油でてらてらと美味しそうに光る焼き鳥に、切島は同じくきらきらと期待に目を光らせてかぶりついた。じゅわ、と口いっぱいに広がる肉汁と旨みに舌鼓を打ちながらビールを一杯。くぅうう、たまらん! 切島は久しぶりの酒の感覚に身を震わせた。
「かぁあ〜〜、やっぱビールも焼き鳥もうまいッ!」
 だんっ、ビールジョッキをテーブルに置いて、切島はにかっと笑った。
「そりゃ、よかったな」
 そんな切島に言葉を返したのは高校からの友人兼ヒーロー仲間である瀬呂だ。瀬呂は唐揚げを食べながら、確かに美味い、と頷く。だよなぁ、と切島も一緒になって頷いた。やはりこの居酒屋の飯は絶品だ。おかげでちょっと油断すると酒が進みそうになる。
 友人との久しぶりの飲み会だった。相手は瀬呂と上鳴の二人。どちらも高校からの付き合いで、そしてヒーロー仲間でもある。昔は学校の中だろうと外だろうとよくつるみ、卒業した後もちょいちょい暇を見つけては一緒に遊びに行ったりしていた。しかし、切島が2年前にサイドキックからヒーローへと転身し、そしてそれに続くようにして二人もヒーローデビューを果たした結果、なかなか時間が合わせられない日々が続いていた。
 だから本当に久しぶりだった。せっかくだからと、いままで続けていた禁酒を解除したほどに。とは言っても、あんな失態は二度とくり返すわけにはいかない。あくまで軽くしか飲まないんだ、と強く胸に近いながら、切島は手を伸ばしてフライドポテトを食った。

「そういやさぁ、切島。聞いたぜ俺」
「ふぉ?」
 上鳴がふいにそう言ってきたのは、お互いの近況を話し終えて、今後はどんな風に活躍していきたいか、なんて話していた時のことだった。どこかむっとした様子で行儀悪く箸でこちらを指さてくる。
「聞いちまったんだぞ切島!」
「なにを?」
「お前、彼女ができたんだって?」
「はぁ?」
 神妙な様子でいったいなんの話かと思ったが、またその話か。
 切島は思わず眉をひそめた。ついこの間も先輩に言われた根も葉もない切島彼女できた説。なんだってよその事務所に所属している上鳴がその話を知っているのか。
「お前んとこの人と現場一緒んなったとき聞いたんだよ。切島に彼女ができて最近めっきり付き合いが悪い〜ってな」
「お、なんだ切島、お前よーやく次の彼女できたのか」
「できてねーよ……」
 喜々として尋ねてくる瀬呂に力なく首を振る。
 なんて虚しいのだろう。彼女なんていないのに、彼女できたんだって? って尋ねられて毎度毎度首を振る。あぁ、まじで虚しすぎるだろこれ。
「えー、でも言ってたぞ? 切島は土曜日になるとさっさと帰っちまう。これは可愛い彼女が土曜日に泊まりに来るんだって」
「いやいや、できてねーから。いねーから、彼女なんて」
「ほんとかぁー?」
「嘘ついてどうすんだよこんなこと……」
 疑うように目を細める上鳴に、切島は肩を落として見せた。
「まぁ、確かに土曜日はさっさと帰っちまうけどさぁ……」
「なんでだ? 彼女じゃないにしても土曜になんかあんの?」
「あー、うーん……、それはなぁ」
 瀬呂に問われて、口をもごもごとさせながらどうしようかと悩んだ。だが、すぐに、まぁこの二人ならいいか、と切島は爆豪との経由を簡略化させながら説明してみせた。
 酔っぱらって子どもを無理やり家に連れ帰ってしまったこと、自首しようとしたら嫌がられたこと、その代わりヒーロー関係の話を聞かせろと強請られ、それがすっかり土曜の習慣となったこと。すべて正直に。
 同僚や先輩相手には逃げて誤魔化すことしかできなかったが、学生時代からの付き合いであるこの二人なら誤解を臆することなく話すことができた。

