来週の土曜日は来れねぇから。
 爆豪がそう言ったのは先週の土曜日のことだ。言葉の通り、家に帰ると土曜日は空いているはずの玄関の鍵はかかったままであった。がちゃり、と自分で鍵を開け、部屋に入ってもそこに爆豪の姿はない。電気もついていない、薄暗い部屋が切島を迎える。
 さて、どうしようか。一人きりの部屋で思う。爆豪は律義に教えてくれていたのだから、一週間前から今日は時間ができることが分かっていたわけだが、切島は本日の予定をいまのいままでまるで考えてはいなかった。やっぱ来れることになったと万が一にでも爆豪が訪ねてきた時に今日はもう予定があるからと相手してやれないのは嫌だったからだ。
 しかし、この様子ではやはり爆豪が来ることはないのだろう。
「久しぶりに街でも出歩くかなー」
 日はまだ高く、時間は余っている。
 待ってたところで来てくれる爆豪がいないなら、一人寂しく部屋で過ごすより気分転換にどこかへ出かけようと切島は再度スニーカーを履いて帰ったばかりの部屋を後にした。

 ついこの間秋に入って、さらに冬が訪れたかと思えば、あっという間に日差しは温かくなりはじめ、ぽかぽか陽気が気持ちいい。爆豪と会えないのは寂しいが、心地いい日差しの下でする外出は悪くない。
 髪でも切りに行こうか、それとも服でも見ようか、ジムに籠るのも良いだろう。
 そんなことをつらつらと考えながら目的もなく街をぶらつく。かなり久しぶりに訪れる土曜日に街中は人であふれて賑やかだ。学生と思わしき少年少女の群れ、腕を組んだ男女のカップル、小さな子供連れの家族、パンクな髪型をした兄ちゃん、尻尾にお洒落なリボンを巻いたお姉さん。
 いたって平和な雰囲気の街中にほっとするのは職業病だろうか。すれ違った同業者に軽く会釈をしながら、あぁそういえばそろそろダンベルを一つ新調したいと思っていたのだと思い出し、切島は踵を返すと、行く先のなかった足をスポーツショップへと向けた。
 ――その時、ふと視界の片隅に見知った白金の色が見えた気がした。
「ん……?」
 切島は思わず立ち止まった。
 視線を向け、人混みに目を凝らす。行き交う人々は多く、目まぐるしい。
 それでも、切島はしっかりと見つけた。ごちゃごちゃとした人の群れに混じった、つんつんとした白金色の頭。あれは間違いない。
(――爆豪だ)
 見間違えるはずがないその人。
 自分の部屋以外で初めて見る爆豪は見慣れた制服ではなく、見たことのない私服姿だった。黒を基調にしたシンプルな服装。友だちとでも遊びに来ているのだろうか。
 切島は思いがけず発見してしまった爆豪に、声をかけようかかけまいか迷った。友だちと来ているのなら、自分が声をかけてしまっては邪魔になるだろう。逆に一人であるのなら、なにをしているのかと、せっかくだから一緒についていっていいかと尋ねたいところだ。

 人混みに紛れて見失ってしまわないよう注意しながら、注意深く爆豪を観察する。そうすれば、爆豪の隣を歩く一人の人物の存在に気が付いた。たまたま隣を歩いているだけ、というには少し近い距離で爆豪の隣を歩いているその人は、友人と思わしき子どもではなく、なんと切島よりもさらに年上と思われる大人の男性であった。
 眼鏡をかけ、うっすらと髭を生やした中年男性だ。爆豪はその男と目を合わせて、なにか会話を交わしている。この距離ではなにを話しているのかは聞こえない。ただ、いくつか言葉を交わしたのちに、ふいに爆豪が男の腕を掴むとぐいぐいと引っ張るような仕草を見せた。
「……っ」
 やけに甘えるような仕草だった。爆豪にしては幼い、子どもっぽい動作。
 爆豪がなにかを言うと男は困ったように眉尻を下げた。しかしその口もとは緩やかだ。さらに爆豪がなにか言う。掴んだまま男の腕を揺さぶって、なにかしらを訴えているようだった。いったいなにを訴えているのか。いや、そもそも二人はどう言った関係なのか。すごく、気になった。
 無意識のうちに切島の足は二人のもとへと向かっていっていた。少しずつ近くなる距離に、やがて二人の声が耳に届く。
「なぁ、おい、いいだろ」
「えぇ〜、うぅん、でもねぇ勝己くん」
「けちけちすんなよ」
「うぅ〜ん、仕方がないなぁ。今回だけだよ?」
「っしゃ!」
「怒られちゃうから、内緒ね?」
「わぁってるよ」
 こくこくと爆豪が頷くと男は財布を取り出し、さらにそこから何枚かの紙幣を取り出した。そして、なんの躊躇もなく男はそれを爆豪へと差し出す。その様子に、切島は目を見開いた。
 爆豪のことを「勝己くん」と呼ぶ中年男性に、その男に甘えて金を受け取る爆豪。いったい、このやり取りがどういう意味を指すのか。
 爆豪がまたしても男の腕をつかむ。
 その瞬間、切島は全身が、かっ、と熱くなるのを感じた。

