ほくほくとした気分で、射的屋をあとにする。その後もあっちだこっちだと店を見て回っている内にいつの間にか陽が沈んできて、屋台のそこかしこに吊るされたランタンに似た丸く淡い光が、とても綺麗に輝いていた。 「人が増えてきたな」 「そういや、そうだな……」 いらえを返しながらリヴァイは周りを見た。屋台にばかり夢中で気がつかなかったが、確かに、ただでさえ多かった人の数がさらに増えている気がする。そろそろ花火もあがることだし、きっと今がピークなのだろう。 (エレンたちも、来てんのかな……) リヴァイは電話で祭りのことを話していたエレンを思い出す。やけに、リヴァイのことを心配している様子だったエレン。少しでも顔をあわせてやれたら、それは無用な心配だと安心させてやれるだろうか。リヴァイは考える。けれど、今、顔をあわせたらどうしたってエルヴィンの存在を知られてしまう。そうしたら、エルヴィンとの関係はどう説明すればいいのだろう。 う〜ん、と眉間に皺を寄せてリヴァイは悩んだ。しかし、そんな風に考えごとをしながら周りに目を向けていたせいか、正面から来た男性とすれ違う際に肩と肩がぶつかってしまった。 「……っと」 「おっ、と、ごめんよ」 大した衝撃じゃなかったが、ふいのことにリヴァイはよろける。かと思えば、すぐに肩を支えられて、なんとか転ぶことは避けられた。 「大丈夫か?」 「っ、悪い……」 とっさに謝って、すぐに一人で立つ。肩からエルヴィンの手が離れていく。しかしエルヴィンは手を引っ込めずに、そのまま手のひらを上にして手を差し出してきた。ん?とリヴァイが目を瞬かせるとエルヴィンは、実はさっきからずっと思っていたんだが、と言う。 「はぐれたりしたらなんだろう?」 暗に手を繋ごうと言っているのだと気がついて、馬鹿言うな、とリヴァイは首を振った。 「確かに人は多いが、大丈夫だろ」 「いや、この人混みじゃ大人同士だとしても、はぐれてしまったっておかしくはないよ」 「お前みたいな大男、見失ったりしねぇ」 「お前は良くても、私は良くない」 「埋もれちまうようなちびで悪かったな」 ぷいっ、とわざとらしくそっぽを向けば、意地悪を言うな、とエルヴィンは眉を八の字にする。 「頼むよ、リヴァイ」 「…………」 「せっかくの祭りだ。離れ離れになったりしたらつまらないじゃないか」 なぁ、リヴァイ、とエルヴィンは懇願してくる。しかし、やっぱり気恥ずかしいものは気恥しい。ましてや、男同士だ。いくら大人と学生とは言え、血がつながっているようには見えない自分たちを周りの人はどう思うだろう。 「大丈夫だ。皆祭りに夢中で、私たちのことなんか目に入ってないよ」 「…………」 リヴァイの心を見透かしたかのように言うエルヴィンは、まるで引く気配がない。諦めることなく、差し出されたままの大きな手のひら。結局リヴァイは少し悩んだ末に、その大きな手にそっと自身の手を置いた。途端に、逃がさないように、ぎゅっと強く握られた。 「じゃあ、行こうか」 「……あぁ」 繋いだ手から、エルヴィンの体温が伝わってくる。リヴァイのものよりも高い、温かなその温度は、この季節には暑苦しいものであるはずなのに、不愉快だとは微塵も思いはしなかった。 手を繋いで、一緒に歩く。出会ってすぐに手を繋いで歩いたあの時は、特に気にも思わなかったはずなのに、二度目になる今、やっぱり手を繋ぐのはちょっと気恥ずかしかった。変な目で見られていないか、気になって仕方がない。なによりも、こんな姿を見られたら、それこそエレンになんと言えばいいかわからない。でも、実は言うと、そんな気恥ずかしさと同時に不思議な安心感を覚えていたりもする。 「次はどこを見ようか、リヴァイ」 「俺は、どこでもいい……」 「そうだなぁ……」 エルヴィンがきょろきょろと辺りを見渡す。大きな手のひらに意識を取られながらも、リヴァイは一緒に辺りを見渡してみた。