ふぅ、と一仕事終えた達成感に切島は深く息をついた。
「お疲れー」
「お疲れ〜、今日も働いたなー!」
「おう、お疲れさまっした〜」
 同じく仕事を終えた先輩の一人と同僚の一人に言葉を返しながら、流れてくる汗をぬぐいヒーローコスチュームを着替える。今日もよく働いた。大きな捕物はなかったが、チンピラ紛いのヴィランを一人捕まえた。ニュースで取り扱われるほどでもないような小物ではあったが、犯罪者は犯罪者だ。捕まえられてよかった。
「腹減った〜」
「減りましたね〜」
「そういや知ってか? ここの近くに新しいステーキハウスができたってよ」
「お、まじっすか」
「結構有名なチェーン店らしいぜ。なぁ、せっかくだしこの後食いに行かね?」
「いいですねー」
 先輩が提案し、同僚が頷く。さらに同僚は切島をふり返って言った。
「お前も行くだろ? 肉だぜ肉!」
「あー……」
 それに対し、切島が答えようとするが、先輩が首を振って先に答える。
「だめだめ、今日土曜日だろ。切島来ねぇって」
「? 土曜日だとなんかあるんすか?」
「んだよ、お前気がついてなかったのか? ここ最近の切島の土曜日に」
 そう言われて、首をかしげていた同僚はさらに首をかしげる。
「いつ頃からかは忘れたけど土曜日の切島はな、飲みの誘いだろうが、仕事終わりの駄弁りだろうが、可愛い事務員の意味ありげな声掛けだろうが全部すげなく断って帰っちまうの」
「あ〜……、そういや、言われてみれば確かに?」
「いやいや、すげなく断ってはいないっすよ! ちょっと今日は無理っすすんません〜って感じですよ!」
 誤解を与えるような説明に切島は慌てて弁明した。確かに土曜日の誘いはことごとく断ってはいるだがそんなそっけなくあしらうような失礼な言い方はしていないはずだ。
 しかし、切島の主張を無視して先輩は同僚との会話を続ける。
「俺が予想するに切島のやつ……」
「切島のやつ……?」
「ずばり、彼女ができやがったんだ!!」
「うえぇ! まじか!」
「まじだ」
「いやいやいやいや、なんでそうなるんすか!」
 突拍子もないことを言い出した先輩に盛大に手を振る。
 すると先輩はぎろりと切島をにらみつけてきた。
「あぁ? なんだ切島、べつに隠さなくたってそんくらいで妬んだりしねぇよ」
「そういうことじゃなくってっすね、俺、彼女なんてできてないですよ」
「水くせぇな、さすがにそこまで心狭くねぇって」
「いや、まじでいませんてば! なんでそんな話になってるんすか!」
 本当に彼女なんていない。そりゃあ、過去には彼女の一人や二人いたことはあるが、サイドキックからヒーローへと転身した際に付き合っていた彼女に振られて以来、悲しいがな切島に新たな彼女はできてはいなかった。
「なんでそんな話にって、土曜のお前の様子を見てりゃ自然とそんな話になるっつーの。やったら嬉しそうっつーかウキウキした顔で帰りやがって」
「え、そんな顔してます?」
「してるしてる。どーせ、土曜日は家で可愛い彼女が待ってるんだろ? んで? 夕食は彼女が作ってくれちゃったりして?」
「あぁ〜、それじゃあ飲みも飯も断るに決まってますよね」
「だよなぁ、俺だって可愛い彼女がいたらこんなむさ苦しい後輩たちと飯になんて……」
 うんうんと同僚と先輩は頷きあう。すっかり二人の中では切島は彼女が待っているから土曜日はさっさと帰っていることになってしまったようだ。実際はそんなことはまったくないというのに。
「本当にそんなんじゃないですって」
「じゃあ、なんで土曜日はさっさと帰るんだよ」
「それは……」
 直接尋ねられて、はたと切島は口をつぐんだ。
 土曜日にさっさと帰るのは、もちろん爆豪が待っているからだ。それ以外に理由はない。
 だが、それを説明しようにもあんな爆豪との出会いをおいそれと語るわけにはいかず、そもそも、爆豪との関係をどう説明すればいいかわからず言葉が出てこなかったのだ。