「爆豪ッッ!!」
 気がつけば、場所もはばからず大声でその名を呼んでいた。
 突然呼ばれた名前に爆豪は目を丸くし、きょろりと辺りを見渡す。そして駆け寄ってくる切島に気がつくと目を丸くして「切島……?」と首を傾げた。隣の男が「知り合い? 勝己くん」と尋ねる。馴れ馴れしい呼び方に、さらに頭が熱くなった。
「おッめぇなァ! 自分がなにやってんのかわかってんのか!?」
「は、あ? な、んだよ」
 爆豪の腕を引いて男から距離をとらせ、さらにその間に壁になるように割って入る。あまりの激情に力が無駄に入りすぎてしまったようで、いてっ、と爆豪がちいさく声を上げたが構ってられない。そんな余裕はどこにもない。
「こんなッ、こんなふざけたこと……ッ!!」
「な、なんだよてめぇ急に! こんなってなんだよっ」
「自分を安売りしてんじゃねぇぞ爆豪!! いくらおめぇの顔がいいからってそれを使ってこんなことするなんてよォ……!」
「……はぁ?」
 爆豪は首をかしげる。のんきな仕草。
 そうだ。そうだった。はじめて会った時から、この子どもはどこか危険意識の薄い子どもであった。気の荒い猫のようにシャーシャーと声を荒らげて威嚇をするくせに変なところで無防備で、事の大事がわかっていない。
「もっと自分を大切にしろよ!!」
「さっきからなに言ってんだよ急に……」
「そこまでしてほしいもんがあんなら俺が買ってやる! だからこんなんだめだ!!」
「あぁ? なんでてめぇに買ってもらわなきゃなんねぇんだよ」
「おめぇにこんなことさせねぇためだろうが!」
「あ、あのぉ……?」
 ふと男が話しかけてくる。切島はすぐさま男をにらんだ。にらまれた男は眉尻を下げて、困惑の表情を浮かべていた。ぱっと見では、人のよさそうな優しげな男だ。けれど、人を見た目で判断してはいけない。いままで何人ものヴィランと対峙したことのある切島は知っていた。
「あんた、恥ずかしくねぇのかよ、こんな子どもに手ェ出して」
「はい?」
「て……?」
 男と爆豪がそろってぱちぱちと不思議そうに瞬きをくり返す。しらばっくれる気か。切島はさらに男を鋭くにらんだ。
「お前、まじでなに言って、ん、だ、…………あ? て? 手? ……あ?」
 爆豪の声が途中で切れる。かと思えば、ぱちぱちと瞬きをくり返していた目が徐々に丸く大きくなっていく。わなわなと爆豪の唇が震えていた。唇だけじゃない。手も肩も震わせて、そして、一気に爆豪は爆発させた。