 あらかた話し終えると、上鳴と瀬呂は不思議そうに首をかしげた。
「はぁ、毎週土曜に中坊とお喋りねぇ」
「なんだその関係」
 やはり第三者から見てもこの関係は不思議なものなのか。なんとも言えずに、切島はあいまいに頬をかいた。
「仕事終わりに子どもの相手なんて面倒じゃねェの?」
「俺も最初は面倒って言うか厄介なことになっちまったなぁって思ったんだけどなぁ」
「お人よしだな」
「いや、でもいまは俺も結構楽しんでるからそういうんじゃねぇって」
「ふぅん?」
 瀬呂がよくわからないとばかりに首をかしげたまま、ぱくり、と唐揚げを一つ。
「さては切島……」
 一方で、上鳴がはは〜んと訳知り顔で笑う。意味ありげな笑い方だ。
 なんだか嫌な予感がした。な、なんだよ、と返事をする声が意味もなくどもってしまう。
「俺はわかったぞ切島! 瞬時にわかった!」
「だからなんだよ!」
「ふふん、俺が思うにその子、相当かわいい子とみた!」
「は、はぁ?」
 びしっ、と人差し指で切島を勢いよく指さして自信満々に上鳴は言った。
「だってそうだろ? 罪滅ぼしってのもわかるけど、こんな長い間言われるがまま家に入れて相手をしてやるなんて、いくらお前が面倒見のいいお人よしだからって普通じゃねぇって!」
「ふ、普通じゃない……」
「そー。で、それってつまり切島がその子のことをだいぶ気に入っちまってる証拠だ!」
「え、えぇ〜……?」
「じゃあ、かわいくねぇの? その子」
「そ、れは……」
 尋ねられて、切島は考えた。

 かわいい……。爆豪がかわいい。そりゃあ、かわいいか、かわいくないかで聞かれたら、かわいい、の、だと、思う。でも、それは顔だとか性格だとかではない。顔はかわいいというよりも美形だと思う。性格に至っては不躾で不遜である。切島は爆豪に今まで一度だって敬語を使われたことがない。時折、「クソ髪」なんて失礼極まりないあだ名で呼ばれるくらいには、まぁ、かわいいとは言いがたい。
 でも、それでも、爆豪がかわいいかかわいくなかと問われたら、切島は間違いなく前者の答えを選択する。ヒーローの話をしてやるときのワクワクを隠せないでいる表情とか、褒めてやるとどこか自慢げに口端を緩めるところか、気難しいくせにどっか無防備だったりするところとか、かわいいのだと思う。
「ほーら、やっぱかわいいんじゃねぇか!」
「ぐ、ぅぬぅ」
 切島に反論できる言葉はない。
 いや、でも待てよ。そもそも、よく考えればそこは別に反論せずともよいところなのではないか? だって、切島にとって爆豪がかわいいのは事実である。そしてなにもそれは力いっぱい否定して誤魔化すようなことではない。男が男をかわいいと思うのはちょっと珍しい感覚かもしれない。でも、大人である自分が子どもである爆豪をかわいいと思うのはそこまでおかしなことではない、はずだ。だからむきになってそれを否定する必要などまったくない。
 だというのに、なんで自分はいまやけに焦っているのだろうか。切島は自分自身を不思議に思った。かわいいならかわいいとはっきり言えばいいのに、なぜか言葉を濁そうとしている。先輩や同僚相手ならともかく、この二人相手なら誤解も恐れずなんでも言い合えるはずなのに。