(俺と爆豪の関係って……、言葉にするとなんて関係なんだ?)
 ふと疑問に思う。
 いままで特にこれと言って考えたことはなかった。
 爆豪がヒーローの話を聞きたいというから、できる限りの範囲で話してやった。はじめは迷惑をかけてしまった罪悪感からの罪滅ぼしだった。でも、そんな意識があったのは本当に初めの初めのうちだけだった。ヒーローの話を聞く爆豪が楽しそうだから、爆豪にヒーローの話をしてやるのは楽しいから、切島は爆豪にヒーローの話をしてやった。
 気がつけばそれが楽しく仕方なくなって、爆豪が帰る時間になると逆に寂しくて仕方なくなった。でも、それって、なんという関係なのだろうか。

「…………」
「ほーら、言えないってことはやっぱ彼女なんだろ!」
 爆豪との関係を考え込みかけて、先輩の声に意識は一気に戻ってきた。
 切島は、はっ、と顔を上げて再度手をぱたぱたと振った。
「そういうわけじゃなくって、そのっ」
「いいから白状しろ切島! 男らしくないぞ!」
「そーだそーだ〜」
「おまっ、他人事だと思って……!」
 先輩の尋問じみた問いかけは続き、その横で同僚が面白そうに頷く。妬んでいないと言っていたくせに、先輩のその様子は明らかに「彼女がいる切島」に対するちいさな怒りを含んでいた。
 切島はどうにか先輩の誤解を解けないかと思案した。だって本当に彼女じゃないんだ。それなのにこんな八つ当たりされるなんてたまったものじゃない。しかし、すっかり先輩の考えは凝り固まってしまっているようで、この様子ではちゃんと誤解を解くには時間がかかることだろう。
「えーと、えぇと……、そんじゃお疲れっしたー!」
 時間がかかる。そう判断した瞬間に、切島は一気に着替えを済ませて荷物を手にすると、ほとんど逃げるようにしてロッカールームを飛び出した。おいこら切島! と先輩の声が背後から聞こえてきたが、お疲れっした! とくり返してそのまま事務所を後にした。
 逃げるなんて男らしくない選択だ。けど、今日は土曜日。爆豪が待っているのだから、こんなところでもたもたなんてしていられない。



◇  ◇  ◇



 一直線に部屋まで帰ると、もうとっくの昔に見慣れてしまった爆豪の姿が部屋に前にあった。かんかんかん、と鉄筋階段を上る音に気がついて爆豪がこちらを見た。
 目が合った切島は、おーっす爆豪、といつものように声をかけようとして、ぎょっとした。なぜなら、しゃがみこんでいる爆豪が上から下まで全身ずぶ濡れであったからだ。
「おまっ、どーしたんだよその恰好!」
 慌てて駆け寄ると、爆豪は濡れた髪をうっとうしそうにかき上げながら立ち上がり、むっとした表情で答える。
「降られたんだよ、雨に」
「あ? あー……、そういやさっき降ってたな通り雨」
 仕事のパトロールを終えて事務所に戻った直後のことだ。ざぁっ、と豪雨が確かに降っていた。あっという間に降り注いで、瞬く間に止んでしまった、まさしく通り雨。本当に一瞬のような短い豪雨で室内にいたこともあって印象に薄かったが、爆豪はその一瞬の豪雨に降られてしまったようだ。
「災難だったな〜、あんな短い雨にかち合っちまうなんて!」
「くそが……」
 ちっ、と爆豪が舌打ちをこぼす。子どもらしからぬ凶悪な舌打ちだ。かと思えば次の瞬間、くしゅん、とやけにかわいらしいくしゃみを一つこぼした。そのくしゃみのかわいさにうっかりなごみかけるが、ふるり、と小さく震えた肩に切島は慌てた。
「やべぇ、そのままじゃ風邪引いちまうって!」
「うっせぇ、これくらいで引くかよ……、っしゅん」
「あぁもう、ほら。最近、気温下がってきたし、ちゃんと身体温めねぇと」
 夏は過ぎ去り、世間はもう秋へと突入していた。昼はまだ暖かくても、夜は油断していると驚くほど寒くなったりもする。寒暖の差についこの間サイドキックの一人が風邪をひいて休んだばかりで、切島は急いで玄関の鍵を開けると爆豪を部屋へと押し込んだ。
「俺んちで風呂入っちまえよ、服なら貸してやっから」
「…………」
「ほら、爆豪」
 あるもん好きに使っちゃっていいから、とそのままさらに風呂場へと押し込めば、爆豪は迷うそぶりを見せながらも最終的にこくりと頷いた。