「ッッッざっけんじゃねぇえぞクソ髪ィィイ!!!」
 先ほどの切島にも負けないほどの怒号だった。
「ふざけんじゃねぇぞふざけんじゃねぇぞふざけんじゃねぇぞくそがァああ!!」
 だんだんだん、と地団太を踏んで力いっぱいに爆豪は叫ぶ。その目はこれでもかというほど鋭く尖り、切島をにらむ。
「信じらんねェ信じらんねェ、まじ信じらんねェ! ふざけんなよ!」
「ちょ、ちょっと勝己くん、落ち着いてっ」
「うっせぇ!! これが落ち着いていられっかァ!!」
 男が制止するも爆豪の怒号は止まない。
 その爆豪のあまりの興奮っぷりに、逆に切島の熱が一気に落ち着く。そして、すぐに、あれ? と思う。なんか反応が違うのではないか。開き直られるか誤魔化されるか。そんな反応は予想していたが、ここまで激怒するような反応は予想していなかった。
「こいつ、この野郎! 俺とくそ親父がえんこーかなんかしてんじゃねぇかって勘違いしやがった!!」
「えんこー? ……え、援交!? 勝己くん! だ、だめでしょそんな言葉使っちゃ!」
「そこじゃねぇだろうがクソ親父ィ!!」
 がお、と爆豪が怒鳴る。怒りのせいだろうか、顔が赤い。
 逆に切島の顔色は悪かった。爆豪の先ほどの言葉、男の態度、そして爆豪の怒髪天を衝く怒り方に、すべてを察したのだ。己はとんでもない、本当にとんでもない誤解をしてしまったと。
「ば、爆豪……、その」
「あぁ!? おいごらァクソ髪ィ! てめェなにがどうなったらそんなくそみてぇな勘違いできるんだ? あぁん!?」
「だ、だって勝己“くん”って、呼んで……っ」
「クソ親父は昔っからそう呼んでくるんだよ! 文句あんのか!?」
「か、顔だって似てなかったし……っ」
「ババァ似で悪かったな!! 放っとけ!」
「お、お金! お金ねだってたし!」
「小遣いの前借りだくそが!!」
「めっちゃ甘えてたし……!」
「あ、あま、甘えてねぇーーよ!!」
「えーと、え、えーと……」
「あぁッ!?」
「す、すみませんでしたァ!!」
 勘違いのもとを一つ一つ潰されて、もうそれ以外に切島が返せる言葉はなかった。
 言われてみればすべてがその通りだった。切島の両親や周囲の知り合いの親も子どものことは名前で呼び捨てだったが、中には中学生の息子をくんづけで呼ぶ親はいるだろうし、親子だからと言って必ずしも顔が似てるわけではない。小遣いの前借りに至っては切島自身も経験がある。
 なにひとつ不思議なことなどない。むしろ、なぜ一番に親子の可能性を考えなかったのか。いまとなっては、そちらのほうがよほど不思議である。だって、そうだろう。爆豪が、トップヒーローを目指して日々頑張っているあの爆豪が、援助交際だなんて、そんなことするはずがない。わかっている。爆豪はそんなことしない。わかっている、のに、あの光景を見た瞬間、頭が一気に、かっ、となった。
 爆豪が甘えるように男の腕をつかんだ、その光景。男を見上げる視線には絶対的な信頼が込められていて、口元には笑みが浮かんでいた。ちょっと子どもっぽい、爆豪の表情。自分以外に向けられた、その表情に自分は……。