「まぁ、お前さぁ、かわいいのはいいけど、手は出すなよ?」
「……は? て?」
 て、とは一体……。
 考え込みかけてたところに言われて、すぐにはわからず、切島はぱちぱちと瞬きをくり返しながら瀬呂を見た。
 すると瀬呂は、にやにやと人の悪そうな笑みを浮かべながらさらに言った。
「だーかーら、いくらかわいいって言ってもまだ中学生なんだろ?」
「そうだよなー、中学生なんだよなー! 流石にそれは犯罪だからなぁ!」
 なんつーか、おしいよなぁ!と上鳴が騒ぐ。
 切島はそこでようやく二人がなにを言いたいのか理解した。
「ば、ばかやろう! て、手なんか出すはずねェだろ!」
 思わず、ばん! と強くテーブルに手をつきながら立ち上がり声を荒らげた。その拍子に皿が跳ねて、焼き鳥が一本転げ落ちる。食い物を粗末にしてはいけない。それは切島の数あるポリシーの一つであったのだが、気にしてはいられなかった。
「そ、そんなん! す、するわけねぇだろ!」
「めっちゃどもってる」
「ど、どもってねぇよ!」
「でもかわいいんだろ?」
「かッ、わいいけどよぉ、それはそう言うかわいさじゃなくて、な、なんつーか……」
「なんつーか?」
「え〜、と、ほら、あれだ、野良猫的なかわいさ? っつーの? それだよ!」
 いくら猫がかわいくてもそういう意味で手を出すようなやつなどいない。
 だいたい爆豪は男だ。いくらかわいいと言ってもそんな上鳴たちが心配しているようなことなど起こるはずがない。だって、切島にそっちのけはないのだ。同性にそういった意味で興味はないのは当然、幼気な少年に手を出して興奮するような、そんな特殊性癖など持ち合わせていない。
「とか言っちゃって〜、ほんとは結構やばいんじゃねェの?」
「やばくねぇーよ!」
 力いっぱい否定する。
 なんだか、心臓のあたりが嫌な感じにぎしりとした。じわじわとした、焦燥感に似た感覚に襲われる。だから、なにを焦っているのか俺は。べつに、なにも焦るようなことはなにもないはずなのに。
 手を出すなとやたらと警告してくる上鳴も瀬呂も、本気で切島が犯罪に走ると危惧しているわけではなく、こんなの学生のころに交わした冗談の延長戦みたいなものだ。こんな力いっぱい否定しなくとも、手なんか出さねぇよ馬鹿言うなって、と軽く笑い流すだけで終えられる話である。
 だというのに、なぜかただの冗談として流しきることができない。
「じゃあさ、今度その中学生に俺らに紹介してみ?」
 唐突に上鳴が提案する。
「え、な、なんで」
「べつに〜? ただ未来のヒーロー仲間にご挨拶しようかなって!」
「え、や、いや……、でも、そんな、いきなり年の離れたおめぇらを紹介しても、あ、あいつだって戸惑うだろうし……」
「そうか? その子、ヒーロー目指して、そんでお前にヒーローの話ねだってるんだろ? だったら俺らを紹介したらもっとヒーローの話が聞けるって喜ぶんじゃねぇの?」
 瀬呂に言われて、う、と切島は言葉に詰まった。
 一理ある。もしも二人を爆豪に紹介したら、きっと爆豪は切島とはタイプの違うヒーローである上鳴と瀬呂に興味を持つに違いない。どんなトレーニングをしているのか、いままでどういったヴィランを相手にしてきたのか、給料は保険は有給数はと切島にしてきた数々の質問をこの二人にもすることだろう。
 想像はたやすく、やけに現実味があった。
(でも、なんかそれって……)
 そして、その自身の想像に切島は思った。
(なんか、嫌だな……)
 素っ気ない表情を浮かべて、でも、瞳だけは興味と憧憬にきらきらと輝いている爆豪の意識が自分から逸らされてしまう、そんな様を想像して、思った。なんか、嫌だ。すごく……、嫌だ。
 くぅくぅと眠っている爆豪の姿を思い出す。自分に抱えられて、無防備極まりない姿。甘いにおいが香らせながら、あくびをしていた横顔。上鳴と瀬呂と知り合ったら、爆豪はそんな姿を二人にも見せるのだろうか。あぁ、そんなの、そんなの……。
(嫌だ)
 どうしようもないほどにそう思ってしまった。

「あーぁ、俺にもなんか良い出会いねぇかなぁ!」
 思考が暗く沈みかける切島をよそに上鳴が声を上げる。自分で話を振っておきながら、もうこちらの反応はどうでもいいと言わんばかりに酒を煽り、出会いが欲しい出会いが欲しいと騒ぐ。頬が赤い。もしかしたら、とっくの昔に酔っぱらっていたのかもしれない。
 引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいてなんだそれは。
 切島はやけくそに、ジョッキに残っていたビールを一気にあおった。

 
 けっきょく、そのままなんだかんだで酒を進めてしまった。前後を失うほどではないが、軽く飲むだけにするつもりだったのに、上鳴のせいでペースが狂ってしまった。まったくあの野郎……。一部、責任転換な気もしたが、すべてを上鳴のせいにして誤魔化す。

「ただいま〜」
 がちゃり、と玄関の扉を開けて、反射的に声にする。
 しかし、返ってくる言葉はない。当然だ。切島は一人暮らしで、そして今日は土曜日ではない。返事などあるはずがない。わかりきったことであるはずなのに、返ってくることのなかった「おかえり」の声に切島は肩を落としてしまった。きゅう、と胸の奥に痛みすら感じるそれは、寂しいという感覚だ。
 最近、よくあることだった。家に帰って、ただいま、と言葉にして、おかえり、と返ってこない声にやけに寂しさを感じる。一人暮らしなんてもうとっくの昔に慣れきって、おかえりなんて言われないことのほうが当たり前であったはずなのに。
「あ〜……、なんか、なぁ……」
 なんだか無償に爆豪に会いたいと、そう思った。無愛想でそっけない爆豪の「おかえり」が聞きたい。一度そう思うと酔いでふわふわとした頭の中はそれだけしか考えられなくなる。
「ばくご〜、なんで今日はいねぇんだよ〜」
 切島はベッドにダイブすると駄々をこねる子供のようにごろごろとその上を転がった。
「かわいいって言ったから? だから気持ち悪がってきてくれねぇの?」
「でもぉ、まじでかわいいんだもんよ〜」
「かわいいもんにかわいいって言うのっておかしくねぇよな〜」
「子どもってのはかわいいもんだろ〜」
「おれのかんかくはおかしくねぇよぉ〜」
 ぐだぐだと管をまく。
 なにを言っているのか。もはや自分でもよく分かっていなかった。ただ、胸の中のもやもやとした感覚をどうにかしたくて、酔いに任せて思うがままに言葉を吐き捨てる。
 その管まきは、うとうとと眠りにつく直前まで続いた。 
 