 風呂場からシャワーの音が響く。
 切島はその音を確認してからすぐ近くのコンビニへとダッシュして新品の下着を購入すると、それを自分の服と一緒に脱衣所へと置いておいた。洗濯籠に放り込まれていた濡れた制服は一応ハンガーにかけて干しておく。
「あー、こりゃ帰るまでに乾かねぇだろうなぁ」
 それでも、とドライヤーで温風を当ててみる。焼け石に水だろうが、まぁ気休めだ。
 そうしている間に風呂場からシャワーの音が途切れた。代わりに、ぺたぺたと素足の足音が背後から聞こえてくる。
「おー、上がったか。ちゃんと温まったかー?」
「ん」
 それならよかった、と切島は爆豪をふり返り、そしてしばらく爆豪を見つめたのちに、思わず、ぷ、と軽く吹き出した。
「笑ってんじゃねぇ! くそが!」
「っわりぃ、わりぃ! ははっ、やっぱ俺の服じゃおめぇにゃでかかったか!」
 爆豪は切島が置いておいた長袖のTシャツとスウェットを素直に着込んでいたが、上も下もものの見事にだぼだぼであった。襟ぐりからは鎖骨が大きく覗き、袖は何重にも折り曲げてようやく手が出ている状態で、足元も同じく何重にも裾を折り曲げていた。
 服を着ているというよりも、服に着せられているというべきか。180cmを超える切島の服を、おそらく170pにも満たない爆豪がきているのだから無理もなかった。
「けっ、デカブツが……」
「拗ねない拗ねない。ほら、髪濡れてんじゃねぇか、ちゃんと乾かさなきゃだめだろ」
「うっせ、てめぇがドライヤー持ってたんだろ」
「あっ、そうだった。よし、そんじゃ俺が乾かしてやんぜ!」
 毛先から水を滴らせる姿に、切島は爆豪の腕を引いて胡坐をかいた自身の脚の上に無理やり座らせた。そのまま、爆豪の肩にかけられていたタオルをとって濡れた髪を拭き始める。力を込めすぎないよう気をつけながら、わしゃわしゃと。
「おい、自分でやる」
「いいからいいから」
 爆豪は抵抗を見せたが、止める気が一切ないのだと察すると舌打ちを一つこぼしながらも大人しくなった。大まかに水分を拭きとったのを確認してから、今度はドライヤーを当てる。熱くねぇか? と尋ねれば、目の前の頭がわずかに揺れた。
 ちっちゃな頭だなぁ、なんて思いながら距離に気を付けながら温風を送る。徐々に髪がふわふわとした感触に乾いていく変化がなんだかおもしろかった。そういえば、いままで人の髪なんて乾かしたことなどなかった。案外、楽しいものだ。

「よし、これぐらいでいいだろ」
「…………」
「爆豪、終わったぞー」
「…………」
「爆豪?」
「…………」
 返ってこない反応に顔を覗き込むと、爆豪は目を閉じてすよすよと眠っていた。無防備極まりない寝顔。切島は思わず、じ、とその寝顔を見つめた。爆豪はまったく起きる気配がない。
(なんつーか……)
 随分と信頼されたものだと思う。
 爆豪の寝顔を見るのは、一番初めに爆豪を無理やり連れ込んでしまって以来二度目だ。
 ふと思えば、土曜日に爆豪と過ごすようになって、もうそろそろ半年近くになろうかというほどの時が経とうとしていた。あんなよくわからぬ出会いから、もう半年。よくまぁあんな出会いをかまして、いまもまだ交流が続いているものだと思う。
(俺と爆豪の関係かぁ……)
 あらためて考える。事務所でも少し考えかけていたそれ。
 知り合い? 友人? 弟分? それとも加害者と被害者? 大人と子ども? ヒーローとヒーローファン? それとも……、それとも。
 いくつか思い浮かべてみるが、どれもしっくりくることはない。友だちと言うには歳が離れている。ただの知り合いにしてはこの距離は明らかに近い。よくわからない。はじまりからして、よくわからないものだったから仕方がないのかもしれないが……。
 考えてみれば考えてみるほど奇妙な関係だ。切島は自覚する。しかし、自覚したからと言って、やはりこの関係がどういったものなのかは、謎のままだ。