 ぎくり、とする。だめだ。それ以上考えてしまったらだめだ。壊れてしまう。
 切島は頭を振った。もう一度、ごめん、馬鹿な勘違いした、本当にごめん、と爆豪に謝り、そして、男……、爆豪の父親にも頭を下げた。
「すみません、自分の勘違いですげぇ失礼なこと言っちまって……」
「まったくなァ!!」
「まぁまぁ、勝己くん、勘違いは誰にでもあるよ。こうして謝ってくれているんだし、そんな怒ったら可哀想だよ」
 温和な見た目通り、爆豪の父親は言葉遣いも性格も穏やかな性質のようだ。優しい声で、頭を下げ続ける切島に向かって、顔を上げてください、と促してくれた。あぁ、でも、優しくされればされるほど逆に顔があげづらい。本当になんだって自分はこんな優しそうなお父さんを援交親父とだなんて勘違いしたのか。
 爆豪はまだまだ怒鳴り足りないという顔をしていたが、まぁまぁ、とくり返す父親にやがて気が抜けたように、ちっ、とほんのちいさな舌打ちをこぼしそっぽを向いた。
「それで、勝己くん」
「……んだよ」
「このお兄さんとはお知り合いみたいだけど、どこのどなたかな?」
 爆豪の父親は相変わらず優しい雰囲気で、しかし、それでいてどこか有無を言わせぬ様子で問う。
「…………」
「勝己くん?」
 爆豪は、うろ、と視線をさまよわせた。流れた視線と目が合う。どこか迷ったような眼差しだった。その目に、切島は代わりに答えた。
「あ、あの、俺、切島鋭児郎って言います! 職業、ヒーローやってます!」
「ヒーロー?」
「はい、あの、これ、証拠と言ってはなんっすけど……」
 切島は財布から肌身離さず持っているヒーロー免許証を慌てて取り出し、爆豪の父親へと差し出した。本名にヒーロー名、修得日や生年月日に住所、顔写真とともに諸々のことが事細かに書かれたそれは運転免許証や保険証のように身分を証明するものとして信用されている。ぱっと見はただのカードだが、実はミクロサイズのチップが内蔵されており、然る手段で偽物化本物かちゃんと判別することもできるものだ。偽造は当然、重罪である。
「え〜、と、知ってます? 烈怒頼雄斗」
「え、えぇと、名前くらいは……?」
 あ、これ知らないやつだ。社交辞令だ。
 すぐに察した切島はそこは追及せずに爆豪と知り合った経由を話そうと思った。だが、出会いが出会いなだけに「爆豪、くん、とは、そのぉ……」と言葉に詰まる。いまになって馬鹿正直にぶちまけてしまっていいのだろうか。切島の立場としては、ちゃんと説明して頭の一つでも下げるべきだ。ただ、それを肝心の爆豪はどう思うか。それが問題だ。
 切島はうかがうようにして爆豪を見た。そうすれば爆豪はその視線の意味をしっかりと察し、口を開いた。
「ちッ、俺がこいつはヒーローだって気がついて声かけたんだ」
 それは、まったく嘘っぱちの説明だった。
「ヒーローの話が聞きたかったんだよ。こいつ、目立つ頭してっから素顔でもすぐにヒーローだってわかった」
「そうなんだ。でもだめだよ勝己くん、ヒーローだってわかったからって声なんかかけちゃ」
「うっせ」
「でも、そっか。切島さん、勝己がお世話になったみたいで、ありがとうございます」
「あ、いや、そんな」
 頭を下げられて慌てた。
 違うんです。本当は俺のほうが爆豪に迷惑かけちまったんです。そう言ってしまいたかったが、できるはずはない。ただ曖昧に言葉を濁して、ぺこぺこと頭を下げた。
 嘘をついている罪悪感がないわけじゃない。けれど、もし本当のことを言って、もう勝己とは会わないでください、なんて言われてしまったら……。そう思うと、爆豪の嘘を訂正する気には見る見るうちにしぼんでしまっていた。

「ヒーロー業お忙しいでしょうに、すみません」
「いえいえ、俺なんてまだ新米で大きな仕事任されてないんで、そんな」
 どうもどうも、いえいえこちらこそ。
 そんな風にお互いにぺこぺこと頭を下げていると、しびれを切らしたのはほかでもない爆豪だった。
「クソ髪も親父もわかったらもういいだろ。さっさと行くぞクソ親父、登山靴見てくれるって言ってただろうが!」
「あぁ、うん。そうだったね」
 ぐいぐいと爆豪は父親の腕を引っ張って、早く早くと促す。
 爆豪の父親は、それじゃあ僕たちはこれで、と最後まで穏やかな笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。あ、はい、と切島もしつこいほどに頭を下げた。親子水入らず。邪魔をするわけにはいかない。
「じゃあな、爆豪」
 ひらひらと手を振る。
 しかし爆豪は切島を見てすぐに、ぷいっ、と顔後と視線をそらした。隠す気のない、むっ、とした表情。まだ怒っている。その証拠に父親の腕を引いてずんずんと足を進めだした爆豪は、そのあと一度も切島のことをふり返ることなく、人混みに紛れて見えなくなってしまった。
 あぁ、と切島は肩を落とす。完全に自業自得とはいえ、その態度には凹んでしまう。
「怒って来週来てくれなかったりして……」
 自分で言って頭を抱えたくなった。

 そして、また切島は夢を見た。
  
 
 