 
 
◇  ◇  ◇
 
 
 
 頭を撫でる。ふわふわとした髪の感触が気持ちいい。だから、何度も何度もその頭を撫でた。胸元に抱え込んだ身体は温かく、そして甘いにおいがした。どこをとっても、心地よい感触に、切島はたまらなくなってそれをぎゅっと強く腕の中へ抱え込む。
『苦しいだろうが』
 すると文句の声が上がって、腕をぺちぺちと叩かれた。けど、力の込められていないそれはまったく痛くはなかった。子猫のパンチのようなかわいらしい抵抗。ふへっ、と切島は笑った。
『なに笑ってんだよ』
『いや、かわいいなーって思ってさ』
『なんだそれ、意味わかんね』
 腕の中の子どもは言う。素っ気ない言葉だ。だが、その言葉の響きとは裏腹に、子どもはくすくすとどこか楽しそうに笑っていた。
 白い頬が柔らかそうに緩んでいる。切島は子どものその白い頬をするりと撫でてやった。すると、子どもは目を細めて首元に顔を寄せてきた。懐くようにすりすりと頭をこすりつけられて、切島はお返しと言わんばかりに子どもの喉元を指先でくすぐった。
『ふ、はっ、くすぐってぇよ』
 子どもは身をよじる。
 切島は逃がさないように、ぎゅ、とさらに腕に力を込めた。絶対に逃がしたくない。そう言わんばかりに強く強く。
 子どもが、じっ、と切島を見上げてくる。その赤い目を切島は同じく、じっ、と見返した。
 そのまま吸い込まれるように顔を寄せて、そして――。

「っ……!」
 はっ、と切島は勢いよく身を起こした。
 辺りはうす暗い。一瞬、自分がどこにいるのか、なにをしているのかわからなかった。
 しばらくして暗闇に目が慣れ、ようやくここが自分の部屋であることに気がついた。ただし、部屋のどこにも爆豪の姿はない。
「なんだいまの……、ゆ、夢?」
 夢であることはすぐに察せられた。
 ただ、なんだか、ずいぶんとあれな夢だった。なんというか、なんというか、とにかくあれだ。やけに空気が甘いというか、でろでろとした夢。頬を撫でて、くすくすと笑う爆豪のなんとあどけなく愛らしいことか。
 でも、違う。爆豪はあんな風に笑わない。切島に対して笑みを見せてくれることはあるが、あんなふわふわとした笑い方ではなく、もっと生意気な表情で笑うのだ。そもそも、切島は爆豪の頬を撫でたことはない。髪をくしゃくしゃと乱暴に撫でることはあっても、優しく頬を撫でたことなど、そんなまるでかわいいい彼女にするようなことなど、したことなど、ない。
 やけにリアルな夢だった。頬を撫でた感触がいまも手に残っているのではないかと錯覚するほどに。
「いや、でもしょせんは夢だから……」
 爆豪相手に変な夢を見てしまった罪悪感が胸に沸き起こるが、これは別に自分が望んで見た夢ではない。夢なんて自分ではどうしようもないものだ。だから、どんな夢を見たって、それは仕方のないことだ。不可抗力だ。
 切島はふるふると頭を振った。昨日の酒がまだ残っていたのか、ずきり、と頭の片隅がちょっと痛んだ。冷たい水を飲もう。そんで、冷たい水で顔を洗おう。酔ったまま寝てしまったから、だからあんな変な夢を見たんだ。
 そう言い聞かせてベッドを降りると、切島はそれ以上夢のことを考えるのはやめた。夢の中の自分は爆豪に顔をよせてなにをしようとしていたのか。深く考えてしまったら、自分の中のなにかが大きく変わってしまうような、いまの平穏が壊されてしまうような、そんな気がして、少し、怖かった。

 気がつかないままでいれば、ずっとこの日々が続くのだと思った。
 そんなわけ、あるはずがないのに。
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