先ほどのエルヴィンの言うとおり、周囲の人たちは特にリヴァイたちのことを気にかけていないらしく、誰かと視線があうようなことはなかった。 ほっ、と息を吐く。少しの余裕を取り戻して、リヴァイはあらためて辺りを見渡す。そうすると、輪投げ屋、お面屋、綿あめ屋ときて最後に、とても多くの金魚が浅くて広い水槽に入れられているのが目についた。 子どもや若者が群がって、何やらその水槽を覗きこんでいる。金魚鑑賞かなにかだろうか。気になって、リヴァイは繋いだ手のひらを引っぱった。わからないものがあったらエルヴィンに聞けばいい。すっかりそうすり込まれてしまったリヴァイだった。 「ん? どうしたリヴァイ」 「エルヴィン、あれ、あれはなにをしている?」 「あれ……? あぁ、あれは金魚掬いだよ」 「きんぎょすくい……」 「行ってみようか」 エルヴィンはリヴァイの返事も聞かぬうちに、金魚の水槽へと足を進めた。手に引かれるまま、リヴァイは続く。近くで見てみると、エルヴィンの言った屋台の名のとおり、客たちはなにやら団扇を小さくしたようなものでしきりに水槽の中の金魚を掬おうとしているようだった。 「これは名前のまんま、金魚を掬うゲームだ」 「へぇ……」 「やってみるか?」 「えっ……えっ、と」 「遠慮はいらないと言っただろう? すいません、二人分お願いします」 どうしようか、と悩んでいると、エルヴィンはまたしてもリヴァイの返事も聞かぬうちに、さっさと店主に声をかけてしまった。店主から器とミニ団扇もどきを受け取り、実は私もこれをやるのは初めてなんだ、と言いながらリヴァイの手にそれらを持たせる。 「さぁ、ほら、やろうじゃないかリヴァイ」 「あ、あぁ」 渡された器とミニ団扇もどきをリヴァイは見る。器は普通のなんの変哲もないただの器だったが、見慣れないミニ団扇もどきの方は柄の付いたプラスチックの輪に薄い紙のようなものが貼られていた。 「……これで、掬うのか?」 「そうだよ。ポイと言ってね、この紙の部分が全部破れてしまったらゲームオーバーだ」 「こんなの、水に濡らしちまったらすぐ破れちまうじゃねぇか」 「それをどうにかして上手く金魚を掬うのがこのゲームの醍醐味なんだよ」 「なる、ほど……?」 たしかに、網でやすやすと捕まえてしまったのでは難易度が低すぎてゲームにならないのだろうとリヴァイは納得する。だがしかし、こんな薄すぎる紙で本当に金魚を掬えるものなのだろうか。疑問に思ったリヴァイはまわりの他の客たちの様子をうかがってみた。すると確かに、器の中で掬ったであろう金魚を泳がせている人たちがちらほらといるではないか。 「まじか……」 あらためて、手にしたミニ団扇もどきことポイを見つめる。その間に、エルヴィンが先に金魚掬いに挑戦していた。金魚掬いをやるのは初めてだと言っていたとおり、ポイを扱うエルヴィンの手つきは、射的の時と比べていささか拙い。リヴァイは、エルヴィンのポイが金魚にするりするりと華麗に避けられている様を、ハラハラとした心地で見守った。 だが、何度か惜しい場面はあったのだが、一匹の金魚も掬うことなく、エルヴィンのポイは無残にも破れてしまった。 「あー……」 「う〜む、なかなか難しいな」 リヴァイが思わず嘆声をあげるが、エルヴィンは、残念だ、と言いつつさして残念そうではない様子で、もう一回やるかい?と尋ねる店主に首を振る。一方で、同じく金魚を掬えなかったらしい女連れの男が、もう一回だっ、と心なしか鼻息を荒くさせながら店主に金を払っていた。 「……なるほど、中々ぼろい商売だな」 「こらこら、聞こえたらどうするんだ」 そう言いながらも、リヴァイの言葉にエルヴィンは眉を八の字にさせながら笑った。 「よし……」 次は自分の番だと、リヴァイは小さく気合を入れた。 破れてしまわないよう、慎重にポイを水槽に沈めて、じっと金魚の動きを見る。