「うぅ〜ん……?」
「…………ん、ぅ」
「っと……、あぶね」
 考え込んでいるとふいに、こっくりこっくりと眠る爆豪の頭が前のめりに倒れそうになって、切島は爆豪の身体に手をまわしてそれを支えた。そのまま胸元に抱え込んで、自分自身の身体を背もたれ代わりにしてやる。腕の中にジャストフィットだ。悪くない。
 ふわふわになった髪から甘いにおいが香る。シャンプーのにおいだろうか。いや、でも自分の使っているシャンプーはこんな甘いにおいなどしていたか? すんすんと切島は爆豪の髪に鼻先をうずめて鼻を鳴らす。甘い香り。良いにおいだ。
「んあ……?」
「っ、爆豪、起きた?」
「……あ? あぁ〜……」
 むにゃむにゃと声が上がって、はっ、となって慌てて顔を離す。
 なにを気持ち悪いことしてんだ俺は。己の行動をふり返って冷静に思った。やばい。爆豪に引かれるかも。不安に胸がひやりとするが、恐る恐る様子をうかがえば、爆豪はちいさく欠伸をこぼしながらぐしぐしと目をこすっていた。そこまで深い眠りじゃなかったようだ。
「お、おはようさん」
「ん……、あ? んだよこの体制」
「おめぇが寝ちまうからだろ」
「うっせ」
 のろのろと爆豪が身体を離す。
 そこに切島に対する嫌悪感だとか不快感はなさそうで、なにも気がついていない様子にほっと息を吐く。良かった良かった。気がつかれていないのならなんの問題はない。
「あ、そうだ爆豪。帰りだけどよ、今日は俺がおめぇんちまで送ってってやるよ」
 早々に調子を取り戻した切島は、いつもの調子で一つ提案した。車はないが、バイクなら持っている。だから爆豪一人ならばなんの問題もなく送ってやれる。
「あぁ? いらねぇよ」
「いやでも、おめぇその恰好で帰んのか?」
「…………」
 指摘すると爆豪は自身の身体を見下ろした。上も下もだぼだぼの恰好。着替えようにも爆豪の制服たちは濡れたままで、あいにくと切島の家の洗濯機には乾燥機能なんて上等なものはついてなく、近所にコインランドリーもない。
「それとも迎え頼むか?」
「…………くそ、てめぇが送ってけ」
「おう、任せとけ!」
 せっかくだから爆豪の両親にご挨拶の一つでもしたほうがいいかとさらに提案したが、それは、まだ帰ってねぇし余計なことしなくていい、と一蹴されてしまった。 
 
 
 そんなことがあった次の土曜日だ。
 切島いつものように部屋の前で待っていた爆豪に先日複製しておいた自宅の合鍵を差し出した。
「ほい、これ」
「んだよ……、これ」
「ここの鍵。これやるからさ、今度から待つなら家の中で待ってろよ。また雨に降られたりしたら勝手に風呂入っていいぜ」
 それに最近寒くなってきたからな、と説明すると爆豪は目を丸くして切島を見る。
「……お前、身内でもねぇやつに鍵渡すとか馬鹿か?」
「そうか?」
「普通しねぇだろ」
「まぁ、そりゃあな。俺だって普通はしねぇよ、そんな不用心なこと」
「は?」
 爆豪はさらにぽかんとした表情を浮かべる。わかっているならなんでこんなこと。そう言いたげな爆豪に切島は笑って答えた。
「でも、おめぇだったら大丈夫だろ?」
「馬鹿じゃねぇの……。気がついたら物が減ってても知らねぇからな」
「へーきへーき、おめぇはそんなことする奴じゃねぇって」
「……ほんと馬鹿だろお前」
 馬鹿だ馬鹿だとくり返しながらも、爆豪は渡された鍵を放るでも突っ返すでもなく、そっと静かに鞄へとしまっていた。

 それからは部屋の前で爆豪を見かけることはなくなった。おせぇな、と文句を言われることもなくなり、切島が、待たせたな、と言うこともなくなった。その代りに切島は、ただいま、という言葉を口にするようになった。そうすれば切島の部屋でノートをローテーブルに広げてペンを走らせていた爆豪が顔を上げながら、おけーり、と乱雑な迎えの言葉を寄こしてくれるのだ。
 自宅に帰って、おかえり、なんて迎えられるのはいったいどれくらいぶりだろう。高校を卒業して家を出てから、自宅に帰った切島に「おかえり」と言ってくれるような人はいなかった。当たり前だ。一人暮らしなのだから。
 しかし、だからだろうか。随分と久しぶりに与えられる「おかえり」の言葉に、切島の胸は毎回ぽかぽかと妙に温かい気持ちでいっぱいになるのだ。
 相変わらず爆豪との関係に付けるべき名前はわからないまま、それでも、爆豪との関係が切島にとってとても大切なものになっていることだけは確かだった。
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