に充実感のようなもの感じていた。
 出会いを思い出すといまでも床の上を全力で転げまわってしまいたくなるが、それでも爆豪との出会いが切島にとって“良いもの”であることに違いはなかった。
次→