あっちへゆらゆら、こっちへゆらゆら。自由気ままに泳ぐ金魚。 「…………、」 ついつい金魚を追いかけてしまいそうになって、ぐっと堪える。きっと、チャンスは少ない。慎重に、慎重に。言い聞かせて“その時”を待ち、そして、一匹の金魚がポイの上にきた瞬間、リヴァイはポイを掬いあげた。水の抵抗をできるだけ受けないように斜めに切るようにしながら、素早く。ぱしゃっと水音がして、次に、ぽちゃん、と金魚が水に落ちる音が耳に届く。その音は、リヴァイの手元の器からしていた。 「捕れた……」 自分で掬っておきながら、リヴァイは器の金魚をぽかんとした表情で見おろした。小さな器の中、ちっちゃな金魚はゆらゆらと泳いでいる。 「凄いじゃないかリヴァイ!」 エルヴィンが射的の時と同じように、喜びの声をあげる。リヴァイはちょっと照れくさくなって、逆にむぎゅっと眉間に皺を寄せた。 「さぁ、次はさらに慎重にいかないとまずいぞ」 「わかっている」 再び、水槽の中の金魚へと集中する。先と同じ要領で、しかしエルヴィンに言われたとおり慎重に慎重に、一匹の金魚を掬いあげた。今度のはさっきよりも少し大きい。よし、と声に出さずに喜んでいると、またしても、もう一回だ!と叫ぶ男の声が聞こえた。 気にせずに、リヴァイは更に三匹目を狙う。その時、隣のほうから、ふっ、と笑うような気配を感じた。気になって視線をやってみると、エルヴィンが口元をゆるめておかしそうな表情をしていた。なんだ、と視線だけで問いかけるとエルヴィンは言う。 「いや、なんだか水槽の魚を狙っている悪戯っ子な猫みたいだなって思ってね」 「なんだそりゃ……って、あっ」 うっかりいらえを返すと、手元が揺れた。反応した金魚が逃げようとして、つい焦ったリヴァイはポイを粗雑に掬いあげてしまった。ただでさえいっぱいいっぱいだった薄紙が、ついに破れる。ぽちゃり、と金魚は器にではなく、もといた水槽へと落ちた。 「ちっ」 「あぁ、残念。破れてしまったね」 「お前が変なこと言うから……」 「はは、すまない」 けど、はじめてで二匹も取れれば上等だ、とエルヴィンは笑う。 「リヴァイはやっぱり器用だな。ちょっと教えただけで何でもすぐに上達する」 「目玉焼きは失敗したけどな……」 「でも射的は成功した」 「半分はお前のおかげだろ」 「成功は成功だ」 屁理屈屋め。内心で文句を言う。でもやっぱり悪い気はしなかった。 掬った二匹の金魚は貰うこともできるし、そのまま店に返すこともできるらしい。リヴァイはどうしようか迷ったが、せっかくだから貰っていこう、とエルヴィンが言ったので、そのとおりにすることにした。 もう一回だ!と何度目かになる声を背後に、屋台を離れる。 エルヴィンが再び手を差し出してきたので、リヴァイはなにも言わずにその手を取った。次はどこを見ようかと、同じく何度目かになるエルヴィンの問いに、そうだな、と首をかしげながら、ちょっとだけふぅと息を吐く。 祭りは、想像していた以上に楽しかった。けれど、少々はしゃぎすぎてしまったかもしれない。多すぎる人混みも相まって、ちょっと疲れてしまった。エルヴィンとの祭りが楽しくて忘れていたが、もとより、こう言った人混みは苦手なのだ。 「少し休憩しようか、リヴァイ」 「……ん」 すぐに気がついてくれたエルヴィンの提案に、リヴァイは素直に頷いた。せっかくの祭りなのにもったいないとも思ったが、疲労には勝てない。 リヴァイとエルヴィンは屋台の群れから外れると、少し離れたところにある大きな橋の下のほうへと移動した。ちょっと暗いその場所は、屋台からやや距離もあることもあって人の姿はない。 人混み特有の熱気から解放され、リヴァイはほっと息をついた。エルヴィンと繋いだ手を放して、こめかみを伝う汗を拭う。 「だいじょうぶか?」 