 するり、と頬を撫でれば、子どもはくふりと笑う。少し手を離せば、もっと、もっと、とかわいらしくねだる。細い首に触れても、子どもは嫌がる様子を見せずにその身を無防備に横たわらせたまま。髪が流れて、白い額があらわになっている。切島は顔を寄せるとそのまぁるい額に口づけを一つ落とした。
 そのまま、さらに目じりに一つ、頬に一つ、口端に一つ、首筋に一つ。そして胸元に一つ落としたところで、子どもが、あっ、とちいさく声を上げた。肩が跳ね、裸の足がシーツを蹴って皺を作る。それを気にせずに、ちゅ、ちゅ、と口づけを落とし続ければ、子どもはそのたびに敏感に身体を跳ねさせた。
 震える手が、すがるように首に回される。きゅう、と力の入らない手で精一杯強く。あぁ、と切島は頬を緩めた。かわいいな。思うがままに呟けば子どもは、きっ、とにらみつけてくる。かわいくなんてねぇ、と否定してくるが、その頬は朱色に染まっていてまるで説得力なんてなかった。
 真っ新な色をした腹を撫でると、ひぅ、と息を飲む。まったくこれでかわいくないなんて無理があるにもほどがある。かわいい。かわいい。すべてがかわいい。愛おしい。かわいい。切島は何度も何度もくり返しながら、子どもの薄っぺらい腹を撫でた。
 徐々に撫でる位置をおろしていく。あともう少し。そこで一度手を止めて、いいか? と尋ねれば、にらみつけてきた気の強さはどこへやら、きょろきょろと目も合わせられない様子で、しかし、子どもはこくりと確かにうなずいた。
 あぁ、本当になんてかわいい生き物だろうか。切島は胸の奥がむずむずとするのを感じた。たまらない。早く、早く食らいついてしまいたい。抑えられない衝動に止めていた手を、ついぞその先へと進める。
 そして――。

「ッあぁあああァ!!」
 絶叫とともに切島は飛び起きた。慌てて辺りを見渡して、一人きりの部屋に心底ほっとして息を吐く。だが、実際はなにも安堵などできる状態ではなく、切島はうつむいて額を押さえた。酒も飲んでいないのに頭がひどく痛み、心臓がやけに早鐘を打っている。
 夢だ。夢を見た。わかっている。あれは夢以外のなにものでもない。ちゃんとわかっている。ただ、その内容があまりにも問題だった。前回の夢が甘く見えるほどに、ひどい夢だった。いや、内容自体はひどいと言うには少し語弊がある。夢の内容自体は、むしろいままで見てきたどんな夢よりも甘美で、思わず喉が鳴ってしまいそうなほどに、たまらなかった。
 その証拠に、目が覚めた切島のものは夢で得た興奮の影響で寝巻のスウェットを力強く押し上げていた。なんていうことだろうか。自己嫌悪にますます頭が痛くなる。違うんだ。そうじゃない。そんなはずがない。そう否定してしまいたいのに、その術を切島は持っていない。
 ずっと目をそらしていた。気がつかないふりをしていた。そんなはずなどないのだと強く。たしかに爆豪はかわいい。でも、そこに怪しい意味はない。そう言い聞かせていた。そうしなければ、すべてが壊れてしまうとそう思ったから。けれど、そうやって誤魔化したところで自身の心まで誤魔化しきることはできず、そもそも、そう言い聞かせなければならない時点ですべては手遅れだったのだ。

 はぁ、と深く、深く息を吐く。諦念のため息。
(あぁ、そうだよ。そうなんだよ。俺は、俺は……っ)
 思い出すのは、父親の腕を甘えるように爆豪の姿だ。
 爆豪が援助交際をしていると馬鹿な誤解をした。かっ、と頭に血がのぼって冷静な考えがまるでできなかった。なぜ、あの時そんなにも頭に血がのぼったのか。答えは簡単だ。
(俺はあの時、嫉妬したんだ)
 自分以外の誰かに信頼の目を向けて、無防備に甘えて見せる。爆豪のその姿に心がざわついた。慣れた様子で、しょうがないなぁ、と笑う男にどうしようもなく嫉妬した。そこにいるべきはお前ではない。あの男を今すぐに爆豪の隣から排除しなければいけない。そんな風に思った。思ってしまった。
 それが、はたしてどういう意味を持つのか。考えるまでもない。
「おれは、俺は……」
 認めてしまったら、終わってしまう。平穏な今までの日々が。
 けれど、もう認めざるを得ない。目をそらし続けるには、いつの間にかこの想いは膨れすぎてしまった。
「爆豪が、好き、だ……」
 友人だからだとか、知人だからだとか、子どもだからだとかではない。
 ただ一人の爆豪勝己という人間だから、好きだ。
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