「あぁ……、ちょっと、疲れただけだ」 「すまない、はしゃぎすぎてあちこち連れ回してしまったな」 「べつに、お前が謝るようなことじゃないだろう」 リヴァイは隣りのエルヴィンを見上げて、すぐに足もとへと目を落とした。先ほど貰った金魚の入った巾着型のビニール袋が目に映って、リヴァイは袋を引っかけた手首を持ちあげる。 「……俺だって」 「ん……?」 「俺だって、はしゃいでいたのは同じだ」 「……そうか。楽しんでもらえたなら、よかったよ」 「……お前は?」 「私……?」 袋の中の二匹の金魚。胸ポケットにはキャラメルがあり、ズボンの方にはあのキーホルダーがある。どれも別に欲しかったわけではない。けれど、どれを手に入れた時もリヴァイは嬉しく思った。 エルヴィンは、どうだろうか。リヴァイが嬉しく思ったように、嬉しく思っただろうか。リヴァイが楽しく思ったように、楽しく思っただろうか。伏し目がちに、リヴァイはエルヴィンをうかがう。 「お前は、その……、楽しかったか?」 「……当然だろう? むしろ、今までで一番最高のお祭りだったよ」 エルヴィンは、真っ直ぐにリヴァイを見て言った。惜しげもなく与えられる、甘さの混じった真摯な声。リヴァイは息を呑んだ。そして、じわりじわりと少しずつエルヴィンの言葉を胸の中で咀嚼して、無意識に頬を緩めた。 「そ、うか……?」 「あぁ、そうだ」 「そうか……、なら――」 よかった。続けようとした言葉は、しかし途中で途切れた。代わりに聞こえたのは、どぉん、と地面すらも揺るがすような大きな爆発音。空に、眩しいほどの光の花が咲き開く。 「はじまったみてぇだな」 「あぁ、そうみたいだね」 橋の下から出て、空を見あげる。川向こうから放たれた花火玉が、光の尾となって夜の空を駆け抜け、天辺のほうで豪快な音とともに光がはじけた。毎年見慣れた花火をもう珍しく思うことなどないが、間近で見るとやはり綺麗だなと思う。 二色、三色と複数の光色が混じった花火。赤色から青色へと変化する花火。光が流れ星のように降り注ぐ花火。中心から外側へと光が弾ける花火。目を見張るほどの大きな花火もあれば、可愛らしい小さな花火の群集もある。とても綺麗だ。それ以外、余計な言葉がいないほどに、ただただ綺麗だった。 「綺麗だな」 「……あぁ、そうだな」 答えるエルヴィンの声は、ワンテンポ遅い。その遅さを、リヴァイはエルヴィンも花火に見惚れているのだろうと、そう思った。そして、リヴァイはふと気になった。はたして、エルヴィンはどんな表情でこの花火を見ているんだろうか。 「…………、」 好奇心に負けて、リヴァイはこっそりと隣を見あげた。すると、太陽の沈みきった夜にもかかわらず、真昼の青い空の色をしたままの瞳と目が合って、驚いた。てっきり、夜空を見あげる横顔が見えると思っていたから、不意打ちで貫かれた空色にリヴァイは思わず固まった。 その間も、花火は大きな音を立てて夜空で輝く。エルヴィンの空色にその花火の光が映りこんで、きらきらと色を変える。虹色に似た不思議な色だ。リヴァイは固まったまま、エルヴィンの瞳に目を奪われた。じっ、とただひたすら見あげる。そうしていると、ふいにその虹色の色彩が距離を詰めてきた。 ゆっくりと徐々に近づいてくる虹色。距離が縮まるにつれて、虹色がいつもの空色へと元に戻っていく。リヴァイは、ますます目を離せないでいた。虹色も綺麗だったが、やっぱりエルヴィンには空色の瞳が似合っている。 「リヴァイ……」 エルヴィンが、呼ぶ。低く、心地よい、不思議ととても安心できるような声。 その声にリヴァイは、自身が固まったままでいたことを自覚した。はっ、と意識を取り戻す。急いでエルヴィンの名を呼び返そうとして、しかし、言葉を音にするよりも早く、唇に、“なにか”が触れた。 |
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